goo blog サービス終了のお知らせ 

センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

番外編 ほぼ40回記念 近況版

2012-06-04 19:28:23 | 洛中洛外野放図
「今中央改札口を出ました」
「私もその前にいるよ、あ、松田見えた」

 今回はすんなりとお互いを見つけることができた。一年前は季節外れの台風で大変な雨の中だったけれど、今回は抜けるような青空に京都タワーの白が眩しく映えている。

「なんかそこのパン屋さんで出来立てのパンがいーぃ匂いでさ、すでに買っちゃったよ」

 会津さんと「17:30りゅうせん」の前に散策の約束はできている。ところが社会人なのに晩のお酒以外あまりお金を使う気がない二人の間では、天気が好ければサンドイッチか何かを買って鴨の川原でアウトドアランチな打ち合わせも済んでいた。揃って予約してあるホテルは四条通に面しており、チェックインは午後2時からなのでまだ先である。まずは身軽になろうと地下鉄烏丸線で四条まで、烏丸通のずっと西にあるホテルで荷物を預け、パンを持って四条通を後戻りした。出て直ぐのところに小さな酒屋があって、ビールを買って更に東へ向かって行くのだが四条通は人通りが多くて思うように進めない。ようやく河原町通にたどり着いて信号待ちをしているときのこと。
「地球屋ってまだあるかな」「行ってみましょうか」
ということになって河原町通りの東岸に渡ってから南へ、三筋目を東に折れるとシャンソニエ巴里野郎の看板をみつけた、その向こう。
「あー、あるよ」「ありましたねぇ」「まだあの『すッポーン』てのやってんのかな」
居酒屋『地球屋』の大将の栓抜きパフォーマンスのことを言っている。瓶ビールを頼むと灰皿だとか割り箸で栓を抜いて見せてくれていたのである。だけどそれはもう20年も前の話なので…そのまま道なりに南に折れると二人とも気に入ってよく通った店の懐かしい赤い看板は色褪せて白っぽくなっているけれど、どうやら営業はしている様子。「懐かしいネェ」そう言いながらその直ぐ脇の公園から川原へと降りる。四条通の南側、鴨川にはジグザグにロープが渡してあって、目立たない掲示をみると稚鮎を放流してあるので川鵜よけのために張っているのだとある。
「これじゃ大学生渡れないよ」
河原町周辺の繁華な界隈で新歓コンパをやると、鴨川を歩いて渡るのが新入生の通過儀礼だった。そこでかの松須さんは「ワシは『屋島の海坊主』と呼ばれた男や!」と叫びながらひざほどの深さしかないところでのたうっていたらしい。そのときかどうかわからないが同じく新歓コンパ後の鴨川でのひと暴れで仁多苑さんの首の皮が千切れたとも聞く。武勇伝にはコト欠かないのである。
 サンドイッチと缶ビールでお昼を取りながら、ちょうど南北の位置は合っていたのでかの『縁切り』安井金比羅宮へ行って見ることに。正面の鳥居は東大路通に面しているがそこまでは行かず、四条の一筋南の橋を渡って東に進むと場外馬券売り場に突き当たる。そこを南に折れて東に曲ったところにある脇の鳥居から入ると相も変わらず「○○との縁が切れますように」だとか「△△と二度と関わりませんように」だとか、更には再現するのも憚られるほどえげつない内容の絵馬も連なっている。あろうことか修学旅行の中学生に対して年配の引率者が一枚ずつ手にとって解説を加えているではないか。いいのか?というこちらの心配を他所に中学生も楽しんでいるようではあるが。
 金比羅宮横の小ぢんまりとしたギャラリーに猫のイラストを見つけて入ってみると、毎年GW前後に猫をモチーフとする作家の作品を集めて『猫祭り』なるものをやっているらしい。今年は前の週の週末に終わったのだそうで、それでも猫グッズは充実していた。二人揃って家猫オーナーなので猫モノには目がない。あれこれと物色してそこそこに満足してから店を出た。にしても、暑い。チェックインのできる時間になったのでひとまずホテルに戻ることにして、だけども歩きにくい四条通はもう嫌だ、南の綾小路通から仏光寺通を行ったり来たりしながら西へと向かった。西洞院通と綾小路通の交差点で信号待ちをしていると「お!」という声が聞こえた。こんなところで知り合いに会うなどと思ってもいないので自分たちに声がかけられているという頭は微塵もなかったのだが、ふと会津さんが後ろを向いた。
「あぁっ!ポチ!!」「うーす」「え!」
ちなみに最初のが会津さん、最後のは松田である。最初の会津さんの言葉に驚いて振り向くと古邑さんがニコニコと立っている。もう高1になる娘さんを持つ40過ぎのいいお父さんに向かって『ポチ』もないものだが、双方それでいいらしい。
「こんなところで何しとん?」
それはこっちの科白です。聞けば大学に行った後学生時分の下宿に行って大家さんに挨拶をしてきたそうで。「やっぱりみんなやること一緒だねぇ」ねぇ。これからホテルにチェックインするという古邑さんと16:45に嵐電四条大宮駅前で落ち合うことにして分かれた。「暑い」「喉渇いた」「足だるい」カンカン照りの中結構な距離を歩きまわった挙句の三重苦である。辛抱たまらずホテル横のコンビニで500mlの缶酎ハイを一本ずつ買ってからチェックインをした。約束の時間までまだあるが、もう歩きたくない。エアコンの効いた涼しい部屋で酎ハイを呑みながらしばしご歓談。

 ホテルが思いのほか西に寄っていたので待ち合わせの嵐電四条大宮駅に着いたのはかなり早い時間だったが、愚にもつかない会話をしているうちに古邑さん着、発車寸前の電車に乗り込んだ。今は運賃が全線一律200円になって一部駅名も変わっている。それでも沿線の風景には馴染みもあり、三人して何だかんだと喋りながら以前は竜安寺道という名前だった北野線龍安寺駅まで。その直ぐ裏手にりゅうせんがある。とはいえかなり早い。時間つぶしに大学近くまで一回りして戻ってみると女将さんが店の表に出てくれていて、挨拶を交わして少し早いが中で待たせてもらうことにした。一年前と同様幹事役の石地さんはもう約束の時間になろうかというのに姿を見せない。律義者の石地さんにしては珍しいと話していると、時間通りに「あぁ、すいませーん」と言いながら宝饒さんが入ってきた。「なんかイキナリ遅いって怒られたやんけ」表に出ていた女将さんにからかわれたらしいが、相変わらずちょっと急いだような口調の吸い込まれそうな笑顔に嬉しくなる。
「石地さん15分くらい遅れるって」
待てども来ない石地さんと電話でやり取りをした古邑さんのひと言をきっかけに、先にはじめておくことにした。ひとまず四人で乾杯を済ませて喋っていると仁多苑さん、石地さんと入ってきた、かと思ったら石地さんは後ろを向いてなにやら声をかけている。するとのそぉっと栄地が姿を見せた。三人は白梅町駅からたまたま同じ電車に乗り合わせていたらしい。佐宗さんは二次会から参加予定なので、これでようやく一次会の出席者が揃ったことになる。入り口と奥を結ぶ方向に長い楕円形のテーブルに、入り口を背にして松田、そこから時計回りにカウンターを背にして栄地、古邑さん、奥側の壁を背に石地さん、宝饒さん、カウンターに向き合う形で仁多苑さんと並び、会津さんは松田の右隣の席についた。今にして思えばこの席順も一考を要するものであったようなのだが、ともかく改めて一次会の開宴である。

