第31代 用明天皇
第29代欽明天皇の皇子で、
第30代敏達天皇、第33代推古天皇の同母兄弟です。
また聖徳太子の父です。
585年頃、兄・敏達天皇の崩御で即位しますが、
疱瘡にかかり、わずか2年で崩御します。
磐余池上陵に葬られましたが、
後に河内磯長原陵(かうちのしながのはらのみささぎ)に改装されました。
大阪府南河内郡太子町の春日向山古墳(方墳)が治定されています。
用明天皇は仏教を重んじた天皇でした。
死の床で仏法に帰依すべきかどうかを臣下に相談したといいます。
しかしまだ、崇仏派(蘇我家)と廃仏派(物部氏)が対立していた頃でした。
その心を引き継いだのが、聖徳太子です。
もし用明天皇の治世が長く続いていたならば、
聖徳太子が次代の天皇につき、
歴史は変っていたのかもしれませんね。
一度、行ってみて
大阪府南河内郡太子町 河内磯長原陵
神話好きのオッチャンです。
やっぱり聖徳太子は実在していた人物ですか?
「厩戸皇子」の他に、人物名らしい名前が伝わって
いれば良かったのですが...ネ
それとも何かあるのでしょうか?
ご質問の「聖徳太子は実在していたか」ですが、
用明天皇の皇子・厩戸皇子は実在していたと思います。
しかし厩戸皇子が「聖徳太子」かというと、違う可能性はあります。
聖徳太子の偉業は創作された可能性があるからです。
実際、日本書紀にしか「聖徳」の文字はありませんし、
日本書紀の編纂にかかわった不比等が、天皇の権威を高めるため、そして父・中臣鎌足が手を貸した乙巳の変をより正当化させるためのものだと考えられるためです。