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たこぼうずの我楽多呆告

とある事情から浜松市在住の医療関係者となった 風来坊の突発的日記

37「ねぇ」を唄う

2022-11-04 10:57:18 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-308
この歌を知っている人は少ないのではないか。
国安 修二 という人の曲である。2004年8月発売とある。
たこぼうずも 顔は知らなかったので ユーチューブで見たら
村下 孝蔵さんに似ていて驚いた(笑)
このテの顔は 声がいいのであろうか?・・・特に根拠はないが(笑)

知る人は少なくても たこぼうずは好きな曲である。
思えば 曲調というか 曲の内容(恋愛模様)も何となく「初恋」と
共通している感情があると・・・ 感じられる。
つまり 果たせぬ恋 である。永遠のテーマだ(笑)

ほとんど前奏もなく キャッチーなメロディーが始まる

風にほどけた 長い髪  いつまでも 手を振ってた

と始まる。
このあと出てくる 渋谷あたりでのデートの帰り道、彼女の横浜の家の
近くまで送っていったときの せつないシーンであろう。
遠ざかる 僕のクルマに いつまでも手を振っていた・・・

余計なことだが  たこぼうずは 長い髪の女性に弱い(笑)

目黒通り 横浜まで  君を送ったあとの ひとりぼっちのシート
ラジオから 流れてた セントラルパークの スカボロ・フェア


たこぼうずがデートは渋谷と断定するのは この目黒通りを通って横浜までの
ルートだと 出発は渋谷かな?と思ったからである。妄想だ(笑)
たこぼうずにも かすかに経験があるが 彼女を送ったあとの帰り道は
長いとつらいものがある。横浜から東京に戻るとなると それなりに
つらい時間も長くなる。
孤独をかみしめる時間である。

そこにラジオから セントラルパークでの サイモン&ガーファンクルの
復活コンサートが流れてくる。
1981年9月だ!・・・調べた(笑)

自慢するのだが たこぼうずはこのコンサートのDVDを 所有している。

スカボロ・フェアとかの感傷的な曲が 気持ちにぴったり きたのだろう。
April Come She Will などもぴったりではないだろうか?
明日に架ける橋 では断じて ない(笑)

ピアノを教える君と ドーナッツショップの僕はあのころ
誰にも祝福されぬ 愛を それでも 守ろうとしていた
ねぇ あんなに誰かのことを  ねぇ  あんなにもう愛せない

格差恋愛 ということを言いたいのであろうか。
しかし たこぼうずが 仮にミスドの店員として 相手の彼女が
ヤマハのピアノの先生であったとしても 感覚的には問題ない(笑)
しかしながら 皇族の女性とたこぼうずでは 問題かもしれない(笑)

もう家には 戻らないと  泣きながら電話する 君の横顔見てた
5年後の 僕たちが 心にうまく 浮かばない


せつないところである。
彼女の決意はうれしいけれど・・・重い・・・ということか?
若いころの5年後など まったく予測不能である。
たこぼうずの場合なら 5年後生きているか 予測不能である(笑)

かとを踏んだ靴で レールの上を 危なげに渡る
確かな場所へ ふたり たどりつけると 信じていたね


生活も気持ちも 不安定な今から しあわせで安定した ふたりに
なっていくと 信じようとしていたに 違いない。
妄想だ(笑)
男女の関係で 安定した気持ちでいられる時期は ほとんど・・・ない!

ねぇ よろけて 踏み外した時   ねぇ  つないだ手がほどけたね
ねぇ どうして 愛した人と    ねぇ  どうして結ばれないの


この曲の最後までくると 主題がはっきりしてくる。
つまり 人は等しく  初恋にせよ それ以後の恋愛にせよ 成就しないと
言っておるのだ。正しい認識である(笑)

人は 愛した人と結ばれないか
愛した人を愛せなくなるか の どちらかである

たこぼうずは この定説に敢然として立ち向かっているところだ(笑)

では では




36「悲しいほどお天気」を唄う

2022-10-30 16:49:42 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-307
ユーミン50周年記念 第2弾!ということである。
この曲は1990年だからずいぶん昔の発売であるが 
そのみずみずしい印象は 今でも持続中である。

曲の背景はどんなかというと
若いとき 画家を目指していた 恋人同士が その後いろいろあって
別々な人生を歩くことになったが その別れた彼から個展の案内葉書が
届いたことで 昔の彼とのことを思い出すというものである。

