10月10日は、双十節。
中華民国の建国記念日だ。
99年前の1911年10月10日に起きた武昌起義が、辛亥革命の導火線になった。
辛亥革命を指導した近代中国の父、孫文は、「三民主義」の中でこんなことを語っている。
「いかなる国家いかなる民族の利益も、彼ら(強大な国家)に独り占めされている ー略― 彼らは、この独占的地位をいつまでも維持して、弱小民族の復興をゆるすまいと考えている」(孫文『三民主義』第四講)。
孫文が言っていた「弱小民族」とは、当時の中国である。
いま、「強大な国家」となった中国から見る弱小民族は、どこを指すのか。
略奪をし尽くしているという意味では、チベットやウイグルであろう。
圧迫し脅迫し続けているという意味では、台湾。
そして今日、そこに日本が入った。
菅内閣は、犯罪者が行った行為、その国が頑として認めない行為が明々白々と映っているであろうビデオを、公開しないと決定したらしい。
なぜかというと、
「公開すれば、中国を刺激するから」
だそうな。
取り調べの可視化を強力に進めようとしている政府。
無罪の人間を、証拠をでっちあげてでも有罪にする検察。
なのに、相手が変わると法の適用も対応も、すべて変わる。
「証拠のビデオは、犯罪者が怖いから、公開しないでおきます。
立場の弱い日本人は徹底的に処罰するけどね。
だって怖くないから。中国は怖いもの。
法律なんか、強者には適用しないの。
海上保安庁は、まあ無駄死にしないように、悪人なんか捕まえるんじゃないの。
あとが大変なんだから。
適当に警備してるフリして、日本漁船の弱そうなやつの、違法操業だけ大っぴらに取り締まればいいの。
ビデオなんか、下手に録るから騒ぎがでかくなったんだよ。
あんまり真面目に仕事すんなよ!」
これが、菅内閣の本音である。
ノルウェーのノーベル賞委員会は、
「たとえ(ノルウェーが)小国といえども、経済的不利益があっても、立場が悪くなっても、言うべきことを言わなければならない」
といって、劉暁波氏にノーベル平和賞を授与した。
すごい。
いや、もっとすごいのは劉暁波氏だ。
たった一人で、言論弾圧などヘとも思わない巨大な中国共産党に、命がけで挑んでいる。
逮捕され、投獄され、下手をすれば殺されるのを覚悟の上で、
「共産党の一党独裁はやめよう」
「人民解放軍は共産党の軍隊から、国軍に変えよう」
など、しごくまっとうな主張(零八憲章)をし、捕まった。
いまは4回目の投獄中で、11年、牢屋に入れられている。
たった一人、しかもペンと紙しか持たない人物が、勇気と知的誠実さを以て戦いを挑んでいる。
チベットでも、圧倒的な中国の軍事力に支配されながら、捕まれば11歳の子どもも投獄され拷問を受けると知りながら、それでも民族の誇りにかけて戦っている。
台湾ではかつて、自由選挙で李登輝氏が当選しそうになったら、妨害の為に演習と称して、中国はミサイルを台湾近海にどんどんぶち込み、それでも台湾人は勇気をふるって、李登輝氏を選んだ。
省みて我が菅内閣の、あきれ果てるまでの臆病さと、「その場しのぎ」。
長期展望も無ければ、「戦略的互恵関係」という、菅内閣の主要メンバーが毛嫌いしている安倍内閣時のスローガンをパクって、何が「互恵」なのかさっぱりわからない関係を強調する。
レア・メタルの輸出をしてもらい、衣料品や毒野菜を輸入し、代わりに製品を中国へ輸出して、コピー商品を大量発生させるのが「互恵」なのか?
中国人の犯罪の証拠をもみ消して、代わりにほとんど無実に近い日本人の不法拘留をやめさせるのが「互恵」なのか?
領海侵犯を止めてもらう代わりに、不公平なガス田掘削を認めるのが「互恵」なのか?
自分の国の教科書には、事実を捻じ曲げたり確認できていない事柄を事実だと言って掲載し、日本人への憎悪をあおり、訂正も謝罪もしないのに、他国の教科書の中身には文句をつけて書き換えさせることのどこが、「互恵」なのか?
