本当の天皇陵-天武・持統天皇陵-

2013-01-18 22:30:34 | 歴史あるトコ-奈良

奈良県明日香村にある野口王墓

第40代天武天皇 第41代持統天皇の合葬陵墓

檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)です。

天武天皇の父は第34代舒明天皇、母は第35・37代皇極(斉明)天皇。

実兄は中大兄皇子・・・後の第38代天智天皇です。

672年に壬申の乱で、甥である大友皇子(天智天皇皇子-第39代弘文天皇)を破り、

即位しました。

 

持統天皇の父は第38代天智天皇、母は蘇我家の遠智娘。

叔父・姪の関係ですが、夫婦です。

天武天皇崩御後、一人息子・草壁皇子が皇位を継ぐ予定でしたが、病死。

皇子の遺児である軽皇子(第42代文武天皇)に皇位を繋げるため、即位しました。

 

崩御後、遺言で夫・天武天皇の陵墓に合葬されました。


このお二人の話をすると、長くなるので、

ごめんなさい・・・・省略します!

*:.。.:*スマソォ*:.。.:*( uдu〃)ゞ

 

小高い丘の上に拝所があります。

 

墳丘は東西約58メートル、南北径45メートル、高さ9メートルの円墳状。

本来の墳形は八角形・五段築成、周囲に石段があったとされます。

 

古墳を一周できます。

簡単に入れそうです。

入りたいけど、我慢!

(。-`∩´-。)ウーン・

 

 

実はこの陵墓、被葬者が天皇で間違いない陵墓です。

神武天皇陵でも取り上げましたが、

現在ある陵墓は江戸~明治時代にかけて、

文献や言い伝えを元に、ここが「△△天皇の陵墓!」って感じで作られました。

なので、実際は天皇陵ではないものがほとんどだと言われています。

その中でも間違いない「本当の天皇陵」の一つがここ、檜隈大内陵です。


江戸時代まで違う古墳が、天武・持統天皇陵と言われてました。

この野口王墓は「文武天皇陵」だったこともあります。

(?*´Д`*?)ヘッ?

しかし1880(明治13)年に京都高山寺から、

『阿不幾乃山陵記』という史料が発見され、

野口王墓が天武・持統天皇陵だと治定改定されました。

 

1235(文暦2)年に盗掘に遭いました。

その実地検分をした時の、陵墓の詳細な記録が記されていたんです。

盗掘で天武天皇の棺は暴かれ、遺骨と白髪が散乱し、

持統天皇の遺骨は火葬だったため、骨壺に納められていましたが、

骨壺も奪い去られ、中の遺骨は近くに遺棄されたといいます。

マッ∑( ̄□ ̄ )マヂ?

内部の復元図(盗掘でわかった天皇陵古墳の謎:安本美典著より)



古代古墳で盗掘に遭っていない古墳は大変少ないです。

しかし、いくらなんでも遺骨をそこらへんに捨てるなよ・・・

ハ━━ヾ(#`・Д・´)ノ━━ァ??!

 

そんな事情もあり、入りませんでした。

いや、入ってはいけませんよ!





一度、行ってみて

奈良県 明日香村 檜隈大内陵

http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/040/index.html

http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/041/index.html


 

 

 



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