上水ぞいの小径を ときおり選んだ
夏の盛りの日も  そこだけ涼しくて
名もない蔦や柳が ひくくたれこめて
絵を描く私達   それぞれひとりにさせた


二人で暮らすアパートが上水から近かったのであろうか。
どうやら 同棲中と思われる(笑)
みどりの多い堤防沿いは 絵を描くには絶好のポイントだ
ちょうど 桜や柳が日陰をつくってくれたのだろう。暑さがしのげた。
でも絵を描くときは それぞれ構図が違うので 別れてキャンバスに向かった
のであろう。
静かであって 確かな時間が ゆっくりと過ぎたに違いない。しかし

まるで 先の人生を 暗示するように
みんな まだ 気づかず すごしていたんだわ
ずっと いっしょに 歩いていけるって 誰もが思った


その時に 別れる予感があったかは わからないけれど
ずっと この人と一緒に絵を描いていける と思っていたのに違いない。
脆い確信である(笑)
でも 少しづつ 二人の気持ちは離れていったのだ。
それとは わからないくらい ゆっくりと・・・

そして二人の人生は 静かに遠く離れていったのだろう。
深い悲しみの時間を長く 味わったに違いない。
たこぼうずにも 近い経験はある(泣)
自分は絵の道に進むのをあきらめてしまった。それもつらい選択だったろう。

そして 語りつくせない長い年月が経過した。

拝啓 今はどんな絵 仕上げていますか
個展の案内の 葉書きが うれしかったの


突然届いた 別れた彼からの個展の案内葉書 に思わず気持ちが揺らいだ。
何度も読み返したことだろう。
受け取ったときのドキドキが伝わってくるようである。

臆病だった私は 平凡に生きている
みんなまだ 信じてすごしていたんだわ
ずっと 一緒に歩いてゆけるって 誰もが


それほど 仲のいい二人だったのだろう。
平凡に生きて行く道を選んだことは 決して間違ってはいない。
だいたい ほとんどの人は「平凡に生きている」のだ(笑)
ただなつかしい昔の気持ちを 懐かしむだけである。
自分には 必要な 大切な 彼との時間であった。

いつまでも 私の心のギャラリーにある
あなたの描いた風景は
悲しいほど お天気


彼の描いた 上水沿いの風景画は わたしの心のなかでは
すばらしい 澄んだ青空であるけれども
ほんの少し 悲しみを含んだ青空である 心の痛みを映した青空である。
ということだろうか。

最後に気になることがある・・・
それはその後 彼女は その個展に行ったか?という
疑問であるが・・・おそらく 行かなかったであろう・・・と思われる。
彼の 成功した姿を 何よりその絵を  見たくないわけではないが・・・
心のなかのギャラリー つまり 思い出 は大切にしたいからである。
だって 行ったとして、本当に彼に出くわしてしまったら 
何を言っていいか わからないではないか!
どんなふうに向き合ったらいいか わからないではないか!

そうは 思わないかね 諸君。

では では



35「やさしさに包まれたなら」を唄う

2022-10-28 16:01:23 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-305
ユーミンがデビュー50周年だ。
さっそく記念のCDアルバムを購入した。3×CDと1×DVDである。
50曲ばかりを 人気投票などを参考に選んだらしい。

たくさんユーミンのCDを持っているのに また買ってしまうということは
冷静ではないということであり、ファン心理ということなのだろう(笑)

ユーミン全曲集などが 将来発売されたときに どうするのだろう。
クルマの購入をあきらめても 買ってしまうのではないかと
自分事ながら 心配である(笑)

そして 昨日友人のカマス君とカラオケに行き、
「ユーミンナイト」ということで ユーミンの歌しか唄ってはいけないという
つまり ユーミンしばり のカラオケを楽しんだ(笑)

なかなか盛り上がりましたよ。そのなかで
たこぼうずが唄ったなかから1曲紹介する。
それが名曲「やさしさに包まれたなら」である。
多くの人が知る楽曲であろう。
1994年6月発売とあるので ずいぶん時を経ている。
しかしなが 近年 ますます みずみずしさ さわやかさ、かがやき が
増幅している印象がある。

