特別史跡 高松塚古墳・キトラ古墳

2014-01-29 12:48:41 | 歴史あるトコ-奈良

先日、運よくキトラ古墳の壁画「白虎」・「玄武」、

そして高松塚古墳の壁画修理作業室で、

「玄武」・「青龍」・「白虎」・「女子群像」の壁画を、

レプリカでなく、本物を見ることが出来ました。

 (前回の記事はこちらから→キトラ古墳壁画・高松塚古墳壁画修理作業室 公開

 

 

そこで、現在の古墳の姿や、今後の予定をご紹介します。

( 以前のUP記事はこちらから→ その1 ・その2 )

 

 

高松塚古墳

 被葬者:不明(皇族もしくは高位の者、諸説あり)

築造:藤原京期(694-710年)

 

 1970年10月、村人がショウガの貯蔵穴を掘っていたところ、切り石を発見!

明日香村が資金を捻出し、橿原考古学研究所が発掘を実施しました。

1973(昭和47)年3月21日、石室が検出され、極彩色の壁画を発見!


古墳は1973年4月23日、特別史跡に、

また極彩色壁画は、1974年4月17日に国宝に指定されています。


「高松塚」の由来は、墳丘の上に松があったことらしいです。



発掘調査後、現地保存されることになり、保存処理を施し、

空調設備を備えた保存施設を建設。

1981年以降、年1回の定期点検が実施されましたが、

年々、壁画が劣化していき、特に西壁の「白虎」の劣化が激しい事を受け、

2003年、国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会が設置され、

その翌年には国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会が発足。

検討の結果、石室を解体・移動して修復し

修復完了後に元に戻すという方法がとられることになりました。

 

2006年10月から解体作業が開始され、

翌年6月、最後の1枚が修理施設に移動しました。

 

古墳の発掘調査により、埋もれていた周溝などが発見され、

古墳の形状が明らかにされました。

また墳丘からは過去に起こった地震の亀裂がも発見され、

ここから虫や雨水が入り込んだことも分かりました。


墳丘は発掘調査に基づく形状の復元工事が行われました。


 

 

現在、解体された石室は、

公園内にある仮修理施設で、10年計画で修理されています。

修理完了後は、墳丘に戻される予定ですが、

今の段階では難しいようです。

 

 

 

 

 

 

キトラ古墳

 被葬者:不明(皇族もしくは高位の者、諸説あり)

築造:7世紀末~8世紀初

 

亀虎古墳とも書かれます。

 


1983年、石室内の彩色壁画「玄武」が発見され、

2000年、特別史跡に指定されました。

発掘後、湿気によるカビが石室内に発生。

壁画の変質が進行していることが分かりました。

同じ時期の高松塚古墳の劣化問題もあり、

壁画をはぎ取り、保存・修理されることになりました。


2004年に始まり、2007年には全ての剥ぎ取りが完了。

2013年には考古学調査も終了しました。



現在、2016年の開園を目指し、

「国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区」として整備工事が進められています。

公園内には体験学習館が開設され、

そこで保管・展示される予定になっています。

 

 

しかし、実物を見える機会は、関係者の方から聞く話によると、限られた期間だと思います。

 

 

 

 

今春、東京で開催される特別展は、キトラ古墳発見30年に基づくものですが、

公園施設が完成、移動すると、

壁画を長距離、移動させるのは困難のようで、

東京で見える最初で最後の機会かもしれません。

 

ぜひ、関東にお住まいの方は足を運んでみて下さい。

 

 

 

 



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