オーストラリアに来て、なにかとトレーニングを受ける機会が多い。
オーストラリアは何をするにもトレーニングを受けたという証明が必要なようで、もともとは品質や安全の水準を上げることが目的だったのだろうけど、今ではそれがビジネスにつながって過剰になりすぎているという印象。
それはそれとして。
こちらでトレーニングを受けていて面食らうのは日本と講義の進め方が大きく違うということ。
日本では小学校から大学まで講義中に質問や意見があれば手を挙げる。
それに手を上げるタイミングも普通は先生が「これわかる人?」とか「質問がある人?」と聞いてきて初めて生徒は手を挙げる。
よく覚えていることがある。
小学校のとき最初に手の上げ方を教えてもらった。
「はいっ」とは言わずに手をまっすぐに上げること。
でも、オーストラリアでは手なんてあげずに勝手に教室のあちこちから声が上がる。
手を上げて講師に当ててもらうのを待つというプロセスがなく、とにかく言いたい時に発言する。
そんな中に、講師に当ててもらうことを期待している日本人がいるとどうなるか。
発言するタイミンをつかめず、何も言えずに講義が過ぎてしまう。
間違っているかもしれないが、手を上げて講師に当ててもらってから発言するのはアジア的、自分の言いたい時に発言するのは欧米的かなと思う。
もちろん、大きな会議などフォーマルな場ではその限りではないだろうが、少なくとも教室で行われるトレーニングや講義ではそうだと思う。
これは日本人にとって問題だと思った。
少なくとも、日本人が欧米のこのような場にいると、圧倒的に存在感がなくなってしまう。
答えがわかっていても、質問があっても発言の機会を逸していく。
その一方でこのような形態に子供の頃から慣れている欧米人は間違っていようがずれていようがどんどん発言をし、存在感を高めていく。
こういうのって、教室の外での姿勢にも繋がると思う。
自分の意見を会議の場で自然に発言できる力。
英語だというのもあるが、日本人はどうしてもぎこちなさがあるように思う。
こういうのって、子供の頃からの習慣が大切だ。
日本人が海外でも存在感を示すためのトレーニングとして、学校ではせめて英語と数学(算数)の時間は生徒の発言方法を欧米風にしてみてはどうだろうかと思う。