実は・・・黒幕か?-孝徳天皇陵-

2013-08-01 12:53:31 | 歴史あるトコ-大阪

第36代 孝徳天皇は、軽皇子といい、

第30代 敏達天皇の孫にあたります。

(敏達天皇の皇子・押坂彦人大兄皇子の王子・茅渟王の長男)

 

母は欽明天皇の孫で桜井皇子の王女・吉備姫王。

皇極天皇(斉明天皇)の同母弟になります。

 

 

645年、蘇我蝦夷・入鹿を討った乙巳の変」が起きると、

翌々日には皇極天皇は中大兄皇子に位を譲ろうとします。

しかし、中大兄皇子は辞退。軽皇子を推薦します。

軽皇子もまた三度辞退して、古人大兄皇子を推薦しますが、

古人大兄皇子(=蘇我蝦夷・入鹿が推していたは辞退して出家してしまいます。

 

皇極天皇は譲位し、軽皇子が皇位を継ぎました。

史上初の「譲位」です。

 

そして孝徳天皇は、 

史上初めて、「大化」という元号を立てた天皇です。

つまり「大化の改新」を行った天皇です。

 

 

孝徳天皇は難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)を造営し、遷都。

中大兄皇子は天皇に大和に遷ることを求めますが、 天皇がこれを退けます。

すると、中大兄皇子は皇祖母尊(皇極天皇)と皇后・間人皇女(中大兄皇子の同母妹)、

皇弟・大海人皇子を連れ、大和に戻ります。

それだけでなく臣下の大半が中大兄皇子に従い、行ってしまいました。

 

 天皇は気を落とし、翌年病気で亡くなります。

 

大阪府南河内郡太子町にある大阪磯長陵(おおさかのしながのみささぎ)に葬られます。



実は、孝徳天皇が中大兄皇子をそそのかして、

「乙巳の変」を引き起こした「黒幕」ではないかという説があります。


もし本当に黒幕が孝徳天皇だったなら、

何を目指していたんでしょうね・・・・。

 

 

推古天皇や用明天皇の陵墓があり、「王陵の谷」と呼ばれる場所。

とても静かで、ちょっと小高い場所にあります。

 

 

 

一度、行ってみて

大阪府南河内郡太子町  大阪磯長陵



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