「石地に写真見してもらってたけど、なんやお前エラい変わりようやな」と仁多苑さんを見た宝饒さんが爆笑している。「俺らは去年見てもう慣れとるけどやな、お前実物初めてやからびっくりするやろ」と石地さんの言うとおり一年前に再会したときにあらかじめ驚いてあるのだが、仁多苑さんは以前と比べて別人と言っていいほど恰幅がよくなり頭もグレーになっている。「でも今日赤いラガーシャツじゃないじゃん」「いや着て来よか思てんけどな、今日暑かってん」と会津さんと仁多苑さんがやり取りしている横で宝饒さんは文字通り『腹を抱えて』身をよじっている。それもようやく落ち着いたと思ったら、何か言葉を交わそうと仁多苑さんの顔を見るとまた止まらなくなった。何がツボだったのか、笑いすぎです。それもどうにか治まりお酒も回り、ひとしきりこの場にいない人たちの消息についてあれこれ喋っていると来年はちゃんと鞍多をつれて来い、ということになった。そりゃ声はかけますけど。おれの係か?その中の松須さんのくだりで栄地がボソッとつぶやいた。「でもまぁ、死んではりませんよねぇ」多分近い席にいた松田と会津さんにしか聞こえてないが、ヒット・アンド・アウェイ方式で辛辣なコメントをさせるとピカ一である。
 いつのまにやら「焼酎をソーダで割ってレモンを搾ったやつ」の注文が始まっており、燗徳利が林立し焼酎ロック/水割りのジョッキも並んでいる。各自思い思いの酒を呑み思い思いに喋っているが、店内で一番声がでかい。その喧騒の中で『らくだ』と『ポチ』のあだ名の由来も語られたはずなのだが、すでに忘却の彼方である。「何であんたに頭はたかれなきゃなんないんだよ!」と言いながら会津さんが仁多苑さんの頭をはたいている。今グーでイってなかったか?40代子持ちの呑み方とも思われないが、次回は二人とも手の届かない席に着いてもらいましょう。

 それでもどうやら「りゅうせん」での一次会も大団円を向かえ、一年前と同様タクシー2台に分乗して三条木屋町へと向かう。前回とは打って変わってシャキシャキしている会津さん、仁多苑さんと一緒に乗ることになった。二人は後部座席で硬軟織り交ぜた話題で喧喧諤諤、蚊帳の外に置かれた松田が運転手とやり取りしていると時折「なぁ、松田」と声をかけられる。そう振られても対処できませんがな。目的地についてタクシーを降りても言い合いは続いており、石地さんは誰にともなくこうつぶやいた。「せやからあいつらに一緒に乗んなて言ったんやて」

 二次会の店も一年前と同じで、前回は飛込みだったが今回は辣腕幹事石地氏によってすでに掘り炬燵式の座敷が取ってあった。そこからは佐宗さんも合流、これで全員揃うはずだったのだが宝饒さんの姿が見えない。あとで石地さんに聞いたところによると「ちょっと風に当たってくる」と言い残して連絡が取れなくなり、そのままホテルに帰られたらしい。実は一次会で結構なペースで熱燗を勧めていたのは松田なのである。申し訳ないことをした。店に入るなり座敷の奥の席に仁多苑さんと会津さんが向かい合って座る、だから互いの手の届くところにその二人を置いては...

 案の定である。座敷の上がり口、二人から一番離れたところに松田、その左に栄地、向かいに石地さんが座ったが、奥の大きな声で会話しづらい。さながら「仁多苑・会津二人のビッグ・ショー」の様相を呈してきた。二次会から参加の佐宗さんは仁多苑さんの隣でさぞ大変だったことだろう。そんな中、グラスのつもりがジョッキで出てきた一次会での焼酎ロックに当てられたらしい栄地は少しペースが落ちていたが、古邑さんはあちこちに話を合わせながら飄飄と飲んでいる。賑賑(にぎにぎ)しくも恙(つつが)なく酒宴は進みそろそろ終電も近い時間、帰宅予定者の仁多苑さんと栄地を送り出しそれでも暫くは杯を挙げた。その静かなこと、すでに「宴のあと」といった態である。喧嘩相手がいなくなったからかまたもや会津さんは折り畳まって眠っており、そろそろお開きということになった。どこか別の場所に行くという石地さんと佐宗さんを見送って、ホテルに連れて帰ろうと思っていた会津さんが「あそこ行く」と言い出した。あんた寝てはったんと違いますの?

 「あそこ」とは昼間見た懐かしい店、和洋を問わず70年代のロックだとかブルースのアナログ盤を取り揃えてあって、好みの音楽をかけてもらってしゃべりたい放題しゃべりながらぐだぐだと時を過ごすことができる。古邑さんと三人連れ立って行くことになり、木屋町通を南下、四条通をやり過ごして船頭町のあたりで高瀬川を渡って細い路地に入る。「松田ぁ、どこ行くのぉ」って、あの店ですが、なにか。「あぁ、そうか」いつの間にやらふらつく会津さんとそれを支える古邑さんより大分先行していた。階段を上がって左手にあるはずの入り口が右側にある。ドアを開けると日本語のパンクっぽい音楽が流れており、照明は照れくさいほど明るく、カウンターの高瀬川寄りの半分を占める先客は妙に溌剌としている。通っていたのは20年ほども前のことだから変わって当たり前なのだろうけれど、あまりの様変わりに戸惑いながらカウンターに並んだ。ともあれ1杯ずつ飲み物を注文して大人しく飲んでいたが、どうもしっくりこない。「こんなでしたっけ?」「いや、違うよねぇ」という会話をしているとマスターが加わってきた。やはり階段を挟んで店舗を移したのだという。どんな音楽を聴くかと尋ねられたので、以前その店でよくかけてもらっていたアーティストを幾組か挙げてみてもどうもピンとこないらしい。トム・ウエイツの名前でようやく1枚のCDを取り出してきた。そんなことはしてもらいたくもなかったけれど、かかっているCDを止めて『土曜の夜』をかける。とたんにそれまでのどこか華やいだ雰囲気がけだるいバーのそれになるのが不思議である。どう見ても年下のマスターは40代も半ばにさしかかろうという三人組に話を合わせようとしてくれているが、なんだかつまらなくなってCDの半分も聞かないうちにグラスを乾して店を出た。「なんかあれ違うよねー」それだけ時を経ているのだろう。

 五条あたりにホテルを取っているという古邑さんと「また来年!」と約束した別れ際に「来年は鞍多を連れて来いよ」と念を押されてしまった。ういっす。河原町通まで出て、そこから堀川通の手前にあるホテルまでは少し距離がある。
「さて、どうします?」「あるく」
四条通を西へと向かって歩き出す。歩道の端には数メートルおきにアーケードを支える支柱が立っており、律儀にも会津さんはその1本ずつにぶつかりそうになって、ときにはぶつかっている。腕を取ると「だいじょうぶ、ひとりであるける」って、歩けてないでしょ?それでも無事ホテルにたどり着き、鍵を受け取っている間に会津さんの姿が見えなくなっていた。その間エントランスの自動ドアは動かなかったので建物の中には居るはずである。あちこち見回してみると、エレベーターホールにある飲み物の自販機と壁の間にすっぽりとはまり込んでいる。そこから引っ張り出してエレベーターにのせて部屋まで送り届けた。やっぱり同じホテルでよかったわ。

 翌朝も暑くなりそうな上天気となった。「いろんなとこに痣ができてる」らしい会津さんと連れ立って『千本釈迦堂』の名で親しまれる大報恩寺に行ってみることにした。ここでは所蔵する木造釈迦如来坐像、木造十大弟子立像など見ごたえのある仏像を拝観できる。四条大宮からバスに乗って千本通を北上する。途中JR二条駅の近くに、通っていた大学の新しいキャンパスができているのに驚きながら今出川通を越えて千本上立売で下車、少し迷いながら大報恩寺の境内に隣接するアパートにたどり着いた。ここはかつて石地さんの住んでいたところで、みんなで集まって酒を飲むところでもあった。会津さんは「まだあったよー」と言いながら壁面に大書してあるアパート名の写真を撮っている。機織の音こそ聞こえなかったが迷路のように入り組んだ路地を縫って寺の表へ回る。「やっぱこりゃ迷うわ」「迷うよォ、石地君ちにひとりで行けた私が偉いと思う」
拝観料を払って宝物殿へ、入った途端に二人とももう圧倒されてただ見惚れている。
「こんな凄いモンのすぐ近くで酔っ払ってたんですねぇ」
「ね、知らなかったよ。ここ大根のにおいしかないもん」
大報恩寺で12月初旬に行なわれる『大根焚き』という法要では文字通り大量の大根が煮られ、この大根を食べると諸病除けになるとされる。ここに隣接するアパートに住む石地さんは毎年「部屋ん中のなんもかんもが大根臭くなる」とぼやいていた。

