山根敦・死の真実を求めて。

敦は1996/2中旬、人の命を軽んじてきたパロマと産業寄りの行政と、無知な修理工によってCO中毒になり殺されました。

1996年1月10日

2018-01-10 22:03:43 | 
あっちゃん、ママあのときのあんたの声が聞えるよ。

『母親、水って水道の蛇口をひねれば出るって思ってるでしょ?
東南アジアではね、蛇口をひねれば水が出て飲めるっていうことが幸せなことらしいよ。
Yちゃんはね、そこで水道を引くボランテイアに参加しているんだよ。
彼女から3時間くらいそんな話を聞いてね、心が洗われたよ。

俺は今、芸能界というところに少しいて、若い奴らなのに「ベンツがどうの・・」とかさ
そんな話を聞いてるとね、、、
家のドアを一歩出ると別人になって、帰ってくるとこれでいいのかって、、、』

Yちゃんね、あんたが亡くなった知らせを受けたときがね、また東南アジアにボランテイアに行く前の日でね。
Yちゃんは迷った末、きっとあんたは「ボランテイアに行ってほしい」と言うと確信して、東南アジアに行かれたの。

そしてそこで知り合った現地の方が、「Yさんがそこまで慕う人は、今空高いところに居る。
私は一生彼のために祈り続けます」
そう言ってくださったそうよ。
ママはね、その言葉を今も昨日のことのように覚えているの。

その方に会いたい。
飛行機が異常に怖いママだけど、行きたいの。
ママの命ある時に必ず行きたい。
会って、お礼が言いたい。





コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年1月3日

2018-01-03 14:58:07 | 
12月31日に行きました。
大雨の日でしたが、お墓参り中は小降りになりました。
お墓に行く途中、これまで話したことと重なる内容もありましたが、敦の不思議なエピソードをたくさん夫に話しました。

1997年5月、ほぼ毎日お墓に行っていた私は、敦は私の姿が見えているのかと「あっちゃん、ママのこと見えてる?!」とつい口をついて出ました。
そして5月の第2日曜日の母の日、あるところに亡くなった人と会話ができるという人がいらっしゃいましてね。
私が尋ねたわけでもないのに、その方がその頃の我が家の様子をお話しなさいましてね、見たように正確におっしゃったのです。
びっくりしていますと、「敦さんから聞いたんですよ」と言われたんです。

私はお墓で質問したことに敦が応えてくれた、「母親、ちゃんと見てるよ」って。
それは母の日の大きなプレゼントでした、今でも忘れられないエピソードです。


玄霧院慈音日厚信士




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする