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たこぼうずの我楽多呆告

とある事情から浜松市在住の医療関係者となった 風来坊の突発的日記

42「まちぶせ」を唄う

2023-07-27 16:01:20 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-332
この「まちぶせ」は 1976年にシングルカットされた 荒井 由実 作詞 作曲で
編曲は 松任谷 正隆 という夫婦コンビである。もっとも当時は結婚前か?

有名なのは 石川 ひとみ さんが唄うものだが多くの人にカバーされている
名曲である。
当時は 歌謡曲全盛時代でもあるし フォークソング全盛時代でもある。
そこに殴り込みをかけてきたのが ユーミンであり、彼女のつくる音楽は
歌謡曲でもなければ フォークソングでもなかった。

後に「ニューミュージック」と呼ばれるジャンルである。
音楽理論など たこぼうずには皆目わからないのであるが 耳に新鮮だった(笑)
因みに 最初に出会ったユーミンの曲は「中央フリーウェイ」である(笑)

友だちのスズキ君のカーラジオから 流れてきたので
「誰の曲?」と訊いたら
「知らないの? 荒井 由実 という人だよ」と教えてくれた。
その後 團 伊玖磨 のパイプのけむり という随筆に「ひこうき雲」を
すごく評価している文章が出ていて いろいろと聴いてみることになった。

そうそう「まちぶせ」であった。
石川 ひとみさんは かわいいし、声も透明感のある澄んだ声で とてもよかった。
しかしながら 歌の内容は 透明感どころか ドロドロである(笑)
曲調が さわやかだけに 笑えるギャップである。

夕暮れの街角    のぞいた喫茶店
微笑み見つめ合う  見覚えある二人

 
つまり二人共 知っているというのだ・・・同級生か?(笑)

あの娘が急になぜか  きれいになったのは
あなたとこんなふうに 会ってるからなのね


よく好きな人ができると 女性はきれいになるというが そんなことか。
男性は多くの場合 無口になり 不自然になる(笑)

ここで印象的な サビのメロディーが始まる。

好きだったのよ  あなた  胸の奥でずっと
もうすぐわたし  きっと  あなたをふりむかせる

自分が好きだった彼が 実は 知り合いのA子と付き合っていたという
ショッキングな出来事が ここまででは 比較的 さっぱりと語られる(笑)

しかし 本当にショッキングなのは 実はここからの歌詞の内容である。

気のないそぶりして  仲間に加わった
テーブルをはさんで  あなたを熱く見た


これくらいは だれでもやりそうである。
たこぼうずも 高校生のころ 好きな娘の参加しているサークルに無理やり
潜り込んで 一緒に活動したこともある・・・成果はゼロであった(笑)

あの娘がふられたと  噂にきいたけど
わたしは自分から   云い寄ったりしない


なかなかプライドが高く、すなおじゃない 性格である。
つまり イヤナ女である(笑)
さらに このあとがの歌詞が もっとも聴かせどころだと思われる。

別な人がくれた   ラブレター見せたり
偶然をよそおい   帰り道で待つわ


わざと嫉妬心をあおって 関心を引いたり 帰り道で待ち伏せしたり と
すっかり大人のテクニックである(笑)
これに 簡単にヤラれて しまうのが 男の子というものであって
しっかりしろ!と 伝えたいくらいである。

女の子が 男子を恋愛に誘導するのは 簡単なことである。
これは まさしくストーカー行為であるが 男子はなにぶん未熟者であるからして
すっかり 彼女のペースにはまってしまうのである(笑)
なさけない限りである。

男子が女の子に付きまとうと タイホされるが
女の子(かわいい娘)が男子に付きまとっても 厳重注意 である(笑)
むしろ「熱烈歓迎!」かもしれない。

つまり 不平等 である(笑)
これで この世の中はいいのであろうか?
女性の「深い闇」を感じさせる 秀逸な出来栄えの曲である。

たとえ犯罪だとしても かわいい女の子に付きまとわれたい
たこぼうずであった(笑) 

では では




41「風のように」を唄う

2022-12-23 16:05:00 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-316
「風のように」は 小田 和正 さんの曲である。
1997年とあるから そこそこ昔の曲ということのなろうか。

小田さんは たこぼうずが好きな歌い手であり 男性のなかで
ベスト5に入るほどである。
もちろん オフ コース 時代からいろいろ聴いてきた。

小田さんの曲には美しいものが多いが、
これはとびきり 美しくて、力強い 曲である。
たこぼうずは 小田さんの歌のなかでも大好きな曲である。

皆さんはご承知のことと思うが
小田さんの歌で 最大のテーマは「風」である(笑)
たこぼうずは小田さんほど 歌詞に「風」を使うアーティストを知らない。
この「風のように」でも3回出てくる(笑) タイトルを合わせて4回だ。
よほど思い入れのある 言葉なのだろう。

