当時千本丸太町と北野白梅町にも新京極に本店を構えて京都を中心に滋賀、奈良にまで展開するCDショップの支店があって、下宿からの距離はどちらとも似たようなものだったので平日大学の行き帰りには白梅町、休日には千丸、という感じでよく覘(のぞ)いていた。オリジナルのものかどうかはわからないが、一時期そこで買い物をすると品物を往時のロックやジャズのLPジャケットをモノクロでデザイン処理したプリントを施してあるジッパー付きのポーチに入れてくれた。
「お腹が減ったら納豆と干しぶどう以外は何でもおいしいです」
好物を尋ねられたときの宝饒さんの玉言である。宝饒さんのイメージはロックとプロレスの人、ちょっと慌てたような喋り方をする、引き込まれるような素敵な笑顔の人。あるとき佐川さんから宝饒さんの下宿で呑む、その際にいま一番お気に入りのCDを2枚持参すること、というお達しが来た。各自が持ち寄った音楽を鑑賞し、それについて評しあうことでお互いの音楽の守備範囲を広げようと。ただ何のことはない「こいつ何を持ってきやがるんや」という興味本位の探りもみえみえなその企画に、確かジェフ・ベックの何年か振りに出したばかりのインストゥルメンタルアルバムとマリリン・マーティンのファーストを持って行ったように思う。あとの参加者は判然(はっきり)としない。栄地もいたか。さて始めるか、となって持参のCDを宝饒さんに渡す。
「おっ、ストーンズやんけ」
宝饒さんが食いついたのは持って行ったCDではなく、それを入れて行ったポーチにプリントされた “december’s children” のジャケットデザインだった。
呑み始めてしまうともう『鑑賞する』も『評する』もない。大きな声で喋るわ笑うわ、各自選りすぐり(のはず)のとっておき(たぶん)が単なるBGMに成り果ててしまっている。その間も宝饒さんは思い出したようにポーチを手に取っては「ええなぁ」と眺め入っている。とうとうこらえきれなくなったらしく「あー、ええなぁこれ、松田、これおれにくれへんけ」と思いの丈をぶつけてこられた。こちらとしては何の異存もない。「いいですよ、それ置いていきますからどうぞ」「ほんまけ?ほんまにええんけ?いやぁでもなんか悪いやんけ、ほんまけ?」引き込まれるような笑顔で早口に畳み掛けるそのリアクションにお人柄がにじみ出ている。この人はとことんいい人だ。だけどここまで言われるとどことなくこそばゆい。
「宝饒、よかったやんけ」「おお、嬉しいわぁ、なんか礼せんとあかんなぁ」「ほんまやで」
佐川さんも一緒になってなんだか妙な感動モードに入っている。いえいいんです、CD買ったらもらえるんですそれ、そんな大袈裟なモンとはちがいますよー!
かえって困るちゅうんだこれ...で、結局「ちょっと多めに注いでもらう」ことでケリがついた。
後日、大手レコード会社に就職した宝饒さんから電話があった。「今度お前の好きそうなCD出すことになってな、余分のデモ送ったるわ」とのこと、卒業後まで気にかけて思い出してくれるのを嬉しく思った。住所を伝えて何が来るかと待っていると、宝饒さん名義の封書の中に入っていたカセット・テープのラベルには『浪速のモーツァルト』と称される作曲家の名前が大書してある。思わず小躍りしてしまった。
テープの中身は関西圏で生まれ育ったテレビっ子にとっては体に染み付いているような、関西圏以外のテレビっ子にとっても聞き覚えのあるような番組テーマ曲やCMソングが目白押しで、聞かせた奴らのほとんどが懐かしがり、欲しがった。聞かせたこっちは『どうでぇ』てなモンである。宝饒さん、ありがとう。とはいえCD2枚組み作品集のすべてが入っているわけではない。今となってはまったくもってその必要もなかったように思われるが、先のCDショップチェーン白梅町店で「取り置き」をお願いするという暴挙に出た。
「モーツァルトですか?」
「『浪速の』モーツァルトです」ことのわからないバイト店員にヤキモキしたものである。
CD入手後しばらくの間は貸せのよこせのちょっとした争奪戦状態だったがやがてそれも沈静化し、とはいえ松田の下宿で呑むときは決まって中の誰かが聴きたがり、最低1回はかかるようになっていた。みんな「またかいな」という態度を取っていてもそれぞれの『ツボ』に差し掛かると必ず歌でもメロディーでも小声で口ずさんでいる。刷り込みっておそろしい。
時は戻って “december’s children” のポーチが宝饒さんの手に渡った頃のこと。手元にはこれとビル・エヴァンス・トリオの “Sunday at the Village Vanguard” のものが複数枚ずつ、他にもいろいろとデザインがあったのに、どういうわけかどの店で買い物をしてもこの2種類にしか入れてもらえない。まぁ自分で選ぶシステムではなかったし、CDサイズで『容れ物』としての汎用性に乏しいものなので「CDを貸し借りするときにちょっと便利」な代物でしかなかったのだけれど、もう一人これに食いついてくるのがいた。ビル・エヴァンスのものを見た栄地が「いいな」と言ったのである。イメージ上彼は自分を含めた知人の中で『物欲』から一番遠く離れた所にいたので、ちょっと意外な感じがした。
「ええよ、じゃぁ、やるわそれ」
「え?ええんか?お前の分あるんかいな」
ちゃんとある。何枚かある。なくても、スマン、俺にはそれほどの思い入れはない。軽く押し戴くようにして「感謝」と言う栄地の姿は本当に嬉しそうだった。
