あとりえちえ

アートは言葉にできない想いに寄り添ってくれる

正月、古い友人知人から年賀状が今年も届いた。

今はすっかりすたれてしまったが、まだやりとりがあるのはずいぶん私も世代があがったことに気がつく。

なつかしいだけじゃないのが、わたしの複雑なこころの宇宙。

あの頃の自分は今の自分とは違う。楽しかった思い出もあるはずなのに、言いようもない感情もいっしょに湧き上がる。

というのは、私は自分の気持ちを表現できなかったからだ。

人にとってはささいなことでも、繊細な私にとって「ノー」を言えなかった思い出が蘇る。

今わかる。それほど寂しかったのだと。

私は、多くの人はすっかり忘れているようなことでも覚えている。短期的な記憶はすこぶるダメなのだが、この体験という記憶はいつまでも消えないという恨みがましいww厄介な性質のようである。

しかし、古い方々はあの頃の私に対してよい印象があるようで、現在のわたし宛てに便りをくださる。猶更こころは複雑である。

「わたし以外の誰もわたしのことを知らないのに」と内なるコドモはつぶやく。

自分の本当の想いが奥にありながら出力できなかったのは「自分も他人も信用していなかったから」と理解するまで、さまざまな人生経験やセラピーなどの体験が必要だった。ずいぶんと長くかかった。

自分の性質だけでなく、家庭環境、母子問題がベースにあること理解した。

こころ・・ここに幼い頃親子関係で傷ついたコドモが今も棲んでいる。

この子の恐れのフィルターがとれ、理解し、のぞむような愛を諦め、そして、心の中の戦いが終わり和解するのは口で言うほど容易なことではないのだ。

 

が、とうとうこの正月、覚醒したと感じた。

「自分は愛される価値がない」というのは、間違いだったと。

「親は愛がないわけではないが、愛するという能力に欠けていた。

大人の体をした子供だったのだ」

という事実を内なるコドモは完全に認めたのである。

カンレキ間近にして。

そして、魂に取り込んだ母の魂により、似たような人々や環境をひきつけてしまっていたことも。

不器用で繊細な自分は、母への執着が強かったから。

あの時の友人たちは、わたしの演じた「いい人」をみていたにすぎなかった。そこに思いやりのキャッチボールはなかったのだ。

私は、自分のエネルギーよりも大きな宇宙を持った人々をもとめる必要があった。私の魂は、外側にある人の想いに影響を受けやすいのだとやっと気がついたからだ。

私は学生時代の体験のほろ苦さから、群れることを恐れ人と距離をおいた。そして、セラピーに時間と大金をつぎ込んだ。ただ、そこにいた人々は、自分よりももっと弱い人々だった。そこで繰り広げられる「勉強」に私は一生懸命とりくんだ。自分には何も足りないものなどなかったのに。

就職、結婚もしなかったのは、自分でも意識できないほどの自己無価値観によるものということも、今理解した。(教員は非常勤講師だったので)

愛されたいばかりに自分がどう観られるかというほうに意識が向いてしまい、自分のことをよく知らなかった。それと同時に他人を見抜く力もなかった。

ふと、学生時代の先生方の数少ない言葉を思い出した。

書道を選択した時、人間国宝になられている大家が私の自信の無い作品を観て「この人は作家向きだね」と仰っていた。

私が4年生になってもマンドリンクラブに精を出していたのを見かけた有名アーティストである教授が「まだそんなものをやっているのか!」と叱ってくれた。

もしかしたら、私は本格的アーティストになれる素質があったのではなかったのか。

自他ともに信頼があれば「自分と他人を愛すホンモノ」が伝えてくれる激励という愛を素直に受け取り、その気になってよかったものを。

 

ふっと死にたいというフレーズが心を走る。

そして、散らかった部屋を片付けてからじゃないとね、このイベントに参加してからでも遅くはないね、という声がそれを遮る。

一人旅にトライしたよね、生徒に先生のおかげで美術好きになったって言われたねと、先生をしたことで自分で創り上げてきた人格が、歩んできた道のりの光を見せる。

こころの宇宙は空模様と同じ。コロコロ変わって複雑。そういうものなのかも。

 

書道の稽古を始める。

すっかり想いは遠のく。

この筆のふわふわ感が気持ちいい。

集中するこの感覚が自分へとつながっていくことを知らせる。

さすが「瞑想のアート」だ。

 

YouTubeでクラシック紹介動画を観る。

今日は「ベートーベンの優しさ」についてのお話。

聴力が失われつつあったベートーベンは、ライバル達にそれを知られることを恐れ、人と距離をおくようになった。孤独のうちに、彼は生きる希望を見失い遺書を残している。しかし、芸術家としての使命を果たそうと生を選び、その後数々の偉大な曲を残す。

他人には「気難しい」と観られた彼ではあったが、彼の底知れない「優しさ」は、緩徐楽章というゆっくりしたかんじの音楽に色濃く表れているという。

解説者は言う。深い悲しみを知っているからこそ深い優しさがあるのだと。

晩年作曲された弦楽四重奏の緩徐楽章がいくつか紹介されていたので聴いてみた。

 

♪弦楽四重奏第15番より第3楽章モルトアダージョ

 

私は、生まれて初めてその音楽を聴いた。

・・ぽろぽろ涙が溢れ出た。

これも生まれて初めてのことだ。

・・ときどき嗚咽がもれた。

魂から癒された

・・と感じた。

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