東海道五十三次-関宿-

2014-10-09 12:26:02 | 歴史あるトコ-三重

三重県亀山市関

 

ここは江戸時代、東海道五十三次の、47番目の宿場町・関宿があったとこです。

江戸から明治時代にかけて建てられた町屋が、現在も200棟以上も残っていて、

国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


 

東海道は 江戸時代に整備された五街道の1つで、

江戸・日本橋から京・三条大橋までの道で、途中53の宿場町があることから、

東海道五十三次と言われます。

 

また京街道を含め、西の起点を摂津・高麗橋した東海道五十七次という説もあります。

 

 

まずは東の追分

「追分」とは分岐のこと。

東の追分は東海道と伊勢別街道の分岐点

その入口に立っている鳥居は、

伊勢神宮の遷宮の際、古い鳥居を移築する習わしになっているとか。

 

 

この日は台風接近で生憎の雨。

 

 

 

郵便ポストも景色に溶け込んでいました。

 

写真撮り忘れたけど、百五銀行の関支店も、街並みに溶け込んでた!

 

続いて、郵便局!

 

しかし、視線はその前に立つものに!

高札場!

高札は幕府から出た法度や掟書などを掲示するもの。

残念ながら、この高札は模造品。

関宿に掲げられていた高札は現存せず・・・です。

 

川北本陣跡伊藤本陣跡など、

大名が参勤交代の時に使った旅籠の跡に石柱が立つなど、

かつての賑わいが想像できます。

 

 

さて、東があるからには西もある。

西の追分

ここは奈良に向かう大和街道の分岐点です。

 

そして、ここから京に向かうには鈴鹿の峠を来れなければなりません。

 

今は・・・国道1号がその役割を果たしていますが・・・・

 

 

 

 

ちなみの「関の山」の語源が生まれたのも、この関宿。

「山」というのは「山車」のこと。

立派な関の山車以上のものは作れない。っていうことから生まれたらしい。

 

 

 

 

古代からの交通の要の地。

そして現在も国道1号が引き継ぐ東海道。

関は日本の歴史の流れを見てきた地でもあります。

 

 

 

一度、行ってみて

三重県亀山市 関宿

 

 

 



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