昨日の検索ワードで一番多かったのは、ミュシャの絵でした。
この絵は、“ビザンティン風の頭部(ブルネット)”の模写です。
四つ切の画用紙に鉛筆とフェルトペンで描きました。
文章も気に入っていますが(結構調べて書きました)携帯で見ている方には少し長文かもしれません。
絵だけでも、雰囲気を味わって頂けたらいいかな。。と再アップしました。
クリスマスには、しばしば奇跡が起こります。
1894年のクリスマスに起こった奇跡のきっかけは、一本の電話でした。
ミュシャは、芸術家を志しパリの学校で美術を学んだ後、雑誌の挿絵やカレンダーのイラスト、城の壁画など、さまざまな仕事をしながら生活費を稼ぎ食いつないでいたといいます。当時のパリは華やかな街でした。しかし、華やかさが、明るければ明るいほど影の部分の色は濃いものです。
故郷を離れてから8年、この電話がつながらなければ、彼の才能は時の流れとともに19世紀末のパリに埋もれてしまうことだったでしょう。
電話の主は、当時フランス演劇界の女王といわれたサラ・ベルナールです。
彼女の依頼を受けたルネサンス劇場は、1月4日から始まる芝居”ジスモンダ“の再演のポスターを急いで製作するよう印刷所のルメルシエに電話します。しかし、クリスマス休暇中で、みなパリを出ていて、工房にいるデザイナーはミュシャただひとりだったそうです。
ちょうどそのとき、彼は知り合いから受けた校正の仕事をするために印刷所にいました。一本の電話は、まるでミュシャに光を当てるために繋がった道しるべのようです。
彼は芝居を見るために劇場に向かいます。貸衣装の燕尾服に友人から借りた帽子。そのとき彼が持っていったものは、親の七光りでも学歴でもなく、それまで培った技術とセンスと才能という実力だけでした。舞台のあとに描いたスケッチを彩色し、翌日印刷所に持っていきます。当初、それを見たルメルシェは失望したそうです。しかし、期日は目の前。作品はそのまま劇場に送られます。
絵は、サラの目に止まりました。流れるような曲線で細部まで描かれた衣装、優美な華の冠。落ち着いた色合い。凛とした表情で目はまっすぐと上を見上げ、視線の先には手に持った一本の草花。衣装の縦のラインと草の縦のラインが、曲線の優しさの中で強さを表しています。
あんなに美しく描かれたなら、女性なら誰でも感動して是非描いて欲しいと思うことでしょう。印刷所のルメルシェさんには理解できなかったかもしれませんが。
こうして奇跡の道しるべは途切れることなく繋がっていきました。GOサインが出たのは、28日のことでした。
ポスターは、大反響を呼びました。
50歳を過ぎ、かげりが見え始めた大女優と、満足な食事もままならなかったひとりの挿絵画家に、運命の女神が微笑みかけました。公演は盛況のうちに終わり、館の運営をしていたサラにも幸運が訪れます。
放浪生活を送っていた無名の画家は一夜にして脚光を浴びる存在となりました。そして、今日まで多くの人々から永く愛される絵を残すことになったのです。
子供のころから教会に行くことが楽しみだった少年は、教会の絵をきっと何度も見ていたに違いありません。1890年、彼はキリストの受難をモチーフにした芝居のポスター、“LA PASSION(受難)”を描いています。イバラを手にしているものの、頭上には大きな花が描かれ、憂いに満ちた優しい顔は、メル・ギブソンのパッションとは対照的な、残酷さのない美しい絵です。敬虔な芝居のポスターにふさわしい絵です。
彼の伝記には、宗教的なモチーフの絵を描くとき、心は安らぎ穏やかな気持ちで取り組めたと書かれています。そんな心境が絵に表れています。
彼に訪れた幸運は、彼の実力が引き寄せたものなのか、サラ・ベルナールとの運命の出会いもまた、たまたま偶然だったのか、今となってはもう知ることはできません。しかし、この奇跡は今も続いています。
クリスマスには、奇跡が起こります。
そう信じる心があれば、きっと幸運の女神は微笑んでいます。
この絵は、“ビザンティン風の頭部(ブルネット)”の模写です。