 寺を出て七本松通を南下し、今出川通で左に折れて千本通へ向かう。石地さんの下宿と松田の下宿の間にあたるこの辺りはかつてのナワバリのようなもので、なんだかんだと会話も弾む。千本通を中立売通まで下って樽尾を呼び出した中華飯店に入った。料理を待つ間前夜の参加者にお礼のメールを打ち、鞍多に写真と来年は是非にとのメッセージを送る。会津さんは写真をチェックしながら「おっさんばっかり」とつぶやいた。そりゃそうだ、唯一の女性がシャッターを切っているのだから、写るのはおっさんばっかりである。それから老舗の味に舌鼓を打ちつつ写真に笑い、くちくなったお腹を抱えて京都駅行きのバスに乗り込んだ。暫く乗っているうちに会津さんは眠っていた。

 午後早い時間の新幹線で帰って行く会津さんを見送って、自分の乗る列車の時間まで駅周辺をぶらついていると石地さんからメールが届いた。

『どうも。お疲れさまでした。/前回同様、なぜか二次会は荒れ模様ですなぁ。』


 思わずふきだしてしまった。
 まったくもってそうですね、来年はどうなることやら…きっともっと、楽しくなるんだろう。

ファッションのはなし

2012-05-24 16:11:11 | 洛中洛外野放図

 「あれ、どうや」
 「えー、あれはちょっと…、せやったらあっちの方がええかなぁ」
 「ほぉ、そうくるかぁ」

 「ちょっと!」

 講義室に行くと開講5分前だというのに誰一人いない。校舎の前まで戻って掲示板を覘いてみると休講と大書してある。どうやら数日前から貼りだされていたらしいということ込みでそのときに気づいた。その後の講義も取っているし、下宿に帰ったりどこかに出かけたりすると戻ってくるのがもう面倒くさい。どうしてくれようかとベンチに腰をかけてぼんやり周りを眺めていると佐川さんが通りかかったので声をかけたら何かの約束の時間まで同じく暇をもてあましているらしい。話をしているうちにどういう経緯(いきさつ)でそんな話になったものだか、男であろうが女であろうがお構いなしに目の前を行き交う学生たちの出で立ちについて選り好みをしていた。明るめの色の軽装でいつでも小奇麗にまとめている佐川さんと並んで選り好みをしている当の本人はといえば洗ったままアイロンを当ててないシャツに草臥れたチノを穿き、古ぼけたデッキシューズのかかとを素足で履きつぶした上からこれまたクタクタになったロングコートを羽織って剃刀の替え刃を買い忘れたまま数日間ほったらかしにしてある無精髭をこりこりと搔いている。新緑が萌え立ち薫風の吹き渡る爽やかな朝にそぐわないそんな格好をしたのに選り好まれては立つ瀬もなかろうが、二人してやれあの組み合わせはないだろうの、やれマラリアを患ったトラフグみたいの、髪型似合(にお)てへんぞー、だのと好き勝手に言っていたら、これまた通りすがりに二人の会話を聞きとがめたらしい皆川女史に怒鳴られてしまった。

「なんちゅうことしてんの!佐川さんまで一緒になって、やっていいコトと悪いコトとあるでしょ!」二人して不意を付かれたようになって唖然と聞いていたら、どうやら皆川女史は容貌によって女性のランク付けを行っていると思ったらしい。男女同権について、ともすればジェンダー・フェミニズム寄りに傾きそうな、どちらかというとラジカルな考え方を持っていることを鑑みれば彼女の怒りも無理からぬものではあるのだが、今回のは誤解に基づくものである。二人で謂れのないお叱りを受けながらそれを是正するのもままならず「おあずけ」をくらった狆コロのように大人しく聞いていた。「頭を下げてたら小言が上を通り過ぎてっちまう」というアレである。

「もう!こんなこと二度としないでくださいよ!松っちゃんも、わかった!?」

「「すいませんでした」」二人揃って頭を下げたものである。

「…キョーレツやったなぁ…」
「ねぇ…」

プリプリと小さくなっていく皆川女史の後姿を見送って、約束の時間だという佐川さんも見送って、あらぬ誤解を受けたまま気分転換が急務である。少し前から気にかかっていた調べ物をするために府立図書館に向かうことにした。もう授業なんかに出てらんねぇ。

 グランドの脇を通って正門を抜けて、その前に飲み物を買って行こうと時計台の付いた校舎の地下に降りていった。外の階段から降りていくと、食堂の大きな窓の前を通った先にソフトドリンクコーナーの入り口がある。窓の前を歩いているとどんどんとガラスを叩く音がする。見ると鞍多で、食堂のテーブルで友達と喋っていたらしいのが大きなサッシ窓を開けようとしている。いやそれは迷惑では?と思うまもなくガラス戸をはり開けて「どこ行くのー」と、目の前にいるのに道の向かいに呼びかけるような大声を出す。「おぉ、ちょっとなぁ」と答えながら、食堂にいる全員の目が向けられてどうにも居心地が悪い。そのまま素通りして反対側の階段に向かっていくと背後から「またねぇ!」と、これまた大きな声をかけられた。気分転換の必要性を重ねて感じながら正門を出て、向かい側のバス停から59系統のバスに乗る。結構長くかかるけれど好きな路線なので、ぼんやりと外を見ながら右側のひとり掛けの席に座ってうつらうつらと、終点の三条京阪前まで気持ちよく揺られていった。バスを降りて東へ向かい、東大路通を越えて三筋目を北へと折れる。小さな川に沿った小路を抜けて、そちらからだと国立近代美術館の向こう側に当たる府立図書館へは平安神宮の大鳥居を潜っていくことになる。

 図書館の中は静かだとは言っても人が多いとその気配だけでなんだかせわしない感じがするが、平日の昼下がりのことで閲覧室にいる人数はそれほど多くない。ゆったりと落ち着いてことに臨むことができる。目当ての本を借り出していくつか必要なメモをとっている最中に何かの気配につられて目を向けると、少し離れた席に女性が座るところだった。耳が出るほどのショートカットとかけている黒いセルフレームの眼鏡が中性的な雰囲気を作り出している。白い、ゆったりとした開襟のブラウスの袖を軽くまくって厚さ10数センチはあろうかという冗談みたいにバカでかい古びた本のページを繰り始めた。右手にペンを持っているから右利きなのだろうけれど、腕時計を右腕に着けている。その細い革ベルトも黒い。よほどメイクが巧いのだろう、不自然でなく目立っている唇の色が厭味のない女性らしさを醸し出していた。それを除けばぼんやりと明るい午後の光の中にモノクロの絵面が出来上がっていて、時代も場所も自分のいるところとは切り離されているかのような様子を面白く眺めていたら、彼女が顔を上げかけたので慌ててメモに戻った。

 帰りのバスの中で彼女はああやって自分と周りの雰囲気を演出しているのだなと思ったらなんとなく物悲しく感じられて、授業の終わっている大学に戻っていつものメンバーで呑みに出かけた。


春宵漫筆

2012-04-26 12:44:54 | 洛中洛外野放図

 仁和寺街道から千本通を南に下って丸太町通へ。千本丸太町のあたりを一時期やたらと歩き回った。千本丸太町から少し離れたところに大正時代創業の、コーヒーが美味しくて時間帯によってはバアにもなるカフェーがあると話に聞いていた。女給さんは和服にサロンエプロンをつけていてBGMには蓄音機を使っているのだという。噂に聞くその大正浪漫を髣髴させるレトロモダーンな雰囲気に浸ってみたいと思っていたのである。とはいうもののどちらの方角に離れているのか聞いてはいなかったので千本丸太町の交差点を中心に東西南北くまなく探索範囲を広げていった。

