最後に治定された陵墓-長慶天皇陵-

2013-09-27 12:49:06 | 歴史あるトコ-京都

第89代の兄・後深草天皇の子孫を「持明院統」

第90代の弟・亀山天皇の子孫を「大覚寺統」といい、

この後、皇室が2つに分裂。

持明院統が北朝(京都)、大覚寺統が南朝(吉野)となり、

天皇が2人いる時代、南北朝時代に突入します。

(詳しい内容は、また別の機会に・・・・)

 

 

その南朝3代(歴代98代)天皇が長慶天皇です。

対北朝の対し、強硬路線をとっていたという長慶天皇ですが、

即位されたかが疑問視されていた為、歴代天皇に正式に加わったのは大正15年

 

陵墓に関しては定まったのが、昭和19年です。

昭和9年の宮内庁(省)の「陵墓要覧」には「御陵未定」の文字。

治定された後に、鉛筆で「嵯峨東陵」と訂正されています。

 

 

その嵯峨東陵は京都市右京区嵯峨天竜寺にあります。

同域内に長慶天皇の皇子「承朝王」の墓もあります(写真右上)

 

しかし、ここには遺骸はありません。

歴代天皇に加えられ、その陵墓を探しましたが、不明。

候補地は全国20か所以上。

最終的に、息子・承朝王(相国寺30世 海門承朝)が、

父の菩提を弔うために創建した、慶寿院の跡地を御陵を定めたわけです。

 

 

観光地・嵐山が近いため、時々ですが、

観光客が顔を出す陵墓です。

 

 

 

一度、行ってみて

京都市右京区嵯峨天竜寺  嵯峨東陵



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