四つ切の画用紙に鉛筆とフェルトペンで描きました。
文章も気に入っていますが(結構調べて書きました)携帯で見ている方には少し長文かもしれません。
絵だけでも、雰囲気を味わって頂けたらいいかな。。と再アップしました。
クリスマスには、しばしば奇跡が起こります。
1894年のクリスマスに起こった奇跡のきっかけは、一本の電話でした。
ミュシャは、芸術家を志しパリの学校で美術を学んだ後、雑誌の挿絵やカレンダーのイラスト、城の壁画など、さまざまな仕事をしながら生活費を稼ぎ食いつないでいたといいます。当時のパリは華やかな街でした。しかし、華やかさが、明るければ明るいほど影の部分の色は濃いものです。
故郷を離れてから8年、この電話がつながらなければ、彼の才能は時の流れとともに19世紀末のパリに埋もれてしまうことだったでしょう。
電話の主は、当時フランス演劇界の女王といわれたサラ・ベルナールです。
彼女の依頼を受けたルネサンス劇場は、1月4日から始まる芝居”ジスモンダ“の再演のポスターを急いで製作するよう印刷所のルメルシエに電話します。しかし、クリスマス休暇中で、みなパリを出ていて、工房にいるデザイナーはミュシャただひとりだったそうです。
ちょうどそのとき、彼は知り合いから受けた校正の仕事をするために印刷所にいました。一本の電話は、まるでミュシャに光を当てるために繋がった道しるべのようです。
彼は芝居を見るために劇場に向かいます。貸衣装の燕尾服に友人から借りた帽子。そのとき彼が持っていったものは、親の七光りでも学歴でもなく、それまで培った技術とセンスと才能という実力だけでした。舞台のあとに描いたスケッチを彩色し、翌日印刷所に持っていきます。当初、それを見たルメルシェは失望したそうです。しかし、期日は目の前。作品はそのまま劇場に送られます。
絵は、サラの目に止まりました。流れるような曲線で細部まで描かれた衣装、優美な華の冠。落ち着いた色合い。凛とした表情で目はまっすぐと上を見上げ、視線の先には手に持った一本の草花。衣装の縦のラインと草の縦のラインが、曲線の優しさの中で強さを表しています。
あんなに美しく描かれたなら、女性なら誰でも感動して是非描いて欲しいと思うことでしょう。印刷所のルメルシェさんには理解できなかったかもしれませんが。
こうして奇跡の道しるべは途切れることなく繋がっていきました。GOサインが出たのは、28日のことでした。
ポスターは、大反響を呼びました。
50歳を過ぎ、かげりが見え始めた大女優と、満足な食事もままならなかったひとりの挿絵画家に、運命の女神が微笑みかけました。公演は盛況のうちに終わり、館の運営をしていたサラにも幸運が訪れます。
放浪生活を送っていた無名の画家は一夜にして脚光を浴びる存在となりました。そして、今日まで多くの人々から永く愛される絵を残すことになったのです。
子供のころから教会に行くことが楽しみだった少年は、教会の絵をきっと何度も見ていたに違いありません。1890年、彼はキリストの受難をモチーフにした芝居のポスター、“LA PASSION(受難)”を描いています。イバラを手にしているものの、頭上には大きな花が描かれ、憂いに満ちた優しい顔は、メル・ギブソンのパッションとは対照的な、残酷さのない美しい絵です。敬虔な芝居のポスターにふさわしい絵です。
彼の伝記には、宗教的なモチーフの絵を描くとき、心は安らぎ穏やかな気持ちで取り組めたと書かれています。そんな心境が絵に表れています。
彼に訪れた幸運は、彼の実力が引き寄せたものなのか、サラ・ベルナールとの運命の出会いもまた、たまたま偶然だったのか、今となってはもう知ることはできません。しかし、この奇跡は今も続いています。
クリスマスには、奇跡が起こります。
そう信じる心があれば、きっと幸運の女神は微笑んでいます。
コメント、ありがとうございます。
ミュシャの絵はホントに素敵ですよね。
そして、この奇跡も。
またこのブログに、遊びに来てくださいね~♪