 京都で暮らし始めた当初から仁和寺街道沿いにある銭湯に通っていたのだが、そのカフェー探しの途上で千本通の西側、出水通の少し上に銭湯があるのに気づいた。普段通っている銭湯のサウナは湿式で、温度が低く設定してあり湿度が高い。人が二人並んですわればそれで一杯の小さなボックスの中に蒸気がもうもうと立ち込めている分体感はかなり暑く、10分と経たないうちに呼吸のたびに新しい蒸気に触れる鼻孔の周りが熱いやら痛いやら、しまいには鼻腔から喉の奥から胸の中まで熱く感じて呼吸がしづらくなって、出た後はかなり草臥れたようになった。千本通沿いの銭湯のものは乾式で、室温は摂氏100度前後に設定してあるがまだいくらか過ごし易い。その上サウナルームはかなり広く取ってあるので数人が寝そべっていることもできる。授業が早く終わって暇な午後はそこで時間を過ごすことも多くなった。そんな或午後のこと、サウナに入ると直ぐにもうひとり入ってきたが、おっさんが入ってきたところでどうということはない。10分ほど経って何の気なしに室を出ようとすると、肩越しに小さな声が聞こえた。
「勝った」
なにをぅ! とは思ったがもう暑い。水風呂に浸かってどうにか見返す方法はないものかと考えていたらそのおっさんも入ってきた。
「ほぉっ!」「だー」「うずぅーい…」
最初が水風呂に腰まで浸かったとき、次が肩まで沈んだとき、最後が水温に慣れてゆるんだと思しきとき、にそれぞれおっさんの発したオノマトペである。その後も頭から水をかぶりながら「だぁっしゃぁっしゃぁ」と意味のわからない大声をあげている。
『うるっせぇな』
無論、思っただけで声には出さない。ひとまず水から出て軽く体を拭き、冷水でタオルを絞ってからもう一度サウナに入った。サウナルームに入った正面は番台に向かう格好でガラスの嵌められた窓になっていて、窓を右手にする位置に座る場所が2段になってしつらえてある。上段の一番奥に胡坐をかいて、窓の桟に置いてある5分計の砂時計をひっくり返したところでまたもやおっさんも入ってきた。おっさんは頭からタオルを被って、下段入り口側に燃え尽きた矢吹丈のような格好で座っている。どちらかが何かを言う訳ではなく、こういう5分はやたらと長い。いじいじしながら待っているとようやく砂が落ちきって、砂時計をひっくり返す。チリチリと砂の落ちる音まで聞こえそうな静かな時間がゆっくりと流れていって、半分ほど砂が落ちたあたりで双方が大きく息をついたり上体を捻ったり伸びをしたり、要はそろそろ我慢しきれなくなり始めているらしい。お互い「まだかい!」という視線をちらちらと送りながらそっぽを向いているうちにぼんやりとしてきたようである。
「ほぅ」
と聞こえたので目を開けてみると5分経っていた。大仰に伸びをしながら欠伸をして見せて、なんでもない風を装いつつ砂時計をひっくり返す。四半分ほど落ちたあたりで小さな声が聞こえた。
「まいった」
「あぁっつぅー!たぁまらんなぁ」という声とともに扉を潜っていくおっさんを見送りながらこぶしを握る。なんでもないことはないのだけれど砂が落ちきるまで居座ることにした。扉の向こうで激しい水音と「おー!どぅえーい」という意味のわからないオノマトペが遠くの音に聞こえる。ようやく5分経ってサウナを出るとすでにおっさんの姿はなく、静かにゆったりと水に浸かることができた。体も冷めてサテ帰ろうかと脱衣場に出るとおっさんは正面から扇風機の風に当たりながら「あー」。大丈夫かこの親父、と思っていたら「にぃちゃん、あっついのぉー!」
…話しかけられてしまった。しかもこちらに向かって牛乳を差し出している。なんスかこれ?
「ホンマはビールがええにゃケド、これから仕事なモンやからこれで乾杯しよかぁ」
負けたから奢る、というのだが。こちらに覚えのない勝負を勝手に挑んできて勝手に敗退していったおっさんが勝手に差し出している牛乳瓶にまぶれついている水滴をみるといかにも冷えていそうである。なにしろ喉が渇いているのでビールでなくとも構わない、遠慮なく頂戴することにした。

 聞けばおっさんはタクシーの運転手で、これから乗務するのだという。そらビールではないわな。乗務歴も長いということなのでいろいろ地理にも詳しかろうと件のカフェーについて訊いてみた。
「知ってるよぉ、よぉ通ったわぁ、懐かしいなぁ」
「へぇ、でそれ、どのへんですか?」
「去年閉めはったで」

 話に聞いてあくがれていた京都の一端はおっさんのひと言で手の届かない過去のものとなり、なんだかとんでもない徒労感にさいなまれて春宵の涼やかな風に火照った頬をなぶられながら千本通を北へ向かってふらりふらりと。仁和寺街道を通り過ぎ、おっさんの勧めてくれた中華飯店でそのまま中ジョッキを煽って、やはり湯上りには牛乳よりもこっちの方が似つかわしい。タクシーの運転手が勧めるだけあって安くてうまい。煙草を吸おうと思ったら持っていない、そこでハタと気づけば風呂屋で受け取った釣り銭しか持ちあわせていなかったのである。ポケットの中に十円玉を探り当てたのをこれ幸いと、店に備え付けの公衆電話から電話をかけて樽尾を呼び出した。よくもまぁ家に居てくれたものである。電話で頼んでおいた煙草を携えて樽尾が来てからどれだけ呑んだかどれだけ食ったか、夜明けに気づいたら二人して下宿に転がっていた。樽尾は感心なことに中華飯店のレシートを握り締めていたので、その半分の金額を渡しておしまいにした。


#37 ハイシライス

2012-03-02 11:03:56 | 洛中洛外野放図

 「さぁー、けえぇわぁ、のぉめぇのぉめ、のーむぅなーらぁばあぁ」
黒田節なのである。
 「ひーのーもーとぉ、いーいぃちぃのお、こーのぉさあけぇ、おおおっ!」
 もはや雄叫びである。
 松須さん、なのだ。「お前ら、この皿空けぇ」と、鍋の具が盛ってあった大皿の中身をのけさせ、そこになみなみと酒を注ぐ。振り付けなんだか酔っているんだか、顔の高さに皿を掲げて一節うなりながら前にふらり後ろにゆらり、緩やかに揺れている。
「おーぇ、だいぶこぼれとるぞー」
石地さんである。「おぉい、無理すんなァ」と、これは宝饒さん。松須さんは「やかましい!」と応じながらも歌い続けている。「あれ実は全部飲まれへんもんやからああやってごまかしとるンや。歌うふりして大っ概こぼしとる」石地さんってばそんな聞こえるように言わんでも...「おぉ、そうだよ、いっつもそうなんだよなぁ」綿部さんまで...「何ィ?呑んだるわいっ、お前注げぃ!」ほら聞こえた。傍にいる1回生がこぷこぷと注ぎ足す。「おぅ、見とれぃ!さぁー、けえぇわぁ」って、最初から!?「くーろぉだー、ぶーぅしいーっ!」とひとくさり歌うところまでにはまた幾分かこぼれている。が、二度目は途中で横槍が入ることもなく歌いきり、ところどころに切なそうな吐息を交えながら皿をあおって飲み干して、どぉんなもんじゃい、と言わんばかりに皿を掲げる。「イヨッ!」てなモンで拍手喝采のうちに大団円、というのが鍋の季節の呑み会での風物詩であった。途中の突っ込みと注ぎ足しをも含めて完成された、全員参加型の出来レースである。これには土鍋のふたバージョンもあるのだが、大皿よりもはるかに深い。蒸気抜きの小さな穴を指でふさいで酒を注ぐ。歌っているうちに指の位置をずらして酒を抜き、量の微調整をする。そこで「穴、穴!」「こぼれとるこぼれとるっ!」といった指摘があり、注ぎ足して仕切りなおし。結構な覚悟がいるのだそうで、その日の体調と勢いがノればふたを手に取ることになるのだが、そう滅多に拝めるものではなかった。松須さんにはこのほかマッチを数本まとめて擦って口の中に入れて火を消すという捨て身芸『火喰い男』もあり、やおら立ち上がりポケットからマッチを取り出した瞬間見物の衆は「待ってました」とばかりにヤンヤの喝采である。

