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山根敦・死の真実を求めて。

敦は1996/2中旬、人の命を軽んじてきたパロマと産業寄りの行政と、無知な修理工によってCO中毒になり殺されました。

2018年1月3日

2018-01-03 14:58:07 | 
12月31日に行きました。
大雨の日でしたが、お墓参り中は小降りになりました。
お墓に行く途中、これまで話したことと重なる内容もありましたが、敦の不思議なエピソードをたくさん夫に話しました。

1997年5月、ほぼ毎日お墓に行っていた私は、敦は私の姿が見えているのかと「あっちゃん、ママのこと見えてる?!」とつい口をついて出ました。
そして5月の第2日曜日の母の日、あるところに亡くなった人と会話ができるという人がいらっしゃいましてね。
私が尋ねたわけでもないのに、その方がその頃の我が家の様子をお話しなさいましてね、見たように正確におっしゃったのです。
びっくりしていますと、「敦さんから聞いたんですよ」と言われたんです。

私はお墓で質問したことに敦が応えてくれた、「母親、ちゃんと見てるよ」って。
それは母の日の大きなプレゼントでした、今でも忘れられないエピソードです。


玄霧院慈音日厚信士




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11月28日 月命日

2017-11-28 06:18:52 | 
早いもので、もう11月の終わりです。
先日(21日)にお墓に行きました。
敦のお墓の周りは、あと一区画しか空いていません。
お墓を作った1997年1月は、まだ周囲がたくさん空いていました。

月日の早さを感じます。
まる20年、敦はここに居ます。
出かけることが大好きな敦ですから、あちこち飛び回っていますが
来年は、もう44歳になります。

すっかりおじさんの敦、想像できないところが切ないです。



玄霧院慈音日厚信士

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9月28日月命日

2017-09-28 15:04:29 | 
直前まで降っていた雨が見事に上がり、一面の青空です。
いつもの敦マジックです╰(*´︶`*)╯♡
敦に、27日に来るね、って言ったのですが月命日の今日行きました。
23日に三男が供えてくれた花がまだまだ綺麗で、整えるだけで蘇りましたよ(^_^)

お経を上げて、ゆっくりおしゃべり。
癒されました。


玄霧院慈音日厚信士

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秋のお彼岸

2017-09-23 20:59:19 | 
あっちゃん、今日はねRの娘の運動会だったんだよ。
今ね小学校2年生でね。
お勉強もよくするし、バレエも習っているの。
「あっちゃん」って言ってるよ、聞こえているでしょ?

お盆の送り火の時、「あっちゃん帰るの? 帰らなくていいのに」って言ったの聞こえた?
あっちゃんのことが好きみたいよ(笑)
姪っ子だけどね、「あっちゃん」って(*^_^*)

Gね、頑張っているの見えてるでしょ?
オープンは9/11だったんだけど、行列ができたり、毎日200~300人のお客さんが来てくれるらしいよ。
これからGが決断することも応援してね!
いつもありがとう!

愛しているよ!

今日は、またR一家が来てくれたでしょ、綺麗にしてくれたね。
ママも9/27に行くからね、待っていてね。



玄霧院慈音日厚信士




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22回目のお盆

2017-08-12 20:11:38 | 
お盆の切ない気持ち、彼方から帰ってくる敦
もう22年も逢っていない敦
逢っていないだけで、常に私の心に居る敦
きっと兄弟の心にも居る敦

弟Gは、どんな所にも兄敦の写真とY家の過去帳を持参し般若心経を唱えています。
弟Rは、兄敦のお墓を守り、お仏壇に手を合わせています。
私はそんな息子たちが愛しくてたまりません。
みんな別れて暮らしていますが、根底の想いは昔と何ら変わりないと思っています。


弟R一家がお盆の設えをしてくれています。


玄霧院慈音日厚信士




Rの娘Mちゃんです^^


家のお仏壇の写真も送ってくれました。




私も久しぶりに見るお仏壇です。
何よりうれしいお供えは、敦のコンタクトレンズです。(写真の右横)
Rは、このコンタクトレンズをとても大切にしてくれています。
毎朝、このコーヒーカップでコーヒーを供えてくれているそうです。

母である私の代わりをきちんとしてくれています。
涙が出るほど嬉しいです!

