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たこぼうずの我楽多呆告

とある事情から浜松市在住の医療関係者となった 風来坊の突発的日記

NHK「ようこそ先輩 課外授業」を観る

2015-05-10 20:53:25 | たこぼうずの映像中毒
F-105
だいぶ以前から この「ようこそ先輩 課外授業」という番組はやっていて
さまざまなジャンルで活躍している著名人が 故郷の母校で個性あふれる授業を
二日間にわたっておこなう・・・というものである。

その著名人が 型破りな授業をするのはもちろん見どころであるが、その授業によって
生徒達が どんどん変わっていく様を見れるのも醍醐味であり、感動である。

今回 このブログでなぜ 突然とりあげることになったかというと・・・
先日 浜松在住の歴史学者「磯田 道史」先生が番組に登場することを知ったからであった。

磯田先生は NHKのBS歴史館という番組にもよく出演されているし、市の広報誌である
広報はままつ」にも「ちょっと家康(いえやす)み」という連載コラムを執筆されて
いるという、浜松在住の文化人としては超有名な方なのである。
そうそう 著書の「武士の家計簿」は映画にもなったほどだ!
僕は特に知り合いでもなんでもないが お顔くらいは知っていて、たまに繁華街を
自転車に乗って 気持ちよさそうに流しているのを見たことがある。

さて その授業であるが・・・
まず驚いたのが 先生は岡山の出身であるということで、僕は勝手に浜松出身だと思って
いた。浜松人には有名な文化人などおらん!ということが証明されたのである(笑)
科学者なら数名いるのだが・・・理系の街なのであろうか・・・?

授業の冒頭では まず「歴史が好きなひとはいるかな?」とクラス全員に尋ねることから始まる。
半分くらいは好きなようだ。
次に「嫌いなひとはいる?」と訊いたところ、後方の勇気ある男子が手を挙げた。
先生は笑いながら「どうしてかなぁ~」というと
いろいろ覚えなきゃならないから・・・」と答えた。確かに暗記科目だという印象である。
そこで磯田先生は この授業のキモを ずばり発言する。
「そうだな・・・でも歴史は覚えるものなのか?
この授業では歴史とは覚えるものではない!というテーマで進めてみたい」
と言い切ったのであった。

教室の後方では 本当のこのクラスの担任であろう先生と もう一人の先生が苦笑い。
確かに 受験のための歴史はだいぶ覚えることが多かったように記憶している。
覚えてなかったら 試験に落ちてしまうのだ。
その責任をとらされるのは その先生方だろうから「苦笑」は自然な反応であろう(笑)

この授業には「君は秀吉を見たか」という副題がついている。
授業の材料は「羽柴 秀吉」と「備中 高松城 水責め」である。

学校(母校)の窓から見える 半田山というところに秀吉が来たことがある、と伝えて
まず生徒の興味を引き付けた。

そして ここから磯田先生は 歴史学者らしい展開を生徒に示すのである。
「本当に 秀吉は来たのかどうか・・・それは古文書という古い文章に書かれているから
今から それを見に行こう!」と学校の外へ生徒を誘うのであった。
生徒は大歓迎だ! 普段のつまらん授業とは大違いだからだ。

先生はあらかじめ地元の 金万(こんま)家という旧家に連絡をとって、保存してある
高松城水責めの資料を 見せてもらう約束をとりつけてあったのだ。
この旧家は室町時代から続く名家で、応仁の乱にも先祖が参戦したとのことである。
応仁の乱といえば1467年である(驚!)

その旧家の座敷を借りて、生徒と一緒に古文書を読んでみたり、先生が解説したりして
秀吉は確かに この地に来た と証明できるし、その目的は高松城を攻め落とすことだ
と実際の古文書を生徒に見せることで 歴史学的アプローチを皆に示したのだ。

一日目の最後に この秀吉の水責めについては 約3.5キロの長い堤(堤防)を
わずか12日で造ったという 古文書の資料を示して 明日の授業はこの堤防を
実際に見に行くのと、その大きさを実感する授業にしよう!としめくくった。

生徒達は授業内容はもちろんだが 磯田先生の人柄にもぐいぐい 引っ張られているようだ。

二日目はバスで 実際に築かれた堤防の痕跡を見つけに行く
堤防の痕跡は もう3メートルばかりの高さになってしまったが、確かにあったのだ。
そして その高さ(約7メートル)と幅(約12メートル) を長い棒とロープで作り
クレーンで持ち上げて 大きさを実感してもらう。

生徒達の目が輝いているのがわかる 名授業である
勉強もできん たこぼうず が言うのはエラソーではあるが・・・
本当にこんな授業があったら 「歴史」に興味が湧くだろう。
歴史のテストの点数が上がるかは疑問だが、歴史が好きになることは間違いない!