さりげないピアノの前奏のあと

移りゆく時の流れのままに  ただ身を任せているだけなら
高い丘の上にのぼって    風に吹かれていたい

たこぼうずは ひねくれ者であるので この歌詞を読んで
丘の上で風に吹かれていること こそ
時の流れのままに身を任せている ことだと感じるのであるが(笑)
そこは深く考えるところではない ということも承知している。
もう大人だからだ(笑)

失うことを恐れることなく  輝いてた日々を今は忘れて
高く 高く 信じるままに  秋の空のように


何か ひどく打ちのめされるような ことがあって 
自分にとっての栄光のときは もう忘れようというのだ
余程の決意が必要なときになったのだろう
何らかの 人生の分岐点に遭遇したものと思われる

誇りある道を  歩いてく  どんな時も
やがていつか ひとりだけに なってしまうとしても


仲間に裏切られたか したのだろうか 最後に一人になっても、
築いてきたものも失う事態になっても
自分としての誇りを持って 前に進もうというのだ

ここから先へは  もう進めないと くじけそうになる時は いつでも
君のことを思い出して  歩き始める もういちど


好きな人のことを 思い浮かべると 勇気が出るということだろう。
たこぼうずも同じだ(笑) 
彼女の存在が はげみになるというのは よくあることである。
できれば 相手の女性も 僕を思い浮かべて勇気が湧くと
言ってもらいたいものだ(笑)

そして ここから 歌は 挫折からの復活のことでなく
一気に 自分と彼女との 恋愛問題(個人的問題)になってしまう(笑)
しかし 小田さんは ここからが伝えたかった内容なのだ
ということであろう。

そして僕は 君のために  何ができるかと考える
そして僕は 強くなるより やさしくなりたいと思う
             やさしくなりたいと思う


ここに至って 小田さんがほんとうに伝えたかったことが出てきた
やさしい男こそ ほんものの男であるのだと・・・
たこぼうずが子供の頃は けんかが強い男が エライ男であった(笑)
2000年を過ぎた現在ではそんなことはないのであり
やさしい男性が 価値が高いのは当然としても
もっと価値が高いのは やさしい女性であるという時代が訪れた(笑)

あの風のように  やわらかく 生きる君が
はじめて会った時から  誰よりも好きだった


そこから逃げれば 夢はないだろう
振り返るのは 最後だけでいい
その時 Uh はじめて すべてを 語ればいいから


誇りある道を 歩いてく どんな時も
やがていつか ひとりだけに なってしまうとしても
あの風のように  やわらかく生きる君が
はじめて会った時から 誰よりも 誰より好きだった


この歌を唄ってみるとわかるが 
何らかの人生の決断をして 自分の信じる道を進もう!という
強い 高揚感 がある一方で 
やわらかく生きる 彼女への思慕を募らせる という熱いこころが唄われる。
ピリっとした空気のなかで あたたかなお風呂に入っているような・・・(笑)
ちょっとした 違和感のようなものがある
たこぼうずだけに感じられるのだろうか?

おそらく この男は たこぼうずと同じで 自分の熱い恋愛感情を
自分が人生を切り開こうとする 熱い情熱と 混同して(勘違い)して
極端に ハイ な気持ちになっているのだろう(笑)

確かに たこぼうずは この歌を唄うときに
すごく いい気持ちになる。
つまり 自分が誇りある道を歩んでいるような 胸を張って生きているような
そんな気分になる曲である。
俺も 考えてみれば 頑張ってるな・・・と思える。
つまり 自己肯定促進歌 ということが言えるのではないかと考える(笑)
現代においては 有意義な曲である。

あと 不足しているのは・・・やわらかく生きる彼女 だけである(笑)

では では














40「水の影」を唄う

2022-11-25 16:08:47 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-312
今回で一旦 ユーミン50周年記念は おしまいである。
ただし 紹介したい歌はたくさんあるので、また機会をつくって
百名山に加えたいと思っている。
ガマンして読んでくれたまえ(笑)

5曲目は「水の影」である。1999年発表となっている
地味な曲だが 大変深い意味のある曲で、哲学的ですらある(笑)

たとえ異国の白い街でも  風がのどかな となり町でも
私はたぶん同じ旅人  遠いイマージュ水面に落とす


異国の白い街というなら ギリシャ(エーゲ海)の街並みが
頭に浮かぶ。
しかし たこぼうずは 写真や映像でしか見たことはない(笑)
つまり 夢のような 非日常の風景のなかに居ても
家から近い 日常生活の場面に居ても
自分は 自分の人生を歩く旅人としては 同じ人間であるから
同じような感性で 自分の人生を心に映すものだと言っている?のだ。