自分にとっては『買ったCDの付きモン』に過ぎないようなもので宝饒さんと栄地という「なんだか惹かれる」男たちに大層な礼を述べられ、ものすごく得したような、なんだかちょっと後ろめたいような気がした。
「お腹が減ったら納豆と干しぶどう以外は何でもおいしいです」
好物を尋ねられたときの宝饒さんの玉言である。宝饒さんのイメージはロックとプロレスの人、ちょっと慌てたような喋り方をする、引き込まれるような素敵な笑顔の人。あるとき佐川さんから宝饒さんの下宿で呑む、その際にいま一番お気に入りのCDを2枚持参すること、というお達しが来た。各自が持ち寄った音楽を鑑賞し、それについて評しあうことでお互いの音楽の守備範囲を広げようと。ただ何のことはない「こいつ何を持ってきやがるんや」という興味本位の探りもみえみえなその企画に、確かジェフ・ベックの何年か振りに出したばかりのインストゥルメンタルアルバムとマリリン・マーティンのファーストを持って行ったように思う。あとの参加者は判然(はっきり)としない。栄地もいたか。さて始めるか、となって持参のCDを宝饒さんに渡す。
「おっ、ストーンズやんけ」
宝饒さんが食いついたのは持って行ったCDではなく、それを入れて行ったポーチにプリントされた “december’s children” のジャケットデザインだった。
呑み始めてしまうともう『鑑賞する』も『評する』もない。大きな声で喋るわ笑うわ、各自選りすぐり(のはず)のとっておき(たぶん)が単なるBGMに成り果ててしまっている。その間も宝饒さんは思い出したようにポーチを手に取っては「ええなぁ」と眺め入っている。とうとうこらえきれなくなったらしく「あー、ええなぁこれ、松田、これおれにくれへんけ」と思いの丈をぶつけてこられた。こちらとしては何の異存もない。「いいですよ、それ置いていきますからどうぞ」「ほんまけ?ほんまにええんけ?いやぁでもなんか悪いやんけ、ほんまけ?」引き込まれるような笑顔で早口に畳み掛けるそのリアクションにお人柄がにじみ出ている。この人はとことんいい人だ。だけどここまで言われるとどことなくこそばゆい。
「宝饒、よかったやんけ」「おお、嬉しいわぁ、なんか礼せんとあかんなぁ」「ほんまやで」
佐川さんも一緒になってなんだか妙な感動モードに入っている。いえいいんです、CD買ったらもらえるんですそれ、そんな大袈裟なモンとはちがいますよー!
かえって困るちゅうんだこれ...で、結局「ちょっと多めに注いでもらう」ことでケリがついた。
後日、大手レコード会社に就職した宝饒さんから電話があった。「今度お前の好きそうなCD出すことになってな、余分のデモ送ったるわ」とのこと、卒業後まで気にかけて思い出してくれるのを嬉しく思った。住所を伝えて何が来るかと待っていると、宝饒さん名義の封書の中に入っていたカセット・テープのラベルには『浪速のモーツァルト』と称される作曲家の名前が大書してある。思わず小躍りしてしまった。
テープの中身は関西圏で生まれ育ったテレビっ子にとっては体に染み付いているような、関西圏以外のテレビっ子にとっても聞き覚えのあるような番組テーマ曲やCMソングが目白押しで、聞かせた奴らのほとんどが懐かしがり、欲しがった。聞かせたこっちは『どうでぇ』てなモンである。宝饒さん、ありがとう。とはいえCD2枚組み作品集のすべてが入っているわけではない。今となってはまったくもってその必要もなかったように思われるが、先のCDショップチェーン白梅町店で「取り置き」をお願いするという暴挙に出た。
「モーツァルトですか?」
「『浪速の』モーツァルトです」ことのわからないバイト店員にヤキモキしたものである。
CD入手後しばらくの間は貸せのよこせのちょっとした争奪戦状態だったがやがてそれも沈静化し、とはいえ松田の下宿で呑むときは決まって中の誰かが聴きたがり、最低1回はかかるようになっていた。みんな「またかいな」という態度を取っていてもそれぞれの『ツボ』に差し掛かると必ず歌でもメロディーでも小声で口ずさんでいる。刷り込みっておそろしい。
時は戻って “december’s children” のポーチが宝饒さんの手に渡った頃のこと。手元にはこれとビル・エヴァンス・トリオの “Sunday at the Village Vanguard” のものが複数枚ずつ、他にもいろいろとデザインがあったのに、どういうわけかどの店で買い物をしてもこの2種類にしか入れてもらえない。まぁ自分で選ぶシステムではなかったし、CDサイズで『容れ物』としての汎用性に乏しいものなので「CDを貸し借りするときにちょっと便利」な代物でしかなかったのだけれど、もう一人これに食いついてくるのがいた。ビル・エヴァンスのものを見た栄地が「いいな」と言ったのである。イメージ上彼は自分を含めた知人の中で『物欲』から一番遠く離れた所にいたので、ちょっと意外な感じがした。
「ええよ、じゃぁ、やるわそれ」
「え?ええんか?お前の分あるんかいな」
ちゃんとある。何枚かある。なくても、スマン、俺にはそれほどの思い入れはない。軽く押し戴くようにして「感謝」と言う栄地の姿は本当に嬉しそうだった。
自分にとっては『買ったCDの付きモン』に過ぎないようなもので宝饒さんと栄地という「なんだか惹かれる」男たちに大層な礼を述べられ、ものすごく得したような、なんだかちょっと後ろめたいような気がした。