すばらしい授業であった

ところで・・・この番組を見てないからさっぱり書いてあることがわからん!
とお叱りを受けることが想像されるのであるが・・・
なあぁに NHKにはオンデマンドというサイトがあって、そこでは過去の番組、
見逃した番組を見ることができる。それで見てほしい(笑)

ことわっておくが、たこぼうずは公共放送関係者ではないので 本文は宣伝ではない(笑)


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ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」を観る

2015-04-05 20:54:33 | たこぼうずの映像中毒
F-101
このドラマは2004年にTBSで放映された当時大変注目されたものである。
「セカチュウ」などと呼ばれ、毎回 高視聴率の番組であった。

原作は小学館から発売された 片山 恭一 さんの小説である。

主人公は 松本 朔太郎(山田 孝之、緒形 直人) と
廣瀬 亜紀(綾瀬 はるか)であり、この二人の恋愛がテーマであるが、
テレビドラマは原作をだいぶ脚色して、多くのオリジナルキャラクターを
登場させることで、この二人の恋愛の悲劇性、美しさが際立つように工夫してある(と思う)

今、この二人の恋愛がテーマと書いたが、実際にドラマを観ると、実は悲劇的な愛するひととの
別れからの立ち直りがテーマであるようにも見える。

まずプロローグはオーストラリアの真ん中にある「ウルル」という岩山に朔太郎(山田)が
たたずんでいて、今は亡き 亜紀の名前を叫ぶ!・・・悲劇を予感させる。

ドラマの冒頭は亜紀の悲劇的な死と、最愛の人との別れを17年経って研修医となった
朔太郎(緒形)が受け入れることができない・・・今でも小さなビンに遺骨を入れて
持っている・・・そんなシーンから始まる。
大人になった朔太郎は「 僕は 彼女のいない世界に、もう17年も・・・居る 」
あまりの悲しさに雨のなか、倒れた朔太郎は病院に運ばれる。

そこに大学時代からの友人である 小林 明希(桜井 幸子)が見舞いに来て、
高校時代の恩師である谷田部先生からの葉書が来ていたと手渡す。
その文面の最後に「 まだ 帰ってこられませんか?」とあったことで朔太郎はある決意のもと
病院を抜け出して故郷の田舎に戻り、廣瀬 亜紀との思い出をたどることになる。

その思い出は、あまりにピュアな、悲しい恋愛であった。
ドラマは高校生である二人の恋愛をていねいに描いていく。

そしてドラマは現代の朔太郎の心風景と、高校時代の二人の思い出を行ったり来たりしながら
進行することになるのだ。

お寺で弔辞を読む亜紀に突然の雨・・・思わず傘をさしかける朔太郎・・・それが二人の恋愛の
始まりである。
二人は間もなく「サク!」「アキ!」と呼び合う仲となり、愛情を育んでいくのだ。
この高校生である二人と友人達のやりとりが とてもリアルで、自分が高校生だった だいぶ前
のことを思い出して、似たようなこともあったと実感できる。
従って 二人の恋愛もとても自然で すなおにドラマに入り込めるのだろう。

ウオークマンによる交換日記もほほえましく、このウオークマンもドラマの重要な進行役になって
いるのがいずれ判明する。
それにしてもこのドラマでは、二人の恋愛は純粋で どこまでも美しく描かれている

そして、当時は不治の病とされていた「白血病」と診断される亜紀。
物語は美しくもつらい展開に向かっていくのだ。

もちろんウオークマン以外にも重要な役割をはたす人物が多く登場してくる。
谷田部先生は高校生であったサクやアキのよき理解者であったし、今も朔太郎のよき
アドバイサーである。
そしてサクの両親、アキの両親もいかにも居そうな感じであり、二人の家庭環境の違いもまた
ドラマの内容を際立たせることになっている。
特にサクの両親役である 高橋 克実 と 大島 さと子 がいい感じであるし、
アキの両親役の 三浦 友和 と 手塚 里美 も好演だと思う。
また同級生たちの演技もすごくいい。

