謎の被葬者-岩尾山古墳-

2013-09-02 12:08:12 | 歴史あるトコ-奈良

奈良県高市郡明日香村にある

岩尾山古墳。

古墳終期末、7世紀中頃の古墳です。

切り取った石を加工した巨石を使用した石室です。

 

羨道の長さは12m、幅1.9m。

玄室の長さは4.9m、幅2.7m、高さ3m。


このサイズとほぼ一緒の石室がたくさん存在することから、

「岩尾山式」と呼ばれています。


墳丘は方墳といわれていましたが、

一説では下段が方墳。

上段は八角・・・・

つまり上八角下方墳ではないかともいわれています。


八角・・・・そう王墓の形です!!


7世紀中頃から末までに亡くなった天皇は、

舒明天皇(641年没)、孝徳天皇(655年没)、

斉明天皇(661年)、天智天皇(672年没)、

弘文天皇(672年)、天武天皇(686年没)。 


舒明天皇の陵墓は押坂内陵。

桜井市にある忍阪段ノ塚古墳が治定され、

墳丘は上八角下方墳

(こちらから→八角墳の王墓-舒明天皇陵-

 

 孝徳天皇の陵墓は大阪磯長陵

大阪府南河内郡太子町にある山田上ノ山古墳

自然の山を利用して構築された円墳とも八角形ともいわれています。

(こちらから→実は・・・黒幕か?-孝徳天皇陵-



斉明天皇の陵墓は越智岡上陵

高市郡高取町の車木ケンノウ古墳ですが、

こちらの墳丘は円墳

(こちらから→最愛の家族に囲まれて-斉明天皇陵-

真の天皇陵は牽牛子塚古墳(→こちらから)といわれ、八角墳です。


弘文天皇(→こちらから)は壬申の乱で敗れ自害。

自害の場所「山前」が特定できていませんが、

可能性は低いですし、

天智天皇(→こちらから)・天武天皇(→こちらから)の陵墓は、

八角墳であり、宮内庁も学会も認めた数少ない、

確実性の高い陵墓ですから、除外。

 

 

となると・・・・時期的にみても斉明天皇か、孝徳天皇・・・・・。

斉明天皇の墳墓は越塚御門古墳の発見で、

牽牛子塚古墳とみて間違いないでしょう。


じゃあ、孝徳天皇の墳墓か?

 

 ・・・・・結論・・・・・

宮内庁じゃないけど、決定的なものがないから、

結局、ワカン━━━━(*p-Д-;)q━━━━ネエ!!!!!

 

 

一度、行ってみて

奈良県高市郡明日香村 岩尾山古墳 



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