772年、第49代光仁天皇の皇后と、その皇太子が廃されるという事件が発生します。
皇后 井上内親王。
聖武天皇の第1皇女として生まれ、
わずか5歳で伊勢神宮の斎王にト占。
744年、実弟・安積親王の薨去で斎王の任を解かれます。
都に戻った井上内親王は、天智天皇の孫・白壁王に嫁ぎ、
38歳の時、酒人女王を、45歳の時に他戸王が生まれます。
当時としてはかなりの高齢出産でした。
(出産時年齢に関しては、諸説あります。)
770年、第48代称徳天皇(異母妹・孝謙天皇が重祚)が崩御すると、
夫・白壁王が即位することになり、井上内親王は立后。
その翌年には息子・他戸親王が立太子します。
しかし772年、 夫・光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、
他戸親王も皇太子を廃されます。
井上内親王と他戸親王は、大和国宇智郡(奈良県五條市)で幽閉され、
775年4月27日、二人同日に薨去します。
二人が同じ日に亡くなる・・・・・暗殺された可能性がとても高いです。
(ちょっと歴史入門<14>もご覧ください)
井上内親王は墓は奈良県五條市にあります。
薨去後、天変地異が重なり、母子が「怨霊」化したと考えられ、
鎮めるために「墓」から「陵」に格上げ、「宇智陵」となり、
皇后に復位されました。
歴史上、第1号の「怨霊」です。
他戸親王の墓は母后陵の北にあります。
14歳の若さに亡くなった他戸親王の死をもって、
天武・持統天皇の血筋は皇統から消え去ります。
天皇の娘に生まれ、神に仕えた斎王 。
その最期は冤罪、死、怨霊・・・・
まさに流転の人生です。
一度、行ってみて
奈良県五條市
宇智陵(井上内親王陵)
他戸親王墓