さらに特筆すべきは サクの祖父役である 仲代 達矢 の味のある演技である。
とぼけているのだが真剣で、サクに大きな影響を与えたひとであることがわかるし、
二人の恋愛の大きなきっかけになった重要人物である。

恋愛がこのような悲劇的な結末をむかえて、その後・・・どのように立ち直っていけばよいのか?
どのように心の整理をすればいいのか・・・それにはどれくらいの期間が必要なのだろうか?
それはたこぼうずにも よくはわからないのだ。経験不足だからだ(笑)

僕の ささやかな体験でも、そ~と~ダメージは残る。
女性よりも男性側に多くダメージが残る気がするのだが、男である僕には比較できない。
勝手にそう思うだけである。しかし そんな確信もある(笑)

17年後の朔太郎の センチメンタル ジャーニー はさまざまな思い出の場所を辿っても
なかなか終わらない。ビンの遺骨を持ち続けていたのだ。
そんなとき谷田部先生は
「 もう忘れなさい・・・あなた達のことは 私がおぼえてるから 」 と朔太郎に言うのだ。

恋愛の最後は亜紀の死によって悲劇的な結末をむかえるのであるが、このドラマには「 救い 」
があるのも特徴である。

それは現代の朔太郎を ひっそり支える 先ほど書いたが 病院に来たという 小林 明希 の存在であり、
この女性の存在がその後の朔太郎を立ち直らせるのだろうと充分予感させる。
やはり過去の恋愛を乗り越えるには 新たな恋愛が必要なのであろうか・・・。

そういえば ユーミンの曲に
「 昔の恋を なつかしく 想うのは
              今の 自分が 幸せだからこそ・・・」 とあるぞ。
恋愛至上主義者 必見のドラマである

さてこれでブログ100回記念 恋愛の巻3回シリーズ を一旦終了いたします。



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DVD「鴎外の恋人」を観る

2015-03-17 17:27:22 | たこぼうずの映像中毒
F-98
先日 NHKエンタープライズのサイトをうろうろしていたら、2010年に放映された
鴎外の恋人」120年後の真実・・・というDVDを発見し、早速購入した。
以前 関川 夏央 原作 谷口 ジロー 画 の「秋の舞姫」という劇画についてちょっと
触れたことがあるが、森 鴎外 の若き日の恋愛について多くの検証本などが出版されるなか
この映像は決定的とも言っていい真実を伝えたものであろう
たこぼうずも真面目なものを観るのである。

明治21年9月8日横浜港に南仏マルセイユからの客船が到着し、その乗客のなかに4年の
ドイツ留学を経て帰国した 森 林太郎(鴎外)の名前があった。
鴎外が帰国したのは24才のときであり、多感な青春時代をドイツで過ごしたと言える。

そして鴎外が帰国してわずか4日後の9月12日、15才のドイツ人女性が7月25日に
北ドイツのブレーメンハーフェンから出航したブラウンシュバイク号で同じ横浜港に
到着した。そしてひそかに「築地精養軒ホテル」に向かったのであった。
それはドイツで鴎外から手渡された「Tukiji seiyokenn 待て」というメモに従ったという。
ドイツ語読みをすれば ツキジ ザイヨケン であろうか。
これが一連の事件の発端である。

番組では、まず鴎外の遺品の話しから始まる
遺品のなかに生前の鴎外から何の説明もなかった薄い、穴の開いた金属板があり、これは
当時ヨーロッパで使われた刺繍の下書きに使うモノグラム(イニシャルを図案化したもの)
がデザインされた型がねであるとわかったのです
金属板には R と M つまり鴎外の本名である森 林太郎のイニシャルが何種類も
刻まれていた。縦19センチ、横16センチ、厚さ0.2ミリというから小さなものである。
しかし、これは当時のヨーロッパでは例えば婚約者などにそのイニシャルをデザインした
刺繍を・・・ハンカチ入れなど・・・プレゼントするためのもの、つまり女性の持ち物
あって、鴎外が持っていたのは不自然なことと考えられる。