軽快な前奏から 素敵な朝の歌が始まる。

小さい頃は 神さまがいて   不思議に夢を かなえてくれた
やさしい気持ちで 目覚めた朝は おとなになっても 奇跡はおこるよ

たこぼうずにも子供時代があり、確かに 両親がいろいろと手助けを
してくれたと思う。神様ではないが 確かにサンタクロースも我が家を
訪問してくれたことがある(笑)

しかしユーミンは 大人になっても 奇跡はおこる というのだ。
それは確かなことだろうか?
それとも 大人になると 「奇跡」のことを「偶然」と呼ぶのだろうか?
何と悲しい変換であろうか。

カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ


すがすがしい朝に カーテンを開くと
やわらかな木漏れ陽 が自分を包んでくれて やさしい気持ちに満たされる・・・
たこぼうずは 残念ながら そんな朝をむかえた記憶はないが(笑)
その朝のおだやかな風景や 部屋の雰囲気から いろいろなメッセージが
伝わってくるのを感じるということだろう。
凄まじい穏やかさと 繊細な感性であろうか!

たこぼうずの部屋など カーテンを開くと・・・ただまぶしいだけである(笑)

ひとことで言えば「おしゃれな朝」である

小さい頃は 神さまがいて 毎日愛を届けてくれた
心の奥に しまい忘れた 大切な箱 ひらくときは今


しまい忘れた大切な箱とは何なのか?
それはきっと 自分のピュアなこころを閉じ込めた箱 ということか?
それを解き放てば さまざまな メッセージが自分にも伝わるのであろう。

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる 全てのことは メッセージ

ステキなくちなしの花の香りが 箱を開くカギになるに違いない。

こんなすばらしい朝を たこぼうずも迎えたいものである。
できれば 素敵な女性と・・・(笑)

では では

34「初恋」を唄う

2022-10-23 16:56:25 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-304
「初恋」は 村下 孝蔵 さんの作詞、作曲であり 1990年の発売である。
1999年には 村下さんは46歳の若さで亡くなっている(合掌)
彼の最大のヒット曲であり、カラオケで唄われることも いまだ多いので
多くの人に愛されている作品なのだろう。

何せ「初恋」がテーマであるから
ロマンチックでありセンチメンタルの極致というような作品であり
実は 日本人が最も愛する心情である・・・間違いない(笑)

誰にでも・・・たこぼうずにも初恋の思い出というものはあるもので
容姿には関係がない。
たこぼうずも 当時は髪の毛が豊富であった(笑)

心を震わせるような 前奏のあと

五月雨は緑色  悲しくさせたよ ひとりの午後は
恋をして 淋しくて  届かぬ想いを 暖めていた


つまり好きな人はいるのだが 打ち明けられないでいる ということだ!
ごくあたりまえに どんな男子にもあることであり そのことが
この楽曲の人気が衰えない理由であろう。
思い当ることが ・・・ あるのだ(笑)

さて すぐに有名なフレーズに入ることになる。

好きだよと言えずに 初恋は ふりこ細工の心
放課後の校庭を 走る君がいた
遠くで僕は いつでも 君を探してた

さらにダメ押しのセリフが加わる

浅い夢だから 胸をはなれない

ここまでが一番の歌詞である。
ふりこ細工の心・・・とは・・・? こころがゆらゆら不安定ということか
ふりこ細工というものは 実際に存在するかわからないが 意味はわかる(笑)

彼女は陸上部?であろうか。
この校庭を走る彼女を見ている僕 というシチユエーションは 
昔のTVドラマでなら「世界の中心で愛を叫ぶ」と同じであるし
男女 逆にすれば やはり最近のTVドラマの「最愛」と同じである(笑)
いかに この場面が好まれているかわかるというものだ。

浅い夢だと 胸を離れない ものだろうか?
これについては 夢を見ないたこぼうずは言及できない。
しかし 胸を絞られるような こころに響く 一言になっている。
この いつまでも 想いがこころに残る感じはどうだろうか。
つらいが 美しい一節になっている。

夕映えは あんず色  帰り道ひとり口笛吹いて
名前さえ呼べなくて  とらわれた心 見つめていたよ

名前など 軽々しく呼べないもんである。
たこぼうずもそうであった(笑)
初恋のころの苦しさが よみがえってくるようである。

好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
風に舞った花びらが 水面を乱すように
愛という字 書いてみては ふるえてたあの頃
浅い夢だから 胸をはなれない

愛という字を そんなに書いたことはないが
こころが乱れて 勉強どころではなかった記憶がある・・・言い訳(笑)

こんな老人となったたこぼうずにも 中学、高校時代があって
好きな女の子もいたのである(笑)

この歌を唄うときには こころの奥に小さな痛みを感じるし
そのまわりを包む 少し甘い感情も思い出されるのであった。
それにしても 美しいメロディーラインである。神が降りてきたのだろうか?
特に サビの部分については「胸を離れない」(笑)

所詮人は初恋の人とは結ばれないものである・・・ということだろうか?

