
【その①】で私とフィリピンとの関係をご説明しておこうと思いつつ
あまりにも長い前置きとなってしまい大変失礼いたしました。😅
テレコ(関西弁で”入れ違い”等の意味)となってしまいますが
1987年から1989年までの二年間
JICAのフィリピン国立航海訓練所プロジェクトでレイト島タクロンバンに派遣され
その後もフィリピン通として民間企業に転職した時も
フィリピン事務所の立ち上げから、職場の連中をゴルフツアーに連れていったり
退職して独立してからはエンジニアや研修所のインストラクターなど
1990年以降だけでパスポートのスタンプを数えてみたら48回の入出国
そんな訳で私にとっては、世界中で一番訪れてきた国となり
心の故郷となっているのですが
それらの詳細についてはまた改めて記事にすることにして
今回、協力隊時代の同期でフィリピンに派遣され
現地の女性と結婚して長年日本で生活した後に
奧さんと子供さんは住み慣れたフィリピンに戻り
家を建て
コロナ前までは毎年フィリピンに行ったり
奧さんが日本に来て数か月を過ごす
そんな生活を送っていた大の仲良しが
久しぶりにフィリピンの家に行くと聞き
それは是非お邪魔しに行こうと決め
ついでに30年以上ぶりにレイテ島を訪れようと
急遽旅程を立て、つい先日旅してきた時の記録です。
この旅をするために自治会、水利組合、仕事を調整して
2025年2月18日火曜日 14:50
奈良から関空行きのリムジンバスが激減して1日に4本しか運行しておらず
空港で無駄な時間を過ごさなければならない上に
片道2400円もするため(近鉄と南海なら1500円)
近頃変に倹約家になってしまったようで、つい鉄道を選択
フィリピンに行くため夏服にダウンジャケットを羽織ってただけなのに
無情にも雪がちらついてました。
15:30 南海なんば駅到着
この日のフイリピンへのフライトをLCCとしていたため
またまた駅ソバ(イカ天そば大盛り)で小腹を満たし
関空行き急行に乗車
16:30 関空で交通系カードをチャージしておこうと券売機に向かうと
インバウンド観光客で大混雑
事前に日本滞在中はICOCAが便利との情報を得ているようで
それを購入しようとしてるのですが
なんせマナーの悪い人間が多くウンザリ
それでもなんとかチェックインカウンターに向かい
大行列に並んだのですが・・・
なんと乗客のほぼ95%がフィリピン観光客で
タラタラしてるのでチェックインに40分
イラチ(セッカチ)なので相当イライラさせられ
こりゃあ先行きが不安だなぁと行く手に暗雲が立ち込めていましたが
保安検査を済ませてしまったら
ボッタクリの飲食店しかないだろうなと
立ち食いそばだけじゃあお腹が空くだろうなと
2階のコンビニでオニギリとアルコールを買ってベンチで夕食
その後保安検査&入管を済ませて中に入ってみると
インバウンド観光客からぼろ儲けしてやろうとの魂胆みえみえの
免税店や飲食店だらけ
コロナ前まではそこそこ定期的に渡航していたので
10代の頃から習慣にしているコロンを切らしたことはありませんでしたが
ここ数年はめったに国外へ出ることがなくなり残り少なくなっていたので
今回は出国時に購入しようと
以前一度だけ使ってそこそこいい香りだったBVLGARIを覗いてから
結局、1979年に練習船で立ち寄ったLAで購入して以来
基本常用しているGIVENCHYを買うことにしちゃいました。
爺さんになってからは、加齢臭消しなんですけどね
今回は、LCCなので航空会社のラウンジが使えないので
カードラウンジを探し
六甲のアネックスへ
とりあえずLCCで、機内サービスを頼んでいなかったので
しっかり飲み物を補給して
搭乗ゲートに向かったのですが・・・
な、なんと約2時間強の遅延
慣れているのか、到着からわずか30分ほどで乗客を乗せ
2時間6分遅れで出発
普段なら夜間飛行なので窓のシェードを閉めるのですが
この飛行機ではクルーからの指示もなく全部の窓が開けたままだったので
外を眺めていたところ
オリオン座を発見
やがてマニラ上空を通過して
予定時刻より1時間35分遅れでNAIA(ニノイアキノ国際空港)に到着
この日はターミナル内のトランジットホテルで泊まるつもりだったので
(ターミナルに入場するゲートがいつも大混雑で、時間によっては1時間はかかるので)
その施設に向かうと
「予約してますか?」
「してなければ満室です」と断られ
さてどうしようかとターミナル内を歩き回り
日本食チェーンのレストランができているのに驚きながら
どこか休めるところがないかと探したのですが・・・
結局みつけられず断念して国内線がチェックインを開始していたので
そのままチェックインカウンターに向かい
中で待つこととしたのですが
時間潰しがてら フィリピン食をアテにビールを飲み
ベンチでうとうとしただけの
ほぼ徹夜状態で
ミンダナオ島Dipolog行の飛行機に乗り込むこととなりました。
【”その③ミンダナオ島Dopologを満喫”に続く】