時は川 きのうは岸辺
人は皆 ゴンドラに乗り  いつか離れて
想い出に手を振るの


時が・・・流れる川とすれば  きょう、きのう・・・過去は 
過ぎ去っていく岸辺である。
人は皆 毎日の生活に流されて ただ想い出にさよならすることがができるだけだ。

という内容だが 二番になると 事の内容が明確になる(笑)
二番は こんな一番のような一般論ではない(笑)

彼と別れたあとの 自分の心の風景を唄ったものであることがわかってくる。

立ち去るときの 肩のあたりに
声にならない  言葉きこえた
あなたをもっと 憎みたかった
残る孤独を   忘れるほどに

まだ彼の声が 聞こえてくるほど 別れて間もないのだろう
立ち去るときに やさしい言葉をかけてもらいたかったのだろうか
何だか彼が 自分の肩越しに声をかけてくれたような気がしたのだ。

しかし もう彼は居ない。 つまり幻聴だ(笑)

「あなたをもっと憎みたかった」というのは
「あなたをもっと愛したかった」と 言い換えても  同じことである(笑)
愛情と憎しみとは 相性がいいのだ!
ダンディーと誠実とは 相性が悪いのはなぜだろう(笑)

よどみない 浮世の流れ
とびこめぬ 弱さ責めつつ
けれど傷つく 心を持ち続けたい


世の中は 自分のこんなにもつらい心とは関係なく
明るく 滞ることなく 流れていくのだが
そんな 世間の無邪気な流れに たくましく身を投じていけない自分・・・
やはり 自分が 臆病で弱いためだろうか

大人になるということは もう何にでも平気になることだからだ(笑)

そうはいっても やはり純粋な、信じる心 愛する心は持っていたいと
思うのであった。
愛すること 信じることとは・・・傷つくことであるからである。
「愛ってよく わからないけど 傷つく感じが素敵」と薬師丸 ひろ子も言っておる(笑)
中島 みゆき は「たかが愛」とも言っておるぞ。

たこぼうずにも思い当ることがある(笑)

これらが わかったうえで 以下の歌詞を聴くと
より深みが 増すというものだ
たこぼうずには そう感じられた(笑)

時は川 きのうは岸辺
人は皆 ゴンドラに乗り
いつか 離れて 想い出に手を振るの


もう いったん岸辺を離れたら 
人は想い出に別れを告げることしか できないのであった。
悲しいことだが それが人生であり 人生の現実である。

たこぼうずは もう長いこと手を振っているので 痛くなってしまった(笑)

では では 













39「Forgiveness」を唄う

2022-11-19 15:56:37 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-311
ユーミン デビユー 50周年記念 第4弾である。
2006年の作品で 自身コンサートでも たびたび唄っているようだ。
表題の意味は 直訳すると「ゆるし」ということになるが
歌詞にも出てくるように「ゆるし合う」と訳したほうがしっくりくる。

恋人同士(夫婦でも) 互いにゆるし合う大切さを唄ったものだが 
こころに 深く しみる歌である。

遠い雲の切れまに  夕日がのぞいて
帰り道 わかるあいだに 仲直りしようよ


夕方 西の空の 雲の切れ間から 少しの時間 夕日が差し込む・・・
そんな風景は とっても美しい・・・神々しい感じがするときさえある。
とびきり こころが透明になる風景であり、時間帯である。
ケンカのあと 二人で散歩に出たのであろうか
あるいは買い物のときにケンカして 自宅に戻るときであろうか
暗くなるまえに 仲直りしようよ・・・と彼女が思ってくれたのだ。
うれしい提案である。
男子からは言いにくいからだ。つまり男子はすなおではないからだ(笑)
たこぼうずには よくわかる。

ところで 歌詞の 雲の切れまに  と  夕日がのぞいて の間
ほんの一瞬 短い間奏があるのだが たこぼうずがぐっとくるポイントである。
軽く聞き流さないようにしてくれたまえ・・・(笑)
とても大切な音のつながりだと思う。

そっと手のひら出して  ごめんねの気持ち
乗せるから  風に向かって やさしくよりそって

ここは カラオケ仲間の いちごさん オコゼさんでは 見解が異なる。
オコゼさんは ごめんねの気持ちを乗せるのであるから 手のひらを上に
していて当然であるという ドライな解釈であるが・・・
いちごさんは カップルが手をつなぐときには だいたい女性が手のひらを
上にすることが多いので、手をつなぐことが仲直りのサインになっていると
いうことではないのかという ロマン派の考えである(笑)