NHKで最近 昭和のフォークやニューミュージックを聴かせる番組があるが
村下さんが「初恋」を唄う映像が流れたときに
ゲストの 南 こうせつ さんが
村下さんの 声が素晴らしいし、歌がすごくうまいね!
と 最大の賛辞を贈っていたのが印象的であった。

今度の木曜日に唄う予定である(笑)

では では


33「家路」を唄う

2022-09-30 16:01:26 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-300
「家路」は浜田 省吾が唄う印象的なバラードである。
2001年の作品とあるので もう20年以上前の曲であるが
色褪せない 作詞、作曲ともに浜田 省吾の 至宝の作品だ。

浜田 省吾の作品は男っぽいものがほとんどであるが
この曲は 夕暮れに 孤独な男が家路につく途中で ふと自分の人生
について想いを馳せ、そして生きていく決意を新たにするという
深~い内容である(笑) とびきり男っぽい作品だ。

静かではあるが わずかに光を感じるピアノの前奏のあと 
ゆったりと曲は始まる。


青く沈んだ 夕闇に 浮かぶ街を見おろし
この人生が 何処へ俺を 導くのか 尋ねてみる

帰り道、丘の上からであろうか まだ空に青い色彩が残っている時間帯である。
ひとり自分の人生について、特にそのやぶれた恋愛について考えてしまったのだ。
風景の美しさとはかなさが ふと人をもの想いに誘うことがある。

手に入れた 形あるもの やがて失うのに
人はそれを夢と名付け 迷いの中さまよう


形あるものとは 実体である「彼女」かとも思うのだが
それは「夢」だというのだ。確かに 男のとって彼女は 夢 である。
だから覚めるのだ。
だからなくすのだ。

しかし 形あるものは かならず失うというのは
哲学的表現であり 宗教的表現でもある。
実体であるものは すなわち空虚なものであり
目に見えないもの そこにこそ真実が存在する

こころは誰にも見えないが 確かに存在するではないか(笑)

そして女たちは 愛という名のもとに 俺を上と下に引き裂いた
だけど今でも信じている 心のすべてを奪い去るような真実(ほんと)の愛


この言葉にもたこぼうずがよく言うように 男性の恋愛至上主義が表現
されている。
真実の愛の存在を信じる という ここまでくると「妄想」である(笑)
泣かせる妄想である。現実直視能力に優れている 女性にとっては
とても理解しがたいことであろう。

悲しみ果てしなく  風は夜毎冷たく
人は去り 人は来る  でも気づけば 道標(しるべ)もない道に一人


自分の孤独の深さを感じているのだろう。
結局は自分一人なんだと。
その悲しみの深さに 思わず 薄暮のなか 足がとまってしまったのだ。

しかし この男は そんなに弱い人間ではない。

そして夜が明けたら また生きてくために
生活(くらし)を背負って 歩き出す
疲れた体 次第に何も 聞こえなくなる 感じなくなる  だけど


そんな孤独に負けそうになるのだが・・・だけど!
だけど どうなんだ(笑)

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を 道連れに
空とこの道 出会う場所へ

どんなに遠くても たどり着いてみせる
時のはざまに いつの日か
魂を 解き放って


男のけなげな頑張りを表現した歌である。
勇ましい と同時に うっとおしい(笑)
ほんとうにめげているときには 唄わないほうがいい。
すこし元気がでてきた頃に 唄うと もう少し元気が出る(笑)

J-POPのリポビタンDである(笑)

男は こんな孤独を道連れに 男らしく
頑張って 地平線の果てまで生きていこうとするのであるが・・・
ちょっとカワイイ女の子と出会うと すぐにまた「ロマン派」にもどるのであった(笑)

ちなみに たこぼうずは 生まれてからずっとロマン派である(笑)

では では