「おー、痛」
「?大丈夫ですか?」
「お?んっ、何でもないわい」
さしもの火喰い男とて失敗はする、どこかを火傷したらしい。稀代のエンターテイナーもバックステージでは己をさらけ出すもので、どこでどうなったか記憶のあやふやなまま下宿で朝を向かえたら、小さな声で松須さんがうなっていたのである。横にいる綿部さんがいたわりながらも容赦のない突っ込みを入れる。「無理するからだよ」「無理してへんわい!」
 三人が三人とも目覚めたなりにぐだぐだになっており、とりあえず腹が減っていたのもあって昼前になってようやく動き出した。

「よっしゃ、餃子でビールや」
「…」
「飲めるのか?」
「…うどん、やな」

体は正直なのである。虚勢を張り通せるものではない。やっとのことで素うどんをすすりこんでBoxに行くと、石地さんがジャコおろしをお菜に御飯を食べている。何もかけてないので真っ白なままだ。
「おなかにやさしいんや」
どうやら石地さんも堪(こた)えているらしい。だいたい、こんなになるまで呑む必要などこれっぽっちもないのだが、座を盛り上げることに強迫観念に近いのではないかと思われるほどの使命感を抱いておられるらしい松須先輩は自らタガをはずす。そうなると場に一種独特のうねりのようなものができあがり、一座は妙に「ふっ切れた」ようになった。今にして思えば就職活動中というのもあってのことなのかもしれないけれど、先輩たちと呑むとそんなふうになった一時期がある。

 その代の先輩たちが卒業していった後になって、元置屋の下宿からそれほど離れてないところに古くからやっているという洋食屋を見つけた。客層はといえば何代か続けて通っているというご家族連れも含めて常連さんが多いようで、同年代の学生らしい客に出くわすことはあまりなかった。全般に少し薄目だけれどしっかりと味付けされた柔らかい味わいで、客に話しかけられると照れたように訥訥と相手をされる柔和なマスターご夫妻に似つかわしい。メニューの中に「ハイシライス」とある。頼んでみるとハヤシライスで、確かにハヤシライスの味なのだけど、さらっとした感じのルゥにとろりとした甘味と酸味のあるとても優しい味だった。
「んー、ハイシライスはハイシライスやなぁ」
とマスターも言うとおり、これは「ハイシライス」であってハヤシライスでもハッシュドビーフでもいけない。

 なんとなく誰かと行くのがいやで専ら一人で通ったけれど、顔を覚えてもらったころ、呑みすぎて、と言っても一時期の先輩たちと呑んでいた頃のような呑みすぎは後にも先にもないのだが、お酒を過ごした翌日のお昼はわがままを言ってライス抜きで出してもらうことがあった。今にも踊りだしそうな胃袋にもすんなり納まっていくような優しさを味わいながら、あの頃ここを知っていたら先輩たちと一緒に来て、一緒にわがままを言ってライス抜きのハイシライスをすすっていただろうかといろいろと懐かしく思い出した。

 残念なことに、今はもう店をたたまれたそうである。


番外編 大学生の世知 -がんばれ受験生-

2012-01-31 12:16:18 | 洛中洛外野放図

 一年浪人をして、祇園のホテルに1週間連泊して三校を受験した。最初がいわゆる滑り止めとして考えていた大学で、中二日置いて二校目が本命と目していたところ、それが済んで中一日置いて本命よりもボーダーランクの低めの大学を受けることになっていた。第一志望に考えていた大学には高校時分に親しかった同級生が現役で合格しており、そこの入試の翌日ホテルに電話をかけてきた。今にして思えばお疲れさんという言葉にほだされて一緒にのこのこ出かけて行ったのが運の尽きだったのであるが、後悔とは先に立たないものなのである。単なる食事にとどまらず、何軒かの居酒屋とショットバーを引き回され、ホテルに帰らずそいつの下宿で数時間泥のように眠りこけた挙句風邪気味になって半ばふらつきながら三校目の受験会場へ向かうという仕儀に立ち至る。結果は推してしるべし、まことに面目ないことになってしまった。後悔とは先に立たないのみならず何の役にも立たないものなのであるからして、これから入試に向かわれる受験生の諸嬢諸兄におかれましてはくれぐれもこういうことのないよう十分注意せられんことをここにご忠告申しておく。

ともあれだ、本命校に合格したので終わりよければすべて好し、浪人生活については「心にかかる雲ひとつだになし」と、実に晴れ晴れとして結果オーライな大学生活のスタートを切ったのである。

 大学に入学しておよそ1ト月半、5月の終わりに気に入らないからという理由で突然ある男がある男に殴りかかった。中坊かお前は、というのが一人。夜中に恋人の下宿のベッドの中から電話をかけてきて、自分たちがしていることを喋ろうとする。

知ったこっちゃねぇ。

バカじゃねぇのか、というのが一人。それを聞いていた横の女も女で、電話を代わって「なんで怒ってんのー?」って、こいつもバカだ、呆れかえって鼻から笑いが漏れた。

「おまえらほんんっまにお似合いやなぁ」

「でしょー?」

ぞくっ、とした。それだけでも相当頓馬な自分の宿酔い受験はしれっと棚に上げておくとして、仮にも20年近く生きてきた人間がだな、と懇懇と言って聞かせてやりたいような、どっか間違うてへんか? と問いかけたくなるような、情操に関わる教育を丸ごとどこかに忘れてきたのではないかと思われる上記のようなのに幾人か出会った。

「大学までくるともう年齢じゃないね」

と、鞍多は言った。いくつであろうと、ついでに言うとどこの大学に在籍していようとバカはバカだというのである。至極ごもっともな指摘であって、実は同じことを石地さん、会津さん、佐宗さん、栄地からも聞いたことがある。いずれも世知弁な、というかいわゆるストリート・ワイズな面面なのであるが、その全員が何らかの棚上げをおこなったうえでの発言であることは言うまでもない。大学生が世間知らずの怖いもの知らずであるのは当然なのだけど、願わくは皆さんも後者のような「自覚を持ったバカ」であられますように。

それではしっかり、頑張っておいで。


猫の舌

2012-01-05 12:35:57 | 洛中洛外野放図
 煙草を吸うので冬でも昼間は窓の硝子障子を少し開けておくことがあった。窓の外側には15センチほどせり出す形で木製の手すりが付いていて、小さな鉢植えでも置いておかれそうな空間ができている。二度目の冬を迎えようかという晩秋の寒い午後、何かが窓の外側、手すりの下を横切って行った。なんだろうと思って窓から顔を出して外を見回しても何もいない。まぁ、こんなところを通り抜けていくのは大方猫くらいのものだろうけれど、と思ったとおりで。寒くて外に出るのが億劫になり、部屋にいることが多くなった。それでそれまで気がつかなかったものに気づくようになったということか、はたまた猫が新たなルートを開拓したためか、その時を発端にして同じ猫をよく見かけるようになった。背中が茶トラで腹側の白い、かわいらしい顔つきにそぐわないかなり大ぶりな猫で、窓の外を横切る前にドスンと音がする。最初はただ駆け抜けていくだけだったのがそのうち部屋の中を覗くようになった。大概は通りすがりにチラッと顔を向ける程度だったが、窓を大きく開けているときは立ち止まって挑みかかるような格好でじっと顔を見据えてくる。猫が目を合わせるのは敵意の表明だというから生意気なのでずっと睨み返してやるけれど、そういう時は何かの音がするなど何らかのきっかけがあるまで双方がじっと目を見合わせたまま微動だにしない。どうやらこのあたりから確執が始まっていたようなのである。

 元置屋の周辺で猫に馴染みがなかった訳ではない。暑い盛り、はす向かいの玄関先にある植え込みの万年青の下で悠然と涼を取る白い猫と同じ色をしたその子ども、仁和寺街道に続く石畳の路地を悠然と闊歩する、白い子の父親と思しき大きな黒猫、近所のお寺の縁の下でお産したらしい三匹の子連れ、七本松通に抜ける南の道に面したガレージに紐でつながれているアメリカンショートヘアの所へ、からかいに来るのか逢引に来るのかわからないけどもお互いににおいを嗅いだり舐めあったりしている雉猫。裏の駐車場は猫の集会場になっているらしいし、その横に住むおばあちゃんは表に出した床几にちょこなんと座って、猫を抱いて日向ぼっこをしている。猫に出くわすことの多い、不思議と犬の気配のない界隈だった。ところが窓の外を駆け抜けていくのはけっこう目立つほど大きな猫なのに、その中での見覚えがないのである。