不自然といえばその金属板の中央上部にはRMとは異なるデザインの穴があけられていて、
それをどう読むのかがナゾであった。

さて明治23年1月の「国民乃友」に 森 鴎外 作 「舞姫」が掲載されると大反響が
巻き起こることになった。それは鴎外の実体験ではないかという憶測が飛び交い、世の中、文壇とも騒然と
なったのだ。

「舞姫」の女性はエリス(エリーゼ)という名前であり、男性は大田 豊太郎という名前に
なっている。あくまでフィクションであるということだ。
小説ではエリスは踊り子(舞姫)であり、生活に困窮しているところを太田に助けられて
恋心が芽生えるが、やがて太田は自分の立身、出世のためにエリスを捨てることとなり、
そのことを一生後悔するという筋立てであるが・・・

さて、金属板のナゾの穴ですが・・・意外なところから解明される。
まず横浜港に着いた船の乗船名簿には「エリーゼ ヴィーゲルト」とあるのだが、金属板
の穴にあてはめてみてもエリーゼのEがない。
そこで当時のベルリンの住所録を調べたらヴィーゲルト姓の家はたった1軒しかなく、その娘の名前は
アンナ ベルタ ルイーゼ ヴィーゲルト」であった。
こんなことを調べることができるなんて・・・スゴイ!!!

そして、そのイニシャルならば謎の金属板のデザインにあてはまるのであった。
貧しい踊り子なのではなく、アパートも経営している裕福な仕立て屋さんの家の娘であり、
それならばドイツ~横浜間の一等船室の旅費、2400マルク(当時)も出せる境遇であったろう。

一方 森家は代々津和野藩のご典医の家系であり名門である。その長男の林太郎は
驚くほどの天才で19才と6カ月で東京帝国大学の医学部を卒業してしまったほどである。
想像もつかないほどの天才じゃ~!!!漢文の素養もすごかったようだ!
しかし当時国際結婚など とても認めてもらえないような家系である。

二人はどんないきさつか・・・ベルリンで出会い、愛し合って、かなりの期間一緒に暮らしていたようである。
鴎外が帰国するにあたって、おそらく日本の両親を説得して結婚ができるとの目算があったのだろう。
しかし、鴎外は当時陸軍の軍医であり、陸軍でも国際結婚を認めていなかった。
冷静に考えれば・・・無理である
結局、日本に戻った鴎外の味方はいなかった(泣)

エリスは1か月ほど精養軒ホテルに滞在したが、森家などの説得により10月22日
ドイツに向かうことになる。わずか15才の少女が好きな人を追って、当時東の果てにある
日本まで、約束を信じて旅してきたのに・・・その悲しみはいかばかりであったろうか!そのとき鴎外は1枚の手紙に・・・
我がことやぶれたり  大罪を謝す」と書いて渡したともいう。
謝ってすむことではない!というのはこういうときに使う言葉だろうて。

劇画「秋の舞姫」はつぎのような言葉で終わっている。
はたして エリスは第一次世界大戦を生き延び ヒトラーの演説を聞いただろうか」これが・・・何と!本当に生き延びていたのである。
現在もエリスの二人の孫は存命中で、エリスは20才でガラス職人と結婚し、ベルリンに住んだということだ。
鴎外も別れたあと男爵家の娘と結婚する。それぞれの人生は結局交わることはなかった(泣)

アンナ ベルタ ルイーゼ ヴィーゲルト(エリス)1951年没・・・合掌

さて なぜ本名とは違う「エリス」と乗船名簿に書いたりしたのか・・・
なぜ「舞姫」のヒロインの名前はアンナではなく「エリス」なのか・・・
おそらく二人だけで呼び合っていた愛称があり、彼女は鴎外からエリス(エリーゼ)と
呼ばれていたし、鴎外もどう呼ばれていたかは永遠のナゾであるが・・・リンさん とか
呼ばれていたのではないだろうか。二人にしかわからないことである。

さらに最後にすごい話しを・・・
鴎外の子供さんのなかには「類」るい さんと「杏奴」あんぬ さんが居るが
アンナ とルイーズではないのか。
またルイーズの娘さんの名前はエリザベットというのだが、その愛称はエリーゼ(エリス)である。
二人ともお互いを愛する気持ちを持ち続けていたに違いない。