たこぼうずは もちろん いちごさんに賛成だ!(笑)

やさしく寄り添ってという歌詞も 手をつなぐことを表現している
ような・・・気がする・・・願望だ!(笑)

ゆるし合う ほほえみは 神様にもらった
最高の贈りもの どんなことがあっても
大切な誰かを ずっと愛し続けるため


自分にとって一番大切な人を ずっと愛するために
この「ゆるし合う」ほほえみを 忘れてはいけないというのだ!
その通りだ!
しかも どんなことがあっても と念押しされたのだ(笑)
そうしないわけには いかないだろう。

やっとわかり始めた なぜ出会ったのか
これからも数えきれない 涙があることを


どんな人であれ 人との出会いは「偶然」ではあるが
二人が出会った意味がわかったというのは 美しい妄想である(笑)
これで 二人の出会いが「必然」へと昇華されたのだ。
しかも 乗り越えなければならない涙が 誰にでもあるのだ。
たこぼうずにも思い当ることがある?

信じあうまなざしは 神様にもらった
特別な愛の力  孤独に負けないで
大切な誰かを 心に持ち続けるため


しかし そんな涙を 信じあう心で 超えていかなければならないし
しかも そんな孤独感も お互いを信じる気持ちで 克服しなければ
ならないと ユーミンは 言っておるのだ。
それは
なにより大切な人を ずっと想い続けるために・・・
ここでは 信じる心 と 愛する心が 一体となっている。

そんな心を お互いに「ゆるし合う」ことで ずっと続けることができるなら
こんな素敵な 人生があるだろうか。

たこぼうずのような 老年になっても 大切な人に そんなゆるし合う
心を持ち続けることができるのだろうか?
いや
この年齢になって もう少し 生きていくことは ゆるされるのだろうか(笑)
それが心配である。

では では








38「生まれた街で」を唄う

2022-11-11 19:14:11 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-309
ユーミン 50周年第三弾だ!
この歌は2005年発表とある。短い曲だが 印象に残る。

とにかく曲の出だしが衝撃的である。
軽快な特徴ある前奏のあと 突然・・・

いつものあいさつなら どうぞしないで

と始まる。いつものあいさつとはおそらくは「おはよう!」ということだろう。
そのあいさつは しないでくれ と言っているのだ(笑)
唄いだしとしては きわめて斬新である(笑)

たこぼうずなどは 由緒正しい家に生まれたので、朝起きたら きちんと
おはようございます と あいさつをするものだと 教育されてきた(笑)

しかしながら その理由はすぐに語られる。

言葉にしたくないよ 今朝の天気は

そんなにすばらしい天気なのだと・・・納得? させられる。
でも おはよう! がダメなら どんな言葉を投げかければいいのだ?
たこぼうずの共感力をもってしても 難問である(笑)

街角に立ち止まり  風を見送った時
季節がわかったよ


ここまでが一番の歌詞だ。これだけだ(笑)
しかしながら 故郷の街の さわやかな風が たこぼうずにも伝わってくる。
印象的な一節である。

ここからけっこう長い間奏となるが、やはり曲の尺が短いためだろうか。
知り合いの説によると プレーヤーが遊んでいるだけだ という(笑)
そんな見方もあるのか・・・
フルートが印象的な間奏である。

翌日加筆:この間奏であるが あとで二番が終わったあとで演奏されることに
     気づきました。失礼しました。
     少し長い間奏後に 街角に立ち止まり・・・を二回繰り返して
     曲が終わるという構成になっている。
     最後の部分が より強調されるので 強く印象に残るという
     しかけである。あっぱれ!(笑)


生まれた街の匂い やっと気づいた
もう遠いところへと ひかれはしない


たこぼうずも若いときには東京にあこがれもあった。
そして 浪人と留年を経て 6年間 東京で暮らしたが、
結局 浜松に戻ってきたのだ。
医学部に行ったのと同じ年月である(笑)
浜松のよさを感じたのは ずっとあとになってからである。
浜松はいいとこだに(笑)

小さなバイクを止め  風を見送った時
季節がわかったよ


たこぼうずも むかし50CCのバイクに乗っていたことがあったが
そのバイクを止めたのは信号待ちだけである(笑)
ユーミンのような 繊細な感性があれば 故郷のよさをもっとたくさん
もっと自然に 季節の風に 感じることができただろう。
残念なことである(笑)

短い、とても短い曲であるが
ふるさとの さわやかな風を ふと 感じることができる
とっても ステキな曲だと 強く思うのであった。

また ちいさなバイクに 乗ってみようかな・・・

では では