「あ」
と、うちの炬燵で呑んでいる中の、猫に気づいた誰かが言った。
「飼ってんの?」
「んな訳ない」
「顔かわいいな」
「でもでかいし」
「も、なンま意気な奴っちゃで」
というようなやり取りをしているうちに別の誰かが猫に手を伸ばそうとしたら踵を返して跳んで逃げて行った。媚を売れというのではないけれど、また猫に媚びられても困るけれど、人を怖がらない割に人に馴染もうとしないところがまた忌忌しいほど小憎らしい。

 誰が始めたことかわからないけれど、いつのまにやら手すりの張り出しの上に牛乳を注いだ小皿を置くようになった。見ている前で舐めることはなかったが、窓を開けると空になっている。別段そんな義理があろうはずもなかろうが、空になったのを見ると注ぎ足した。たまにはチーズの切れ端なんかも置いてみる。

「餌付けか?」
「そういう訳やないけども」

 そのうち人が見えていても牛乳を舐めるようにはなったが、上目遣いにこちらを見据えて身構えたまま舐めている。その様子がまた非常にかわいくない。25日の天神さんの縁日で誰かが買っては置いていく輪ゴム鉄砲や銀玉鉄砲がいくつもたまっている。そいつで狙ってやろうかと思ったが、下の坪庭に落とすとまた下の人に叱られる。何しろ最初の夏を向かえる前にとある酔っ払いが空き缶を投げ捨てたことがあり、即座に拾いに降りて一緒に呑んでいた三人が揃ってへっぺらぺに謝った。そいつにはその場で、一階の住人の目の前で出入り禁止を申し渡してどうにか虎口を逃れたことがあったのだが、どうもそれから心象がよろしくなさそうなのである。こんなにかわいくない猫畜生のために追い立てをくらうのも業腹なので、何かないかと考えあぐねていた折も折。

 冷蔵庫の中に誰かがあてにと買って来ていたベーコンがあって、卵も転がっていた。思い立って、というほど大仰なことでもないが、共同炊事場でベーコンをいためて卵を炒りつけ、皿に盛ってひとまず自室へ。炬燵の上に置いてから炊事場に戻ってフライパンを洗っている間、窓は開いていたのである。引き戸を開けて部屋に入ると猫が固まっているのを見て、滴の垂れるフライパンをぶら下げたままこっちも固まった。炬燵の上にはそいつのだだけ散らした炒り卵が散乱しており、窓際に置いた本棚の上から手すりの張り出しに半身を出した状態で振り向きざまにこちらを見ているそいつの口にくわえられたベーコンが揺れている。

 「んぬをん」

ものをくわえたくぐもったような声で一声鳴いて颯爽と身を翻す。その後姿を見送ってただただ頭にきていたが、卵は散らかったままである。泣く泣く後片付けをした。今に見て、けつかれ。

 翌日何事もなかったように牛乳を置いてみたら向こうも何事もなかったかのように飲んでいたので、その次の日には皿の底にからしをたっぷりと塗りつけ、その上から牛乳を注いでやった。飲んだかどうだか知らないが、それ以来姿を見せなかったところを見るとよっぽど懲りて通り道を変えたのだろう、と勝手に勝利宣言をして溜飲を下げた。

 猫は猫舌ではない。

 このときに得られた唯一の教訓であるが、その後どこにも活かしようがない。

35 あさぶろユンタ

2011-12-01 00:00:00 | 洛中洛外野放図
 いつものことである。土曜の夜にお酒を過ごして、相手がある限り土曜でなくとも過ごしているが、日曜のまだ早い時間に幾分脱水状態になって眼を覚ました。何時ごろまでだかはっきりとはわからないけれど、ほんの数時間前まで洋酒と日本酒とをかわるがわる飲んでいた。他に誰もいなかったからみんなきちんと帰って行ったのだろう、とは思うが、正直言ってこの際他人の事などどうでもいい。唇と喉とが干乾びたようになって、特に喉の内側がひっついてかさかさとこすれ合うような不快感がある。頭痛こそしないが頭の中がはっきりとしないのはまだ酔っ払っているからだろう。不自然に折れ曲がって眠っていたので体の彼方此方(あちこち)を寝違えたようになって、仰向けに体を伸ばすだけで呻き声が出る。
 ちったぁ懲りるがいい。
 とは毎度毎度思うことだけれど、それとてそう思うだけで性懲りもなく何度でも繰り返す。というのも、酒を呑みに我が家に集まる連中さんはこちらのそんな内省など一切斟酌しないまま入れ替わり立ち代り、よくもまぁやって来るものであるが、その度にお酒を持って来てくれるのでこちらとしては『汲めども尽きない』お酒の泉を持っているようなものだった。なんとも有難い話ではあるものの、こんな朝にはそれも有難迷惑にしか思われないというのも現金な話である。

 千本下立売を東に入ったところに大きな銭湯があって、日曜は朝8時から営業している。その日は10時半に人と会う約束があったので、取り敢えずはこの酔いをどうにかせねばならん、ならば一風呂浴びることにするか。そんなことを考えてやっとのことで体を起こした。起こしたのはいいが起こしたなりに煙草を銜(くわ)え、しばらくぼんやりとディオニューソスとスクナビコナが手に手を取って踊り狂っているさまを思い浮かべている。前者はギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神、後者は日本神話で色色なものに纏(まつ)わる中酒造にも関わる神であって、日日酒を呑み暮らしているものにとってはその両方が氏神さまのようなものである。氏子代表として敬意を払うべく酔いの抜けきらない頭の中で和洋二神にご活躍を願ったのだが、いかんせんスクナビコナは小さな神様なので手に手を取ろうにもバランスが悪いのではないか、などと心配しながらふかりふかり煙草をふかしている。眼を覚ましたのが6時過ぎだったが、ようやく立ち上がって共同炊事場でグラスを洗って洗面を済ませたときにはすでに8時になりかかっていた。

 下宿を出てみると天気が好くて、太陽が妙に眩しい。手に下げているのは石鹸1個にタオルが1本、それすら重たく感じられる。あまりに消耗していると太陽が黄色く見える、というのはどうやら本当らしい、などとおかしな感心をしつつキシキシと節節の痛む体を引きずりながらうねくねと入り組んだ小路を曲がって六軒町通を南へ、下立売通で左に折れて千本通を渡る。千本通から少し東に入った北側に見えるのが目指す銭湯である。風呂銭を払って剃刀を買って、服を脱ぐのももどかしくようやくたどり着いた浴場は陽光をたくさん取り入れて明るい雰囲気で、色色な種類の浴槽がある。ひとまず体を洗って。頭と体中を縦横無尽に駆け廻る酒神を叩き出すべくサウナと水風呂を数往復して汗を流す。たまに行く日曜の朝風呂は結構入浴客が多いのにその日はまばらで、ちょっとした貸切り気分を楽しんでいるうちに頭がすっきりとしてきたようなので髭を剃ってもうひとっぷろ、泡風呂に揺蕩(たゆた)うていたら今度はのぼせてぼんやりとしてきた。ふらつくような眠たいような中で、なんとなく聞き知っていた安里屋(あさどや)ユンタを歌う声が聞こえた。