それほどまでに愛し合っていたのなら、何とか一緒になれなかったのか・・・
深く悲しむたこぼうずなのであった。
鴎外 森 林太郎 の遺品にはもうひとつエリスゆかりのものがあったのがわかった。
それは美しい緑のしゅす(サテン)のハンカチ入れで、
あの型がねのデザインと同じRMが、あざやかな金糸で刺繍してあったのである。




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TVドラマ考古学「HERO」を観る

2015-02-23 18:14:01 | たこぼうずの映像中毒
F-95
フジテレビで2001年から放映された「HERO」ヒーローは
大人気のドラマであった。視聴率は最高36.8%であり、この数字を
見ただけでオバケドラマと言うことができよう。
すべての放送回で30%を越える視聴率というのはちょっと考えられない
ほどすごいことである。

やはり久利生検事役の 木村 拓哉 の人気に負うところが大きいと思われる。
そしてお相手役が 松 たか子 ときたら人気が出ないわけはない!
このへんはキャスティングの上手さであろう。

刑事ドラマ、警部ドラマ、弁護士ドラマはいろいろあっても「検事ドラマ」という
新しいジャンルを確立したというこのドラマの意義は大きい。
この視点を思いついた脚本家の 福田 靖 さんは検事をやめて弁護士になった人に
取材した際に着想がひらめいたとのことであり、コロンブスの卵ではないが
それが新しいドラマになるなど気付く人はほとんど居ないはずである。

久利生検事・・・正義感が強い、型破りな検察官と真面目で融通がきかない
とぼけた雨宮検察事務官(松 たか子)コンビが従来の慣習を無視したような
捜査をして、同僚の検察官たちと巻き起こすコメディーを交えて、しかし
事件解決という捜査活動の緊張感を失わずに描いた秀作ドラマである。

このドラマが放映されて、視聴者のほとんどが「警察」と「検察」が
どんな関係にあるのか、初めて興味を持ったのではないだろうか。
なぜかと言えば、逮捕されたり送検されたり起訴されたりすることは
一般市民にとっては ないに等しいことだからである。

たこぼうずもこのドラマを観て「警察」と「検察」の違いに興味を持ったし
最近のドラマ「MOZU」を観て「警察」と「公安」の違いに興味を
持ちました。「MOZU」は内容が重すぎて語れません(泣)

HERO」を観ると、警察の捜査が終わったあと、起訴するかどうか・・・
つまり裁判をするかどうかを決めるのは検察官であることがわかるし、
決めるにあたって、警察官(刑事など)だけではなく、検察官にも捜査する
権限があって、その捜査を参考にして起訴か不起訴かを決定できるのだと分かる。

しかし、実際の検察官の仕事はほとんどがデスクワークであって、現場などに
捜査に出ることはほとんどなく、よほど重大な事件でないかぎり、警察の
捜査報告をそのまま参考にして起訴するかどうかを決定しているようである。

このドラマのすごいところは、そういう現実をひねって、型破りな検察官という
キャラクターを登場させることで周囲との軋轢(あつれき)を生じさせ、
その軋轢を笑いに転じさせ、主人公のすばらしさを浮き出させたことにある
(・・・と思う)

従って、従来の方法に頼る久利生検事の同僚検事は、翻弄(ほんろう)され
冷ややかな目で見たりするのであるが、結果的には久利生検事に軍配が上がる
ので観終わると痛快感が残るのも人気が出る原因である。
そして回が進む毎に、少しずつ久利生検事のペースに巻き込まれていくのも
面白い見所である。

もうひとつ回が進む毎に興味が湧く見所がある。
それは久利生検事の捜査ペースについていけなくて、当初批判的でもあった
雨宮検察事務官が、少しずつ彼に恋心を増幅していくところであって、
なかなかうまく描けていると感じた。つまりわざとらしくない。
最終回に向かって、なかなかいい感じである。

このドラマは視聴率を見てもわかる通り、多くの人が観たと思うが
単に人気芸能人が多く出演しているというのではなく、そのドラマの内容、
主人公の生き方、主人公の価値観に共感したことが近年まれに見る傑作
ドラマとして評価されたことにつながったのではないかと・・・
たこぼうずは購入したDVDを観て思ったのでした。

