30回目のお盆
1996年8月の初盆
敦の祖父母・叔父叔母・いとこたち・大叔母夫妻とその息子くん。
「あっちゃ~ん!」と呼びながら迎え火を焚く。
それからも、お盆が来ると一層切なくなり、敦の姿を掻き抱く。
30年の間には、敦に続き彼方に行ってしまった親族たちも。
彼方が賑やかになり、昔々のように敦がムードメーカーになり、きっと面白い話をしているに違いない。
あと3年で、三十三回忌。
先達になってしまったね。
玄霧院慈音日厚信士

敦が存命でしたら51歳になります。
姿形は21歳10ヶ月ですが、私の中では成長しているのです。
次男三男は確実な成長を見ることができます。
敦はこの目では見えませんが、心の目では感じます。
たくさんのことをまるで見えるが如くに教えてくれるのです。
29年の間にそれをキャッチする事ができるようになりました。
それが私の生きる支えになっています。
AIの世界では亡くなった人の姿を蘇らせる技術が進んでいるようです。
敦の姿・声・喋り方・考え方等々を読み込ませて、51歳の敦と話すことを想像したりします。
会いたい、触りたい。
山根敦

あっちゃん
あっちゃんと会えなくなって29年も経つんだね。
振り返ると家族に沢山の変化があった。
ママの身体からは溢れるほどの涙が何回も出たけれど、72歳になったママは泣き虫だけど強くなったと思うよ 笑
見てるよね。
弟たちもそれぞれの居場所で家族と穏やかに仲良く暮らしています。
パパと見守ってくれてありがとう!
ママも命のある限り、3人の息子を愛おしく大事に想い続けるでしょう。
もちろんその家族もね。
玄霧院慈音日厚信士


2023年12月25日
これは一昨年のクリスマスにドイツに住む次男が送ってくれたメッセージです。
そして、一昨年の12/17息子たちの父親の一周忌の席で、三男が次男のメッセージと同じような内容の事を私に言いました。
「お兄ちゃんのことがあって、大きな痛みを抱えた父親と母親がどれほど苦しんでいたか見てきた。そして僕も親になって、改めてその気持ちが想像できる。
でも今は、みんな離れているけれど、みんな平穏に暮らしてる。これって奇跡だと思う。」
そして再婚した夫のことを、二人の息子たちは称賛してくれます。
次男のメッセージと三男の言葉は私の宝物です。
5人家族が3人になりましたが、それぞれの家族を合わせると大家族になりました。
彼方にいる二人もそれぞれの心の中で生きています。
あけましておめでとうございます。
年賀のご挨拶は久しぶりです。
母の他界に始まり5年ぶりです。
思いも寄らない息子たちの父親の急逝から2年経ちました。
三男は昨年の暮れに三回忌の法要を自宅で執り行いました。
三男は父親と長い年月を過ごし、喪主のお役目もきっちり果たしました。
家族葬でしたが彼の伯父や家族の前で、父親のこと父から学んだこと、これからの生き方を淡々と話しました。
それを聴いていたであろう父親は、きっと安堵したことでしょう。
私も2年経ってやっとお話しをする気持ちになれました。
私達家族は次男はドイツ、三男は東広島で単身赴任中(毎週末には家族のもとに帰っていますが)、私は広島。
それぞれ離れてはいますが、5人家族だったころと変わりない気持ちでいます。
今回の墓参りは三男一家にお願いしました。
頼もしくなった末っ子に乾杯!
玄霧院慈音日厚信士

