トンちゃん日記

トンちゃんのつれづれ日記。今日もいい日でした。

重ね煮料理

2008-05-10 | Weblog

三昧セミナーで学んだ重ね煮料理を実践。

①しいたけ ②大根 ③たまねぎ ④にんじん ⑤ごぼう の5種類を重ねて
40分くらい火を入れた。ごぼうのあま~い香りがしてきた。
わらで嗅いだ香りといっしょで嬉しくなった。

 

たっぷり作った。

そこからさっそく3種類を作る。ひとつひとつの食材に感謝して、天地に感謝して、
これを育てたお百姓さんに感謝して。
①にんじんのはっぱを使ったチャーハン
②おあげを焼いてから使ったお味噌汁
③ごちゃ混ぜサラダ。庭で育てているにんじんの芽と二十日大根とアイコトマトも。
ドレッシングはもちろん、梅樹庵の梅ドレッシング。

両親も興味深そうに工程を見ていた。少しずつでいいから、船越さんに教えて
いただいた命の恵みを伝えていこう。

感謝して作った料理は、ビックリするほど甘くて美味しい。

よるご飯は重ね煮とは遠い、手作りでもないもの・・・。

お母さんの誕生日祝いをする。母のリクエストにより、お寿司を食べた。
家族3人でありがたくいただいた。




重ね煮を作ってみて。
手作りの美味しい料理をありがたく食べていると、勘や直感が少しずつ
研ぎ澄まされてくるような気がする。

目指すは、明瞭な思考。最善観。


でも、だって、しかし

2008-05-10 | Weblog
自分の思い通りにならないと嘆く人がよく口にするベスト3の言葉。

「でも、だって、しかし」

これも船越さんが言っていた。

4日間の三昧セミナーを通して気づいたこと。
私は、なにげに、自分はいい人と思っていたけれどでも違ったんだなー。
感謝の意味もよく分からずに、傲慢で自己中心的な思考だと気づいた。

ありがとう、という言葉を、心を込めて使っていなかった。
ちゃんと心を込めて使うと、周りの反応が違うことに驚く。
人生イメージどおり、の初めの一歩なのかな。

うめちゃんのCDを聞き、納豆玄米を目をつぶって食べ、私は自分の
内側に向き合う時間が少ないことに気づいた。

何かを考えるとき、いつも、外界との接点や対人関係や損得を計算して
分析していた。
直感やひらめきといった自分の中にあるものには問いかけをしなかった。

外面の刺激に一喜一憂するのではなく、私のなかのうめちゃんと
お話しないとね。うめちゃんは、おてんとうさまといっしょで
わたしの最高な後援団長なわけだから。

わたしはわたしでいい。

チェックを受けているとき

2008-05-10 | Weblog
船越さんが話していた禅寺での修行僧の話。

修行を受けたい坊さん希望者が、寺に「たのもー、たのもー」と
出向く。目の前に寺の境内を掃除している坊さんがいるのに、
どんなに声をかけてもまったく無視される。
それでもあきらめずに1週間通い続けると、「たのもー」に対し、
今まで無視されていた坊さんに突然「はい、何か御用ですか?」と
声をかけられる。

ビックリしながら、用件を述べると、境内の奥まで案内されるが、
またそこにいる坊さんに同じことをされる。

その繰り返しの後、やっと寺での修行を許され、厳しい厳しい日々を
過ごしていると、ある日、中間管理職のような立場の坊さんに、
「いままで、ようガマンしてがんばった。ご褒美にたばこをやる。
ないしょだから厠へ行ってコッソリ吸ってこい」と声をかけられる。

認めてもらったんや、と喜んで厠でタバコを吸っていると、これまた
突然その中間管理職や先輩たちに、「お前は規律を破って何をやって
るんだー」と水をぶっかけられる。

そんな試されるようなことが続いても、じっと修行を続けていると、
やっとやっとのある日、中間管理職に呼ばれる。
今度はなんや、って思って出向くと、頭を深々と下げられて、
「いままでイジワルしてすまんかった。あんたの本気を確かめていたんや。
これからも修行を続けなさい。」
と言われた、という話。

