1月15日、明日香村の小山田遺跡で
巨大古墳の墳丘の一部と濠の跡が発見されたと報道されました。
(前回の記事➡滑谷岡陵か?大陵か?)
1/16 産経新聞
1月18日(日) 現地説明会があるということで、
行ってきました!
現地到着は10:30頃。
ここでこんなたくさんの人、見たことない!ってくらいの人!
周囲の駐車場はもちろん、満車!
すぐ側のコンビニの駐車場も満車!
少し時間をずらし、再アタックします!
11:30頃、甘樫丘の駐車場で空きがうまれ、現地へ向かいます。
県立明日香養護学校には、たくさんの人!
受付で資料をいただきました。
教室棟の改築に伴う調査で、検出されました。
パネルの前には多くの人!
午前だけで4000人を超える人だったようで、
10:00開始を1時間早めたとか。
12:00 橿原考古学研究所の方からの説明が始まります。
以下はその要約です。
1. 今回の調査は第5次・6次調査。
昭和47年に第1次調査を実施。その時に藤原宮期の木簡が出土。
小山田遺跡として認知されるようになった。
木簡出土地点にケースを置いてくれていましたが・・・・
えー、この〇〇さん(名前入り)のボールペンは・・・・何?(笑)
2. 今回、発見されたのはあくまで「掘り割りの遺構」
現在は養護学校があり、丘陵の谷が埋め立てられていますが、
昭和23年の航空写真では・・・
丘陵に切れている部分があるのが分かるとのこと。
今回の発見はその北側部分の一部だそうです。
3. 異なる大きさ・種類の石をふんだんに使った遺構だということ。
貼石
<石英閃緑岩(明日香石)>
平な面を表面にし、下から大➡小で積み上げている。
敷石
<石英閃緑岩(明日香石):15-20cmの大きさ>
貼石より小さ目の石。
板石積み
<下2段:結晶片岩(紀ノ川産:青) 下3段目上:結晶片岩(榛原石:黄):5-10cmの棒状>
階段状に、上にいく毎にずらしている。
ちなみに・・・・
だって(笑)
10分ほどの説明を聞き、現場へ!
1回に150人が限界とのこと。
係りの人が「300人」というパネルを持って、
私たちの後方に数えながら進んで行ってた。
結晶片岩と室生安山岩
前のグループの見学が終わり、いざ、掘り割りへ!
今回の発見は北側の東部分の一部。
一辺50mを超えると考えられるとのこと。
もしかしたら方墳ではなく、ほかの遺構かもしれない。
滑谷岡陵かもしれない、大陵かもしれない。
考古研の方は言及しませんでしたが、
今後の調査で明らかになっていくでしょうね。
現地説明会超羨ましいっす
見学に行っている人たちと比べると巨大さが分かります。
滑谷岡陵、大陵、もしくは他の遺跡だったとしてもこれだけの大規模な遺構は滅多にないので調査結果が気になりますよね。
惜しむらくは古墳だった場合墳丘の大部分が既に削平されていることでしょうか・・・。
あと、あの均等に掘られていたものは校舎の建物跡だったんですね(笑)
てっきりトレンチかと思いました。
そうなんです。戦後に航空写真で丘状のものがあったことが確認できてますが、S40年に学校が建設されてるので、それ以前、もしくはその当時には墳丘が失われてるってことですよね。
あの穴・・・私もなるほど・・・って思いました(笑)