何故か当時たこぼうずはリアルタイムではこのドラマを観ていませんでした。
スミマセン。


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TVドラマ「猫侍」を語る

2015-02-09 18:06:06 | たこぼうずの映像中毒
F-93
今回は「猫侍」ねこざむらい というドラマを紹介したい。
2013年に放映された民放の時代劇であり、「秀作」である。
そもそも時代劇は民放ではなかなか製作に苦労すると、どこかで読んだ
記憶がある。僕はテレビ関係者ではないので本当かわからないが
恐らく予算の点で制約が大きいのではないかと想像する。

この「猫侍」・・・NEKOZAMURAI・・・は民放の時代劇では
久々のヒット作品と言えるだろう。

主人公は 北村 一輝演ずる剣客「斑目 久太郎」まだらめ きゅうたろう
であり、無双一刀流の使い手であるが、しがない浪人に身をやつし、困窮した
長屋生活を送っていた。ストイックに剣の道を究めようとする「まだら鬼」と
恐れられていた強面(こわもて)の剣豪である
しかし、そんな彼のもとに或る大店(おおだな)の番頭から
主人の猫を斬ってほしい」との奇妙な依頼がある。

北村 一輝はそうでなくても目つきが鋭く、眉間にしわをよせると
そうとう迫力のある顔であるので、ぴったりの役である。

さて、生活に困っていた斑目は、不審に思いつつも、謝礼の小判に心を
動かされてその呉服問屋に件の(くだんの)猫・・・玉之丞・・・を斬りに
行くのであるが、まさに刀を振り下ろそうとした瞬間!
真っ白な玉之丞が振り返ってつぶらな瞳で斑目を見たのだった。

ところが翌日、斑目の貧乏長屋の押入れには退治したはずの玉之丞が居るではないか。
もちろん番頭には斬ったと伝え、謝礼も受け取ったので・・・どうする斑目!
さてこれからのドラマの展開は玉之丞を隠そうとする斑目と、どうも斬った
にしては様子がおかしいと疑う番頭さんとのドタバタが面白いのと
ドラマの回が進むごとに剣に生きることしか知らなかった斑目の心境が
少しずつ変化していく様子が、こまやかに、やさしく、滑稽に描かれていくのが
こころ温まるところである

全体としてはコメディー調の展開であるにもかかわらず、怖い顔は生まれつきだ!
と言う真面目人間の斑目の堅物ぶりとのギャップがチグハグで面白い。
猫の演技?もすばらしいが、撮影の苦労は相当のものだったろう。
この本名「あなご」ちゃん、「さくら」ちゃんはその後大人気となったそうだ。

このドラマはただ堅物の侍が猫と暮らしてやさしくなったなどという単純な
内容ではなく、斑目の仕官(就職活動)がうまくいかなかった話しや
故郷に残した妻と娘の話し、長屋の住人と斑目との交流など・・・
いい話しが散りばめられていて楽しい。
しかし楽しいだけでなく、ドラマとしての緊張感も失ってはいない
ほのぼのとしているだけでなく、江戸時代の浪人の厳しさや
町人との微妙な関係なども見せてくれる。

一方ではふざけているのだが、現代風のセリフなどもあって退屈させない。

僕は斑目に殺猫を依頼した番頭の佐吉がさまざまな経緯からだんだんと
精神を病んでいく様子がやや不気味ではあるが面白かった。
この佐吉に外見が似ているある料理店の支配人を知っているからであるが、
とても本人には言えないことである(笑)
先日も見かけて、人相、顔色などよくも似ているものだと確認できてよかった。

ロケは日光江戸村でおこなわれたらしい。
たこぼうずも一度行ったことがある。確かにあんな感じである。
実際に見たところはいかにもイミテーションっぽい江戸の町並みと感じたが
ドラマになってみるとずんとリアルさが増して本物のように見えるのは
やはり映像という仕事の見事な部分であろう。

脇を固めるキャストもすばらしいので、ドラマとして厚い内容となっている。
そこも見所である。

剣の道しか知らず、その世界を極めることにしか人生の意味を見出すことが
できなかった斑目 久太郎の心の中の何かが猫によって揺り動かされていく・・・
そんな 心あたたまる、笑えるドラマである

毎回(12回)のドラマの最後に斑目が詠む俳句も傑作?なのだ。

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