坊さんは、修行がしたかった。
でも行って見たら「思い通りにはまったく」ならなかった。
「こんなはずじゃなかった」
自分で選んだことなのに、こんなはずじゃなかった。

やりたいことをやっているのに、「こんなはずじゃなかった」と思う
ことに出会ったら。このときこそ、神様がわたしに対してチェックを
入れているときなんだ。私の本気がホンモノか確かめているんだ。

でも船越さんは言っていた。
過去は予定通り。できない宿題はない。

いやなら辞めちゃえばいいし、それでもやっぱり、自分がやりたいと
確認できたらなら、この宿題の意味を考えればいい。

あぁ、簡単な話だな。

百姓屋敷わらでの4日間

2008-05-08 | Weblog
「食養」と「心と体の健康」を学ぶ旅にでた。
全国に「かさね煮」料理を広めた、百姓屋敷わらのご主人、
船越康弘さんが主催する三昧セミナーに参加。
岡山県高梁市の山里に、その民宿はひっそりと、しかし堂々と存在した。

ここで過ごす4日間は、生まれ変わりのような衝撃的な、でも必然のような
不思議な日々だった。

あまりにすごい肩書きの人たちが全国から集まり、無力で煩悩な私を痛感。
疎外感・劣等感のような孤独があって、自己開示がなかなかできない一方で、
不思議と居心地が悪くない。心は常に穏やかであり、じわりと常に楽しかった。

大自然のパワーと、集まってきた人たちの人間力の強さと、主人船越氏の
命をふりしぼったおもてなしが素晴らしかったのだと思う。

だしを一切使わないでも、素材の味が最大限に引き出されている重ね煮
料理は、今まで味わったことのない感動の料理だった。

結局、ワタシらしさを開示できる前にタイムアウトになってしまい、
特別に仲のいい人ができた訳でもないけれど、でも今までのワタシの様な
焦りはぜんぜんない。いつか、きっとご縁があれば、神様のお導きにより
今回会えたすばらしい人たちとはまた逢えそうな気がするから。

最終日の最後の講義で、
「あなたが『どうせわたしなんて』と自己否定をし続けるなら、
もう食べないでください」と船越さんが言った。

この言葉が何より一番胸に響き、その後感想文を書いている時間は、
あふれ出てくる気持ちを一気に紙にぶつけた。
頭を使わない感情文だから、冷静に読むと軽々しいけど、
でもこの時に感じた魂の震えは、一生涯忘れたくない。
手が振るえ、涙が出てきて、何度も大声を出しそうになることを
必死でこらえた。
オトナになって、初めて、「感謝して生きる」という本当の
意味が分かった気がして、今までの自分が恥ずかしくなった。

障害のある人たちの不満を、「どうしてこうネガティブな思考なんだ」
と否定し続けてきたけれど、それは、ワタシの心にこそあるものだった。
彼らを責める私自身の問題だった。
青い鳥を探し続ける彼らの姿は、本当はワタシの姿だったんだ。

沖縄の海にストレスを流して帰ってくると、翌日の仕事は屍のように
つらかった。
でも、岡山の山里から下界に降りてきた今日は、連休明けにもかかわらず、
忙しいにもかかわらず、魂は穏やかで、周りの人の声かけに「元気です!」
って本気で応えられた。
なんだろう、これって。なんて幸せなんだろう。

ワタシとそのほかの人たちは、おてんとう様から与えられている役目が
違う。だから、比較する必要なんてない。
おてんとう様が上から見ていて、ただ「こいつは一生懸命生きているな、
それなら応援してやろう」って思ってもらえればいいんだ。
ワタシには損得をチャッチャと計算して、回避し選択しない悪い癖がある。
もう、今日からはやめよう。
本気になれるか、それがすべてだと思う。
直感、勘を磨くために、毎日の生活を大事にしよう。
食べ物を口にするとき、必ず感謝をしよう。
ワタシはお大切なお大切なたくさんの命をいただいて生きているのだから。

「大好きなことだけをして、楽しく生きていくこと」
これこそが、ワタシが両親を選んで天国からピューっとやってきた理由。