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キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

坂の上の雲2~日本の詩~

2009年11月14日 | Weblog
『坂の上の雲』では実在の3人の人物を中心として話が進む。
その一人が正岡子規。
正岡子規については小中学校のころに俳句と言えば松尾芭蕉と正岡子規と習った、それくらいの知識しかない。
俳句や短歌ってどんなものだったろうと思い、中学校の時に習って好きだった短歌や俳句を思い出してみた。


白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ (若山牧水)

幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく (若山牧水)

鴉啼いてわたしも一人 (種田山頭火)

曳かれる牛が辻でずっと見回した秋空だ (河東碧梧桐 )


正岡子規の句は、すごいすごいと言われつつ昔からあまり馴染めなかった。
その代わりどうやら旅の詩や寂しさを歌っている詩が僕は好きなようだ。
でも、旅の詩でも観光名所の名前が入っている詩はあまり好きではないよう。
だから、

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 (正岡子規)

は、いまいちぐっと来ない。


短歌や俳句を全く知らないで、例えば今ぱっとそんな作品を見たとしても、おそらく興味は持てないだろうと思う。
何も知らずにぱっと源氏物語を見たときのように。
興味を持てないというよりも、言葉の意味すらわからずに、敷居が高くて手をつけられないんじゃないか。

そういう意味で、あれほど将来意味のないと思っていた短歌や俳句の授業も、人の心の中に少しだけでも生きているという意味で、必要だ(あったほうがいい)なと思う。
日本の全ての人が、短歌や俳句を、そして代表的な詩を共通の知識、感覚として持っているというのは大きいと思う。