F-308
この歌を知っている人は少ないのではないか。
国安 修二 という人の曲である。2004年8月発売とある。
たこぼうずも 顔は知らなかったので ユーチューブで見たら
村下 孝蔵さんに似ていて驚いた(笑)
このテの顔は 声がいいのであろうか?・・・特に根拠はないが(笑)
知る人は少なくても たこぼうずは好きな曲である。
思えば 曲調というか 曲の内容(恋愛模様)も何となく「初恋」と
共通している感情があると・・・ 感じられる。
つまり 果たせぬ恋 である。永遠のテーマだ(笑)
ほとんど前奏もなく キャッチーなメロディーが始まる
風にほどけた 長い髪 いつまでも 手を振ってた
と始まる。
このあと出てくる 渋谷あたりでのデートの帰り道、彼女の横浜の家の
近くまで送っていったときの せつないシーンであろう。
遠ざかる 僕のクルマに いつまでも手を振っていた・・・
余計なことだが たこぼうずは 長い髪の女性に弱い(笑)
目黒通り 横浜まで 君を送ったあとの ひとりぼっちのシート
ラジオから 流れてた セントラルパークの スカボロ・フェア
たこぼうずがデートは渋谷と断定するのは この目黒通りを通って横浜までの
ルートだと 出発は渋谷かな?と思ったからである。妄想だ(笑)
たこぼうずにも かすかに経験があるが 彼女を送ったあとの帰り道は
長いとつらいものがある。横浜から東京に戻るとなると それなりに
つらい時間も長くなる。
孤独をかみしめる時間である。
そこにラジオから セントラルパークでの サイモン&ガーファンクルの
復活コンサートが流れてくる。
1981年9月だ!・・・調べた(笑)
自慢するのだが たこぼうずはこのコンサートのDVDを 所有している。
スカボロ・フェアとかの感傷的な曲が 気持ちにぴったり きたのだろう。
April Come She Will などもぴったりではないだろうか?
明日に架ける橋 では断じて ない(笑)
ピアノを教える君と ドーナッツショップの僕はあのころ
誰にも祝福されぬ 愛を それでも 守ろうとしていた
ねぇ あんなに誰かのことを ねぇ あんなにもう愛せない
格差恋愛 ということを言いたいのであろうか。
しかし たこぼうずが 仮にミスドの店員として 相手の彼女が
ヤマハのピアノの先生であったとしても 感覚的には問題ない(笑)
しかしながら 皇族の女性とたこぼうずでは 問題かもしれない(笑)
もう家には 戻らないと 泣きながら電話する 君の横顔見てた
5年後の 僕たちが 心にうまく 浮かばない
せつないところである。
彼女の決意はうれしいけれど・・・重い・・・ということか?
若いころの5年後など まったく予測不能である。
たこぼうずの場合なら 5年後生きているか 予測不能である(笑)
かとを踏んだ靴で レールの上を 危なげに渡る
確かな場所へ ふたり たどりつけると 信じていたね
生活も気持ちも 不安定な今から しあわせで安定した ふたりに
なっていくと 信じようとしていたに 違いない。
妄想だ(笑)
男女の関係で 安定した気持ちでいられる時期は ほとんど・・・ない!
ねぇ よろけて 踏み外した時 ねぇ つないだ手がほどけたね
ねぇ どうして 愛した人と ねぇ どうして結ばれないの
この曲の最後までくると 主題がはっきりしてくる。
つまり 人は等しく 初恋にせよ それ以後の恋愛にせよ 成就しないと
言っておるのだ。正しい認識である(笑)
人は 愛した人と結ばれないか
愛した人を愛せなくなるか の どちらかである
たこぼうずは この定説に敢然として立ち向かっているところだ(笑)
では では
この歌を知っている人は少ないのではないか。
国安 修二 という人の曲である。2004年8月発売とある。
たこぼうずも 顔は知らなかったので ユーチューブで見たら
村下 孝蔵さんに似ていて驚いた(笑)
このテの顔は 声がいいのであろうか?・・・特に根拠はないが(笑)
知る人は少なくても たこぼうずは好きな曲である。
思えば 曲調というか 曲の内容(恋愛模様)も何となく「初恋」と
共通している感情があると・・・ 感じられる。
つまり 果たせぬ恋 である。永遠のテーマだ(笑)
ほとんど前奏もなく キャッチーなメロディーが始まる
風にほどけた 長い髪 いつまでも 手を振ってた
と始まる。
このあと出てくる 渋谷あたりでのデートの帰り道、彼女の横浜の家の
近くまで送っていったときの せつないシーンであろう。
遠ざかる 僕のクルマに いつまでも手を振っていた・・・
余計なことだが たこぼうずは 長い髪の女性に弱い(笑)
目黒通り 横浜まで 君を送ったあとの ひとりぼっちのシート
ラジオから 流れてた セントラルパークの スカボロ・フェア
たこぼうずがデートは渋谷と断定するのは この目黒通りを通って横浜までの
ルートだと 出発は渋谷かな?と思ったからである。妄想だ(笑)
たこぼうずにも かすかに経験があるが 彼女を送ったあとの帰り道は
長いとつらいものがある。横浜から東京に戻るとなると それなりに
つらい時間も長くなる。
孤独をかみしめる時間である。
そこにラジオから セントラルパークでの サイモン&ガーファンクルの
復活コンサートが流れてくる。
1981年9月だ!・・・調べた(笑)
自慢するのだが たこぼうずはこのコンサートのDVDを 所有している。
スカボロ・フェアとかの感傷的な曲が 気持ちにぴったり きたのだろう。
April Come She Will などもぴったりではないだろうか?
明日に架ける橋 では断じて ない(笑)
ピアノを教える君と ドーナッツショップの僕はあのころ
誰にも祝福されぬ 愛を それでも 守ろうとしていた
ねぇ あんなに誰かのことを ねぇ あんなにもう愛せない
格差恋愛 ということを言いたいのであろうか。
しかし たこぼうずが 仮にミスドの店員として 相手の彼女が
ヤマハのピアノの先生であったとしても 感覚的には問題ない(笑)
しかしながら 皇族の女性とたこぼうずでは 問題かもしれない(笑)
もう家には 戻らないと 泣きながら電話する 君の横顔見てた
5年後の 僕たちが 心にうまく 浮かばない
せつないところである。
彼女の決意はうれしいけれど・・・重い・・・ということか?
若いころの5年後など まったく予測不能である。
たこぼうずの場合なら 5年後生きているか 予測不能である(笑)
かとを踏んだ靴で レールの上を 危なげに渡る
確かな場所へ ふたり たどりつけると 信じていたね
生活も気持ちも 不安定な今から しあわせで安定した ふたりに
なっていくと 信じようとしていたに 違いない。
妄想だ(笑)
男女の関係で 安定した気持ちでいられる時期は ほとんど・・・ない!
ねぇ よろけて 踏み外した時 ねぇ つないだ手がほどけたね
ねぇ どうして 愛した人と ねぇ どうして結ばれないの
この曲の最後までくると 主題がはっきりしてくる。
つまり 人は等しく 初恋にせよ それ以後の恋愛にせよ 成就しないと
言っておるのだ。正しい認識である(笑)
人は 愛した人と結ばれないか
愛した人を愛せなくなるか の どちらかである
たこぼうずは この定説に敢然として立ち向かっているところだ(笑)
では では