山根敦・死の真実を求めて。

敦は1996/2中旬、人の命を軽んじてきたパロマと産業寄りの行政と、無知な修理工によってCO中毒になり殺されました。

1996年2月8日の事実 

2018-02-08 21:10:09 | 
1996年2月8日10:00am、10日間連絡のなかった敦から電話がありました。
「無事だった!」(私の思い)
そして1時間くらい話しました。
その電話で敦は動き出します。

「放牧させてください」とお願いして、1ヶ月お世話になったM先輩の家をあとに渋谷の郵便局に着いたのが2:00pmです。
そして自宅の赤坂のマンションに向かいます。
その時刻は多分3:00pm前後、そして入浴のためにガスを使い死亡しました。
それが2006年捜査一課からの99.9%の事実としての報告でした。

1996年からちょうど10年後です。
1996年当時いつ亡くなったか正確な日にちがわからず、推測で決めた2月28日の命日。
私達家族は10年間2月28日を命日とし、お位牌にも記した年月日。
ご住職からも変える必要はないと言われ、事実が判明したあともそのまま28日に法要をしてきました。

私は両日ともに大切な日です。
今日大雪の日、お墓参りに行きました。



こんなに積もったことは、これまでありませんでした。
一面真っ白です。
お経を唱え、敦といっぱい話しました。
今年は二十三回忌です。


玄霧院慈音日厚信士

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