真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

真実とは不愉快なり

2008-04-27 19:27:49 | Weblog
どうも、一致しないのである。
若い頃、外国で知り合った中国人たちは、礼儀を重んじ、何より親切だった。

私は1年間、オーストラリアで独り暮らしを経験したが、言葉も知識も未熟の極致だった私は、下宿を探すのに四苦八苦していた。
日本人の友人は、同情してはくれたが、そこまで。ある日、一人の男が「とりあえずウチに来ないか」と誘ってくれた。

中国人留学生だった。
彼の家に行ってみると、八畳ほどの部屋にすでに五人の中国人がいた。
「五人も六人も、大した違いじゃないよ」
彼の言葉は、19年を経た今でも鮮明に覚えている。

丁度、天安門事件のあった年だった。
中国の青年たちの自由化運動を、中国共産党が弾圧した事件。
人民「解放」軍が人民に向けて発砲し、人民を戦車でひき殺した事件。

私は柄にもなく義憤に駆られ、パース市で生れて初めてデモに参加した。
背広を着た中国大使館員の連中が、デモ隊参加者を盗撮していたのを覚えている。

彼ら中国人留学生は当時、金銭的にも大変な状況なのに、私にご飯をくれたり、お茶に誘ってくれた。
互いに拙い英語と漢字の筆談で、自由とは、生きるとは、そんな青臭い話をした。

純粋で優しくて思いやりのあった、あの時の中国人留学生たち。
自由を愛し、堂々と自分の国の政府に対して批判を口にしていた彼らは、どこに行ったのだろう。

私は、身なりや食べ物は今の中国人留学生より遥かに劣っていた19年前の中国人留学生に、真の意味での品格を感じた。
彼らが中国国歌を歌ったあと、私が君が代を歌うと、中国人留学生はみな起立して聴いてくれた。

サッカーの試合で薄汚い罵声を絶叫し、日本大使館に汚物を投げ込み、他国での聖火リレーの沿道に中国国旗を林立させて、立場の弱いチベットの人々を冒涜する中国人青年たちに、かつての面影を見ることができない。

中国国内にいる人々は仕方あるまい。
しかし、留学生たちよ。君たちは中国共産党が発する一方的な情報だけでなく、言論の自由が保障された国の中で、様々な情報に接することができるはずだ。
国を思う気持ちはわかる。
だが、だからと言って、国の手先になって誤った行動をとるべきではない。
自分で考え、自分で判断し、自分で行動すべきではないのか。

知ることを恐れるな。
真実が不愉快であることは、よくある話だ。
それを愉快な事実に変えていくことこそが、進歩ではないのか。

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