斎王の末路-井上内親王・他戸親王墓-

2013-09-04 12:18:58 | 歴史あるトコ-奈良

772年、第49代光仁天皇の皇后と、その皇太子が廃されるという事件が発生します。


皇后 井上内親王。

聖武天皇の第1皇女として生まれ、

わずか5歳で伊勢神宮の斎王にト占。

744年、実弟・安積親王の薨去で斎王の任を解かれます。

 

都に戻った井上内親王は、天智天皇の孫・白壁王に嫁ぎ、

38歳の時、酒人女王を、45歳の時に他戸王が生まれます。

当時としてはかなりの高齢出産でした。

(出産時年齢に関しては、諸説あります。)

 

770年、第48代称徳天皇(異母妹・孝謙天皇が重祚)が崩御すると、

夫・白壁王が即位することになり、井上内親王は立后。

その翌年には息子・他戸親王が立太子します。

 

しかし772年、 夫・光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、

他戸親王も皇太子を廃されます。

 井上内親王と他戸親王は、大和国宇智郡(奈良県五條市)で幽閉され、

775年4月27日、二人同日に薨去します。

 

二人が同じ日に亡くなる・・・・・暗殺された可能性がとても高いです。

ちょっと歴史入門<14>もご覧ください)

 

 

井上内親王は墓は奈良県五條市にあります。

薨去後、天変地異が重なり、母子が「怨霊」化したと考えられ、

鎮めるために「墓」から「陵」に格上げ、「宇智陵」となり、

皇后に復位されました。

歴史上、第1号の「怨霊」です。

 

 

他戸親王の墓は母后陵の北にあります。

 14歳の若さに亡くなった他戸親王の死をもって、

天武・持統天皇の血筋は皇統から消え去ります。

 

天皇の娘に生まれ、神に仕えた斎王 。

その最期は冤罪、死、怨霊・・・・

まさに流転の人生です。

 

一度、行ってみて

奈良県五條市 

宇智陵(井上内親王陵)

 

他戸親王墓



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