どこかの官房長官のように、歴史的に迷惑をかけたのだから、ということで卑屈にひざまずかなければいけないというのなら、「互恵」は成り立たない。
歴史問題と政治問題をリンクさせた瞬間に、直近の戦争で敗れた側は理屈抜きで土下座するしかない。
中国がそれを狙ってくるのはわかるが、日本の政府高官が自分で墓穴を掘っているのだから、処置なしである。
中国の清朝がかつて次々と列強に侵されていったのは、列強の要求に従って領土を事実上切り売りしたからだ。
どうか、切り売りだけは、しないでほしい。
「君、国売り給うことなかれ」
と、切に祈る。
しかし、どうやら今年の10月10日は、敗戦日になった気がする。
ビデオの公開は、時間が経てば力を失う。
自ら刀を置いた者に、勝ちはない。
あとはどう切り刻まれるか、だけである。
中華民国の建国記念日だ。
99年前の1911年10月10日に起きた武昌起義が、辛亥革命の導火線になった。
辛亥革命を指導した近代中国の父、孫文は、「三民主義」の中でこんなことを語っている。
「いかなる国家いかなる民族の利益も、彼ら(強大な国家)に独り占めされている ー略― 彼らは、この独占的地位をいつまでも維持して、弱小民族の復興をゆるすまいと考えている」(孫文『三民主義』第四講)。
孫文が言っていた「弱小民族」とは、当時の中国である。
いま、「強大な国家」となった中国から見る弱小民族は、どこを指すのか。
略奪をし尽くしているという意味では、チベットやウイグルであろう。
圧迫し脅迫し続けているという意味では、台湾。
そして今日、そこに日本が入った。
菅内閣は、犯罪者が行った行為、その国が頑として認めない行為が明々白々と映っているであろうビデオを、公開しないと決定したらしい。
なぜかというと、
「公開すれば、中国を刺激するから」
だそうな。
取り調べの可視化を強力に進めようとしている政府。
無罪の人間を、証拠をでっちあげてでも有罪にする検察。
なのに、相手が変わると法の適用も対応も、すべて変わる。
「証拠のビデオは、犯罪者が怖いから、公開しないでおきます。
立場の弱い日本人は徹底的に処罰するけどね。
だって怖くないから。中国は怖いもの。
法律なんか、強者には適用しないの。
海上保安庁は、まあ無駄死にしないように、悪人なんか捕まえるんじゃないの。
あとが大変なんだから。
適当に警備してるフリして、日本漁船の弱そうなやつの、違法操業だけ大っぴらに取り締まればいいの。
ビデオなんか、下手に録るから騒ぎがでかくなったんだよ。
あんまり真面目に仕事すんなよ!」
これが、菅内閣の本音である。
ノルウェーのノーベル賞委員会は、
「たとえ(ノルウェーが)小国といえども、経済的不利益があっても、立場が悪くなっても、言うべきことを言わなければならない」
といって、劉暁波氏にノーベル平和賞を授与した。
すごい。
いや、もっとすごいのは劉暁波氏だ。
たった一人で、言論弾圧などヘとも思わない巨大な中国共産党に、命がけで挑んでいる。
逮捕され、投獄され、下手をすれば殺されるのを覚悟の上で、
「共産党の一党独裁はやめよう」
「人民解放軍は共産党の軍隊から、国軍に変えよう」
など、しごくまっとうな主張(零八憲章)をし、捕まった。
いまは4回目の投獄中で、11年、牢屋に入れられている。
たった一人、しかもペンと紙しか持たない人物が、勇気と知的誠実さを以て戦いを挑んでいる。
チベットでも、圧倒的な中国の軍事力に支配されながら、捕まれば11歳の子どもも投獄され拷問を受けると知りながら、それでも民族の誇りにかけて戦っている。
台湾ではかつて、自由選挙で李登輝氏が当選しそうになったら、妨害の為に演習と称して、中国はミサイルを台湾近海にどんどんぶち込み、それでも台湾人は勇気をふるって、李登輝氏を選んだ。
省みて我が菅内閣の、あきれ果てるまでの臆病さと、「その場しのぎ」。
長期展望も無ければ、「戦略的互恵関係」という、菅内閣の主要メンバーが毛嫌いしている安倍内閣時のスローガンをパクって、何が「互恵」なのかさっぱりわからない関係を強調する。
レア・メタルの輸出をしてもらい、衣料品や毒野菜を輸入し、代わりに製品を中国へ輸出して、コピー商品を大量発生させるのが「互恵」なのか?
中国人の犯罪の証拠をもみ消して、代わりにほとんど無実に近い日本人の不法拘留をやめさせるのが「互恵」なのか?
領海侵犯を止めてもらう代わりに、不公平なガス田掘削を認めるのが「互恵」なのか?
自分の国の教科書には、事実を捻じ曲げたり確認できていない事柄を事実だと言って掲載し、日本人への憎悪をあおり、訂正も謝罪もしないのに、他国の教科書の中身には文句をつけて書き換えさせることのどこが、「互恵」なのか?
どこかの官房長官のように、歴史的に迷惑をかけたのだから、ということで卑屈にひざまずかなければいけないというのなら、「互恵」は成り立たない。
歴史問題と政治問題をリンクさせた瞬間に、直近の戦争で敗れた側は理屈抜きで土下座するしかない。
中国がそれを狙ってくるのはわかるが、日本の政府高官が自分で墓穴を掘っているのだから、処置なしである。
中国の清朝がかつて次々と列強に侵されていったのは、列強の要求に従って領土を事実上切り売りしたからだ。
どうか、切り売りだけは、しないでほしい。
「君、国売り給うことなかれ」
と、切に祈る。
しかし、どうやら今年の10月10日は、敗戦日になった気がする。
ビデオの公開は、時間が経てば力を失う。
自ら刀を置いた者に、勝ちはない。
あとはどう切り刻まれるか、だけである。