先の旅行でルワンダに行った。
一番の目的は1994年に起こった大虐殺について、またその後のルワンダについて実際に目で見てより知りたかったから。
その後日本に一時帰国をした際、とにかくルワンダの本を読もうと思いいくつか
の本屋で探した。
意外なほど、ルワンダの本は見つからなかった。
出版されている数はかなり多いはずである。
しかし、今ではもう大きな本屋でもなかなか見かけることができない。
ようやく見つけた本が『ジェノサイドの丘』。
アメリカ人である著者によるルワンダでのルポルタージュである。
今、それを読み始めた。
冒頭、数ページ目を抜粋する。
〈プラトンの『国家』に登場する若きアテネ人レオンティウスのように、おそらくあなたはよりはっきり見たいと願ってこの本を読んでいるのだろうし、そして同時に好奇心を抱いてしまうことを落ち着かなく感じているだろう。あるいはこの極限状態からなんらかの理解、なんらかの内省、なんらかの自己認識のかけら--道徳あるいは教訓、この世界でいかに振舞うべきかという手がかりといったなにがしかの情報--が得られると思っているかもしれない。可能性がないとは言わない。だがことジェノサイドに関してなら、善悪などとっくにわかっているはずだ。ルワンダの物語をじっくり見ようと思うのは、無視するのが、その存在そのもの、そして自分のそれとの関係以上に恐ろしく思われるからである。
(中略)
ニャルブイェの死者たちは、恐ろしいことだが、美しかった。嘘をついてもはじまらない。〉
上述を読んで思った。
この本をまずは読もう。
ここから何かを学ぼうとか、理解しようとか、教訓にしようとか、そういうことは考えずに、まずは読もうと思った。
一番の目的は1994年に起こった大虐殺について、またその後のルワンダについて実際に目で見てより知りたかったから。
その後日本に一時帰国をした際、とにかくルワンダの本を読もうと思いいくつか
の本屋で探した。
意外なほど、ルワンダの本は見つからなかった。
出版されている数はかなり多いはずである。
しかし、今ではもう大きな本屋でもなかなか見かけることができない。
ようやく見つけた本が『ジェノサイドの丘』。
アメリカ人である著者によるルワンダでのルポルタージュである。
今、それを読み始めた。
冒頭、数ページ目を抜粋する。
〈プラトンの『国家』に登場する若きアテネ人レオンティウスのように、おそらくあなたはよりはっきり見たいと願ってこの本を読んでいるのだろうし、そして同時に好奇心を抱いてしまうことを落ち着かなく感じているだろう。あるいはこの極限状態からなんらかの理解、なんらかの内省、なんらかの自己認識のかけら--道徳あるいは教訓、この世界でいかに振舞うべきかという手がかりといったなにがしかの情報--が得られると思っているかもしれない。可能性がないとは言わない。だがことジェノサイドに関してなら、善悪などとっくにわかっているはずだ。ルワンダの物語をじっくり見ようと思うのは、無視するのが、その存在そのもの、そして自分のそれとの関係以上に恐ろしく思われるからである。
(中略)
ニャルブイェの死者たちは、恐ろしいことだが、美しかった。嘘をついてもはじまらない。〉
上述を読んで思った。
この本をまずは読もう。
ここから何かを学ぼうとか、理解しようとか、教訓にしようとか、そういうことは考えずに、まずは読もうと思った。