コメント (2)
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次男の墓参り

2017-06-27 20:38:55 | 
今日、弟G一家が敦のお墓参りをしました。
交通手段がなく、歩いてお墓まで行ったそうです。
途中花屋もなく、お花無しですが、兄である敦は心から喜んだと思います。
G一家は、7/5チリのサンティアゴに向け出発します。

兄敦の夢を実現したく、アメリカ永住を申請していましたが、このところの情勢でその想いは叶いませんでした。
ですが、Gの幼い頃からの夢であった南米の生活が、ひょんなことから実現します。
親である私は、寂しさはひとしおですが、彼の夢を喜び精一杯の応援をしようと決めました。
きっと敦が、弟の兼ねてからの夢を後押ししたのだと思います。

茶色のお水入れは、Gの手作りなんですよ。
もう、何年も使っています。


玄霧院慈音日厚信士





幸あれ!
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敦蛍

2017-06-11 06:31:06 | 
4月以来久しぶりのお墓です。
この時期からお墓も草がぐんぐん伸びます。
伸びていました、4月に上げたお花は化石化していました。
お墓をきれいに磨き上げると、こちらの気持ちまで嬉しくてすっきりします。

いつも思うのです。
この嬉しい気持ちは、きっとお墓に居る敦の気持ちだろうと・・
もちろんお墓にじーっとしているわけではなく、私のところにも来てくれますが...
今年も蛍に会いに行きました。
敦蛍です。

熊野大社まで会いに行きました。



「遠くなって、いつもお墓に行けなくてほんとにごめんね・・」



玄霧院慈音日厚信士


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2006年4月10日、このブログをはじめた時のトップの記事です

2017-04-19 09:28:00 | 
1974年4月19日9:28、山口県宇部市の大学病院で生まれました。
体重3590グラム身長55センチ。
妊娠五ヶ月の時に切迫流産になりましたが、無事に生まれてくれました。
私の実家で里帰り出産しました。
実家は四人姉妹でしたので、私の父の喜び方は尋常ではありませんでした。

生後三ヶ月まで実家に居て、丁度夏休みと重なり、当時高校生と小学生の妹を連れて千葉の船橋に戻りました。
当時夫は、仕事に忙殺されるような毎日を送っていました。
夫25歳、私21歳の時でした。
それでも夫は家に仕事を持ち帰り、初めての育児に疲れている私に代わって、敦を背負って仕事をしてくれたりしていました。

そんな中益々仕事が忙しくなり、私と敦は暫く実家に帰ることにしました。
敦が七ヶ月の頃です。

その間夫は、夫の故郷の島根県職員の上級職を目指して勉強していたらしいです。
翌年夫は無事に合格し、初勤務先の島根県の浜田に赴任して親子三人の生活が始まりました。
浜田には三年間居ました。敦は4歳になっていました。
それから松江の本庁勤務となり、家族も4人になりました。








***

この日は奇しくも、敦が大好きな宇部のおばあちゃん(私の母)の誕生日だったんですね。
今気づきました。

そして、敦の誕生月でもあったんですね。

敦の強い遺志を感じます。

本日敦は43歳になりました。

四十三迎えし吾子は 空高く 「年取ったね」とお返しさせてよ


1974年2月19日、義兄の結婚式から帰る汽車の中。
父と私とお腹の中の敦。

大事に と 身重気遣う温かさ 父と眺むる車窓の夕陽

その光景がありありと甦りました。
私の親友桃さんからいただきました。

桃さん、ありがとう!
    
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もうすぐ43歳の誕生日

2017-04-09 21:01:16 | 
4月19日は敦の43回目の誕生日です。
少し早かったのですが、4/7にお墓に行ってきました。
43歳といいますと、私の43歳の誕生日のことを思い出します。
1996年1月18日私の43歳の誕生日、敦がいつものようにおめでとうコールをくれましてね。

そのときに、「母親も43歳かぁ、年取ったね~」って(笑)
敦と同じ年の友人のお母さま方よりも、少し若い私でした。
ですから、いつも若いお母さんと言われ、そのことが敦は少し嬉しかったようなのです(笑)
その母も、あらら年取ったんだねぇ~、と思ったのでしょう(^_^;)

敦に祝ってもらえた最後の誕生日でした。
そして、敦を喪った私の43歳でもありました。


玄霧院慈音日厚信士



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三男一家がお参りしてくれました

2017-03-05 20:00:47 | 
祥月命日に、私が行けなかったので三男一家がお参りしてくれました。
敦の死の知らせがあった1996年3月18日、三男は小学校の卒業式直後でした。
現在は家族を持ち、父親と暮らす頼もしい大黒柱となりました。
月日が経つのは早いと思ってきましたが、息子を見ているとやはり歳月の長さを感じます。

母親としては、ただただ息子たちの幸せを願います。
家族が健やかで、小さな幸せに喜びを感じる平凡な人生を送ってほしいです。
送ってくれたお墓の写真を見ながら、しみじみとそう思いました。


玄霧院慈音日厚信士






ありがとう!Mちゃん(*^_^*)
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