今夏は強烈な暑さでした。
お彼岸のこの日も暑かったのですが、時折吹く風は秋の風でした。
雨の予報でしたが、またしても晴れ。
お盆もお彼岸も真理ちゃんのお母さまと入れ違いでした。
折りに触れ参ってくださいます。
先日は福岡の幼馴染みの大ちゃんも参ってくださり、前回のウイスキーとは違いジンをお供えしてくださっていました。
敦も私も嬉しくてうれしくて感謝の気持ちでいっぱいです。
このブログもお終いにしようかと思いましたが、2006年からの敦と私の記録です。
それと、遠くに住む敦のご友人から「お墓参りに中々行けないので、ここでお墓参りをさせてください。」という言葉をいただきました。
敦の三十三回忌は2028年です。
私の生きる目標の一つは敦の三十三回忌を執り行うことです。
せめてそれまでは、このブログも続けようと決心しました。
「敦のことを忘れないでください」と言った葬儀から28年経ちました。
今もその気持ちに変わりはありません。
ブログを訪ねてくださる皆さまに感謝しています。
これからもよろしくお願いいたします。
玄霧院慈音日厚信士


雲はまだ夏でした。
思い当たる暑さの表現の最たるもの、酷暑?炎暑?激暑?
外にいると息苦しささえ感じる暑さです。
そんな中、三男一家とお墓参りに行きました。
5人で草抜きをすると速い速い。
孫娘が花筒を綺麗に洗ってくれます。
いろいろ話をしながら草を抜き、あっという間に綺麗になりました。
敦も父親も私たちの話を聞いていたでしょう。
あとはいつものようにお経を唱えます。
墓地は多くの参拝者でいっぱいでした。
それぞれの想いで墓石を磨き、手を合わせるお盆。
亡き人を思う瞬間は日常的にもあるでしょうが、お盆の風情は切なかったりしながらも亡き人をより身近に感じたり....
ですが、こんなに淡々と言えるようになるまで幾年月も要しました。
お盆近くになると、お盆用品が並び始める。
それを目の当たりにすると息が苦しくなる。
色々な想いを堪らえて盆飾りをする。
今は父親と一緒の敦。
三男が「父親が亡くなって悲しくて悲しくていっぱい泣いたけど、お兄ちゃんはずーっと長い間一人ぼっちだった。
それを思うとあんまり泣いたらお兄ちゃんに申し訳ないね」
そんな三男にとって、父親を見送って二回目のお盆です。
玄霧院慈音日厚信士

誕生日以来なかなか来られず。
やっと来られたのに、猛暑酷暑。
着いたのが2:00am、霊園の草は伸び放題です。
もちろんお墓の草も伸びています。
5分居るだけで汗が吹き出してきます。
急いでお供えの湯呑みを洗い、新鮮な水を溢れるほど注ぎ。
墓石にくっついている枯れた花をこそぎ落とし。
新しい花を供えます。
いつもは嬉しい太陽ですが、この日ばかりは肌を刺す太陽に思えました。
草抜きは断念して、お経を唱えます。
草の伸びたお墓、ごめんねと謝りながらお墓を後にしました。
2018年2月8日の大雪の日の墓参りより堪えました。
玄霧院慈音日厚信士

この日は敦の父親の月命日。
草取りできなくてすみません。

今日は敦の50回目の誕生日。
「敦の50歳」私は想像することしかできません。
いつもいつ心の中で会っているのは21歳10ヶ月の敦です。
浄土にて 五十路迎えし愛し子よ
お洒落してるか 白髪はあるか
今朝、朝焼けを見て敦を想っていたら、心友からLINEが届きました。

2024年4月19日5:55am

余りにもタイムリーな短歌をいただきました。
涙しながら朝焼けを見ていた私を、まるで見ているかのように詠んでくださっています。
ポッキーは敦と私の思い出なのです。
毎年こうやって敦の誕生日を祝ってくださっています。
喜んでいる敦の顔が目に浮かびます。
山根敦

今年は、1996年とまったく同じカレンダー
次は、また28年後。

28年前をなぞるような毎日。
明日は敦の葬儀の日。
玄霧院慈音日厚信士

私がお墓参りに行けなかったので、Rのお嫁ちゃんと孫娘のMちゃんが参ってくれました。
みぞれが降る中、草抜きをしてお花を手向けて。
ありがとう!