 サー キーミィワァノナカノ イバラーノォハァナァカ

 サーユイユイ ― つい何の気なしに合いの手を入れた。とたんに歌声がふっつりと途切れたのではっとしてあたりを見回すと広い浴場の洗い場におじいさんが一人だけ。タオルを持って体を洗いかけた格好のまま丸い眼をして不思議そうにこちらを見ている。温かい泡風呂で身も心もグニャグニャになって何も考えてなかったが、自分の鼻歌に見ず知らずの者が合いの手を入れてきたらそれはびっくりするだろう、なんだか悪いことをした。どことなく極まりが悪くなってちょっと頭を下げたら、おじいさんもほぼ同時に少し照れたように咲(わら)って頭を下げられた。もう出るつもりでいたのだが、そのおじいさんの歌う声がまた渋く落ち着いた好い声なので、なんとなく気になってもう一度水風呂に浸かって体を冷ますことにした。水から出て湯船の縁に腰をかけていると、体を洗い終えたおじいさんは薬風呂の浴槽に浸かりながら小さな声で続きを歌いだした。
 暮れて帰れば ヤレほんに引き止める
 マタハーァリヌ チンダラ カヌシャマヨー ― ここも続きの合いの手を知っていたので小さな声で合わせてみた。最初はお互いに牽制し合うような感じだったが、終わるとおじいさんはこっちを見て微笑しながら二番を歌い始めた。『サーユイユイ』と『マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ』を合わせる。離れた浴槽でそっぽを向いたまま歌っている二人ともそれほど大きな声ではないのだが、広い浴場に木霊してなんだか荘厳極まりない。元元の歌が何番まであるのか知らないけれど、またそのときに何番まで歌ったのか覚えないけれど、入浴客が入ってきたので途中にうやむやで終わってしまった。最後に掛け湯をして薬風呂のおじいさんと会釈を交わして浴場を出る。

来たときの沈欝な気分とは打って変わって晴れやかな気分で銭湯を出て、あまりにも晴れやかなので帰りがけにビールを買って、足取りも軽やかに下宿に戻ってビールを飲んでいたら電話が鳴った。取ってみたら待ち合わせの相手で、ふと時計を見る。
オーマイガアァァァーッ!

すでに11時を回っているではないか、これはイカンと正直に事情を説明した。前夜の飲みすぎを解消するために入った朝風呂が大変に気持ちよかったということ、風呂の中で老人が安里屋ユンタを歌いはじめ、それがどれだけ心地の良い歌であったかということ、それに聞き惚れてついつい長湯をしてしまって現在に至る。これで納得するとも思わなかったが「そら、しょうがないわな」と納得されてしまった。ただし居酒屋1回分のペナルティつきではあるけれど。

 ユンタのおじいさんとはその後何度か朝風呂で顔を合わせたが、入浴客でにぎやかな中歌を歌う訳にもいかないのでお互い照れたような会釈を交わすだけに終わったのは今思い返しても残念なことである。もう一度、今度はお酒を呑みながらじっくりと聴いてみたいと思う歌声であった。

34 俄ブーム到来

2011-11-15 00:00:00 | 洛中洛外野放図
「邪魔だなおい」
「だからわざわざこっちに座ることないだろぉ」

最初が石地さん、あとが綿部さんである。綿部さんは箸を使うときだけ左利きで、石地さんは必ずと言ってもいいほどの頻度でその左側に席を取る。座る際に椅子を少しだけ右側に寄せ、横の綿部さんとのタイミングを計りながら右肘を張って箸を使うものだから、どこの誰がどんな法則に照らし合わせてみたところで肘がぶつかり合うということに反論の余地はなかろう。
「わざわざって、人聞きの悪いこというな。だいたいお前がやな、こう、あーもう、邪魔だな」
「こういうの好きだなぁ、お前は。なぁ、こいつしょっちゅうこんなことしてんだよ、どう思う?」
どう思うもこう思うも、そう言いながら綿部さんもなにやら楽しそうにしているではないか。
「『しょっちゅう』とはなんや『しょっちゅう』とは、失礼なヤツやな。お、松田言ってやれ言ってやれ、もう、お前の思うところをやな、こいつにっ、バーンと言ってやったらええんやて」
だから思うところなどありはしない。ただ、隙あらば何かをしてやろうと虎視眈眈と狙いすましている石地さんの貪欲さ加減といつなんどきどんなことを仕掛けられてもさらりとかわしてみせる綿部さんの自由自在さ加減、傍から見れば見事なまでに程の合ったその二人の呼吸は一朝一夕に出来上がるものではあるまい。これではもう前で優しく微苦笑しているよりほかに手がない。

 「松田まつだぁ」
 綿部さんはなぜか松田を呼ぶときだけ必ず『ホニャア』とした口調で二回繰り返す。他の人を呼ぶときはそうでもないので、一度訊いてみたことがある。すると「そぉかぁ? んー、そうかも知れん、おまえがそんな感じなんだよ」とよくわからないような答えが返ってきて、その答えがまた『ホニャア』としている。例えるならば空気のような人、ただし『空気みたいに存在感のない』人なのではなく『空気みたいな存在感を持つ』人なのである。どこにでも馴染んでいて、またどこにいても泰然自若として何事にも動じない。のか、何が起きても柳に風と受け流しているのかわかったものではないけれど、おそらく綿部さんのいる部屋から隣の部屋に移動して、そこに綿部さんの姿を認めたとしてもだれも不思議に思うことはないのではないか。『我が俺が』な奴儕(やつばら)の闊歩する俗世にあって、もしかしたらこの人は霞を食らって生きとるのではないかと疑いたくもなるようなそのふわふわとした存在感はまさに変幻自在、どこに居たって違和感を抱かせないのである。電話であってもそんな柔らかい存在感で『ホニャア』と話しかけてくる。
「松田まつだぁ、これからお前んちに行ってもいいかぁ?」
もちろんです。こちらに異存はありません。綿部さんとはよくご一緒したが、いつも複数名で呑んでいたのでそのときも石地さんか会津さんか、それとも松須さんか宝饒さんか、はたまたその全員と一緒に来られるものだと思っていたら。ノックに応えて出てみれば、廊下に立っているのは綿部さん一人、珍しいこともあるもんだと思って招き入れようとするとこう切り出された。
「これ預かっといてほしいんだよ、置くとこがなくてなぁ」
「へ?」足元に大振りの段ボール箱が置かれている。いやウチにかて置くとこありませんケド? 
「あのコレ」
「お、悪い、下の細い道に車停めっぱなしなんだわ、どっかに置いてくるから」
って、ちょっとちょっと、えぇ? 行てもうたがな、なんか知らんけどどうすんのコレ?

何だこれは。ビデオテープがたくさん入っている。何のビデオだ? なんでウチにこんなものを持ってくる? まさか非合法に大量ダビングしたビデオテープを売り捌こうてか、あの人もほにゃほにゃしてるようでなかなかやるなぁ。しかしこんなもんの集積基地にされたらたまったもんやないわ、売り上げの何割かもらわんことには割に合わんでコレ。いろんなことを考えているうちに電話が鳴って、出てみると『ホニャア』とこんなことを言われた。
「なんかもう帰るわ、それ頼むなぁ。」
「『頼むなぁ』て、これなんですか?」
「あぁ『ウルトラQ』と『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』だ」
ウウウ、ウルトラだぁ?「へあ゛あ゛っ!」思わず電話口であのおっさんがタンを切るような声を出してしまった。説明を求めてみたものの「あぁ、電話じゃめんどくさいから、今度会ったときに話す、明日大学来るだろ?」「そら行きますけど」「うん、じゃそんときに。あ、見といていいぞぉ」
『いいぞぉ』言われても...

 翌日受けた説明によると、学内に『ウルトラマン大時代研究会』という自主ゼミがあるらしい。それを関西の伝統芸能、主に上方落語を中心に扱う老舗雑誌の編集長を長年つとめておられ、時折朝日放送『わいわいサタデー』の「女性なんでもコンテスト」の審査員席にも座っておられた教授、大学そばのお好み焼屋『鉄平』でたまたま居合わせた折たまたまその直前に生協書籍部で買っていた著書『上方の笑い』にサインをお願いすると、赤い顔をしてにこにこと上機嫌にサインをしたうえに「松田様“笑える門には福来る”」という有難いお言葉をいただいた、その教授、が担当されているらしい。それでその『ウルトラマン大時代研究会』って、何してんですか?
「ビデオ見てんだよ」
当時は1960~70年代の子ども向け番組について改めて評するようなことが盛んになりかけた頃で、作品を通じて製作当時の世相や背後の思想を読み解こうとするものから理系視点で設定の揚げ足を取ろうとするものまで、いろんな文献が出回っていた。趣向としては前者のようなことをしたかったらしいのだが、実態は「集まって酒を飲んでビデオを見て」いるだけだったそうだ。その『研究素材』の置き場に困って、松田が綿部さんのあの『ホニャア』に抗(あらが)いきれないのをいいことに持ち込まれてしまった。うちに呑みに来てそれを見つけた会津さんは「あー、これ今松田んちにあるんだぁ、へぇ」と感心している。この人ここにも噛んでるのか。

