14年経っても繰り返します。
意識してはいません。
しかしこの時期、頭が身体が心が、敦のことを強く強く想ってしまいます。
21年10ヶ月の思い出ではなく、1996年1月から3月までの敦との関わりは、まるで昨日のことのように話せます。
1996年の今日午後6時、敦から電話がありました。
敦:GAKU居る?
私:まだ帰ってないよ。
敦:そう、俺のジーンズおっきくなっちゃってさ、GAKUに送ってあげようと思ってね。
私:そうなん、GAKU喜ぶと思うよ。着払いで良いから送ってやって。
敦:それからさ、大浦さんがフロ○****には入らない方が良いって言うんだ。音楽ができなくなるからって。
(私はRYUの家庭教師にお茶を出すところでしたので)
私:ママ今、家庭教師にお茶を出すところだから、こっちから電話するわ。
敦:あ、いいよ、俺これから出かけるから。
この日から敦と連絡が途絶えました。
私は敦が死んだのではないかと、管理人さんに部屋に入ってもらったり、八方手を使って探し回りました。
号泣もしました。
でもこの時は生きていました。
千葉の先輩の家に居候していました。
本人はその先輩宮嶋さんに「少しここで放牧させて下さい」と言ったそうです。
昨夜ミヤジさん(敦は宮嶋さんのことをミヤジさんと言っていましたので)に電話をしました。
正月から一ヶ月もお世話になったそうです。
以前お会いした時に、当時敦がとても疲れてるようにみえたから、もっと居たら良いのに・・と思ったと仰っていました。
2月8日、敦はミヤジさん宅から電話をしてきました。
その後ミヤジさん宅を後に渋谷に行き、赤坂のマンションに戻り亡くなりました。
ミヤジさんに宛てたメモ
何を書きたいんだろ。
今朝から ずっとのたうち回って、泣いて泣いて泣いて。
泣くってすごい疲れます。
昨夜はミヤジさんに電話をした後、敦の父やらGAKUやらRYUに電話して(この時は泣いてません)
リビングで寝てしまいました。
自分との闘いです。
そしたら、今日(さっき)何にも連絡していないのに
重度の肩こりさんから電話。
彼女はどこからか私を見てるのか、と言うほどタイムリーな時に電話をくれます。
びっくりしました。
そして、泣いちゃいました。
子供のようにしゃくり上げて泣きました。
誰の前でも泣けない私は、彼女と
江角さんと
めろんさんの前では泣いちゃいます。
敦からのメッセージでしたね。
私は、”いけないいけない”思いを抱いていました。
今日もその思いが頭を過ぎりました。
そして、、
何気なく今日の新聞の折り込みに入っていた冊子を開いたら、「
死ぬまでは生きよう。夕焼けがきれい」
敦だ、敦が言ってる。
私は昔息子達に、「来て!!すっごい夕焼けがきれいだよ!」って言っていました。
生きんとね。
2010-01-25 16:40:53 | あつし 記