晴れときどき・・・

旧街道あるき、古戦場巡り、城攻め、図書館通いの4本立ての日々を綴ります。。

今年最初の城攻め~丸子城~

2013-01-12 19:39:10 | 城攻め
 「丸子」と書いて、「まりこ」と読みます。
なんか、可愛いでしょ^^。

 静岡市の中心部から西へ少々入った郊外に
旧東海道の宿場町「丸子宿」はあります。

 よく晴れた三連休の初日、
宮城谷昌光の「古城の風景」を読んで
是非とも静岡の古城を探索したい!」という
高校時代の先輩をご案内して、
行ってまいりました。

 「丸子」と言えば、
東海道州膝栗毛」でも、「安藤広重」でも
出てくるのは「とろろ汁」の「丁子屋」さんですが、
今回の主目的は「城攻め」なので、
丸子城」です。

 静岡駅南口で新幹線で到着した先輩をピックアップして
国道一号線を西へ走ること約20分で、
駿府匠宿」へ到着します。
ここの駐車場へ車を止めると、
ボランティアの案内のおじさんたちに取り囲まれます(笑)

 最初は取り敢えず、連歌師宗長が隠棲したことで有名な
吐月峰柴屋寺」へ


 竹やぶのなかにひっそりと建っていました。
ここはあの諸田玲子さんが瀬名姫を描いた小説「月を吐く」の舞台となりました。

竹やぶの中から、ほっかりと出る月が
まるで「月が吐き出されたよう」な感じだったから「吐月峰」と呼ばれたそうです。
このお寺には有名な「分福茶釜」をはじめ、
武田信玄より賜った「茶碗」とかお宝が無造作にザクザクありました。
撮影は禁止だったので写真がなくて残念です。。

 ご親切なご住職の説明を聴いて大満足でお寺をあとにしたら、
いよいよ丸子城登城です!!

 ここは有名な今川義元のパパである「今川氏親」が幼少の頃、内紛を避けるために
母親の「北川殿」とともに籠ったお城です。
手引きしたのはあの「北条早雲」だと言われています。
その後は、武田信玄によって侵攻され、
武田の名将「山縣昌景」が城代となって守ります。
この頃にお城は武田式に大改造されたものと思われます。
その後、武田家の滅亡に伴い、城は徳川方に開城され、
家康の関東移封に伴い廃城となりました。
以上、簡単すぎる丸子城の説明でした・・・^^;

 さて、急な階段状になっている山道を15分ほど、
ひーひー言いながら登ります。




 どっからどう見たって山城です。。


思った以上に遺構が残っていて大感激!!
やっぱ、山城はこうでなくちゃ!!

 城攻めでヘトヘトになったあとは・・・。

やっぱり、とろろ汁食べました。。

 その後、先輩を「田中城」→「小山城」→「諏訪原城」へと
ご案内して夕方掛川駅までお送りして城攻めは終了したのですが、
その他のお城は私的には散々行っているお城なので、
今回は割愛させていただきました。。

 いやぁ~、「丸子城」良かったです。。

 






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