 正直、邪魔である。とはいえ他に置く場所とてないので四畳間のコタツ兼テーブルの下に置いておいたが、なんだと訊かれて説明をすると大概の者が見たがった。中には何度か通ってきて夜通し見て帰るようなやつもいる始末、数ヵ月後に「長いこと悪かったなぁ」と『ホニャア』と引き取られて行くまでの間、築数十年木造の元置屋は俄(にわ)かに降って湧いた『ウルトラブーム』に沸き返ったのであった。

33 酒宴抜景貧者戯 しゅえんばっけいひんじゃのたわむれ

2011-11-01 00:00:00 | 洛中洛外野放図
 昔から『楽しみは 背中に柱 前に酒 左右に女 懐に金』なんどと申します、男と生まれて酒飲みとなったからにはこれほどの楽しみもそうはないのでございましょうが。

 さてここにおりますこの男、元置屋の下宿の部屋で壁から15センチほど離れたところにニュウっと突き出ております床柱を背にして缶ビールを目の前に置いておるところまでは好かったんでございますが、左右に女をはべらかせるほどの甲斐性もなし、懐はといえば真夏の炎天燃えるような暑さの中でさえも絶えず寒風が吹き荒んでいようかという至って頼(たよ)んないのでございまして、今日も今日とて電話で呑もうとお誘いを受け、取り敢えず飲み物をば準備して相手の来るのをいまや遅し、と待ち構えております。

 とんとんとん、ノックの音がいたしますというと。
 「うぇーい、開いてますよぉ」
 『開いてますよぉ』言うて、普段あんまり鍵をかけたことがないというんでございますからな、そら開いてるも開いてへんもあったもんやないのではございますが。ガラっと開けて入ってきたのが古邑さん、この男同様というような呑気なお方。
「うーす、なにちょっと早かったか?」
「あぁ、まぁみんなぼちぼち来るでしょう」
「ほんで今日だれが来るん?」
「え? 知りませんよ。古邑さんが呼んだんとちがうんですか?」
「いや知らんど、おれ佐宗から松田のとこで呑むっていわれたんよ」
こういうことが、往往にしてあったのでございます、誰が言い出しっぺで誰が来るもんやらわからへんという、まぁ待ってたらわかるやろ、と言うておりますところへまた一人やってきた様子。
「あー、どうぞぉ」
「こんちは、じゃまします、ほんで一応こんなんもあった方がええか思てな」
とフォア・ローゼズのブラックラベルを差し出したのは栄地な訳でございまして、この男は妙に義理堅いと申しましょうかなんと申しましょうか、頑(かたく)ななまでに『どこにも借りは作らん』という姿勢を貫き通しております。
「な、やっぱりこうなるやろ。おれもなんか買ってこようかと思ったけど、こういうことがあったら困ると思ってなんも買ってこんかったんよ」
手ぶらで来た古邑さんがなんか言うたはります、別に困ることなんもないのんでございますがね。
「邪魔すんでぇ」
「邪魔すんねやったら帰って」
どぉたぁ、っと古邑さんと栄地と一緒になって今入ってきた宇津平さんがひっくり返っております、ベタもエエとこなんでございますが、こういうのんがお約束だった訳ですね。わぁわぁ、わぁわぁ言うておりますうちに佐宗さんがくる、鞍多がくる、房野と大和田もやってきて、メンバーも揃ったところでさて始めよか、となる訳でございます。
「かんぱーい」「おつかれー」
いや別に疲れてる訳とてないんでございますけど、乾杯の時やみな、こう言うのでございますね。形ばかりの乾杯が済みますというと、あとはもう思い思いに好きなことを喋り散らしながら呑んだ食うた呑んだ呑んだ呑んだ。大学生の家呑みですからな、碌な食べ物とて準備してない、ましてやメンバーがメンバーですから食べるよりも呑む方に力が入って、しばらくするともう酒が足らんの何が足らんの、という話になってまいります。「あ、じゃぁぼくらが買ってきましょか?」と、いち番後輩の大和田が申し出てくれましたので、ほんなら悪いけど、房野と一緒に頼むわなぁ、と送り出したあとになってからこんなことを言い出しよった。
(鞍)「ねぇ、なんか食べるもんないの?」
(古)「そうやなぁ、ちょっと腹減ったなぁ」
(栄)「まぁ、あいつら何か買って来るんとちがいます?」
(佐)「そこまで気が回るかなぁ」
(松)「あー、せやったら近所の焼鳥屋でなんか見繕って持ち帰りしましょか」
(宇)「それエエな、オレも一緒にいくわ」
と、宇津平さんと松田とが連れ立って焼鳥屋へ。焼鳥屋に着きましてね、焼いてもらうのんを待ってる間も手持ち無沙汰ということで「なぁ、ちょっとだけ呑まへんか」「いいですねぇ」と、始まってしまうわけでございますね。宇津平さんという人がまた酒が自然にすぅっと入っていくような綺麗な呑み方をしはる人で、一緒に呑んでて気持ちが良い、二人それほど口数も多くはありませんがなんじゃかんじゃと話をしながら、2、3本も呑んだ頃合いでしょうか。
「今何時?」「あ」
ハタと気づけば小一時間、下宿にいる6人を待たすだけ待たしといていーぃ心持ちになっておった訳でございますね。
「冷めてるで、これ」「まぁ、食って食えんことはないでしょ」「それもそやな、でも怒ってるやろなぁ、おれ帰るわ」「あんたアカンで、そんなん!」
ふたりでこっそり部屋をのぞいてみますというと、佐宗さんと栄地と大和田と房野、この四人で何やら話し込んでおります。その横で古邑さんは大の字になってこう伸びてますわ。
「お待たせ」
「いやー、焼鳥屋がまた待たす待たす、なぁ」
「うそつけ!」
「ナニをしとったんや、鞍多もう帰ってもたで」
「さよか」取り敢えず悪いと思って電話をしてみたのでございますね。
「おう、俺。悪ぃ!」
「バカ」ガシャ!ぷー、ぷー、ぷー... って、うわちゃー。
「せやからやめとこ言うたやん」
「いや言うてへん言うてへん、あんた全っ然言うてへん」
「せやったか?」
「なにこれ、この焼き鳥えらい冷めとうな」
「ナンや古邑起きてたん」 ― かくしてみんながへべのレケレケ、酒宴は続くのでございます。

32 しなこいまち

2011-10-21 00:00:00 | 洛中洛外野放図
 学生にとって伝統があるとすれば大学の、ずっと前の先輩から連綿と受け継がれたお決まりの、傍から見ればくだらない行事くらいのものだろう、学生の暮らす京都に伝統なんぞありはしない。大学には毎年時代祭の行列の求人が来るが、一度経験して二度とやりたくないと思ったという米谷によると平日に早朝からほぼ一日拘束されるので気分的に割に合わず、歴史的装束と言えば聞こえはいいが列の真ん中あたりを行進する者は自前のジャージの上から張りぼてのよろいをつけさせられているのみだというから、伝統に加担しているという実感もないらしい。第一、京の『三大祭』に数えられてはいるもののその発端は平安神宮の創建時、百年余りしか経っていないので加担すべき伝統というほど伝統がある訳でもなさそうである。だから学生のバイトなのだろうけれど。千二百有余年の古都とは言い条、旅客に向けられた広告のキャッチコピーと旅客の脳の内に広がる都は代代京都に住まう人人にとってビジネスの場ではあっても生活の場とはなり得まい。学生という年限つきの一時的居住者と観光客は『生粋の』京都の人が自分たち来訪者にはとことん親切に接してくれるのを良いことに、勝手気ままにイメージする京を遊び暮らして通過していくのである。もっとも遊んでいるのか遊ばれているのか、はたまた遊ばされているのかそれは知れたものではない。

 千本中立売の交差点から少し上がった西側にある大きなパチンコ店の横手の路地を入っていくと古い撞球場があった。ビリヤード場なのだけれど、店に入ると三和土に縦並びで2台据え付けられている。壁の上の方には舞妓さんの名前の入った団扇がずらりと並び、そこら辺一帯がかつて賑っていた『西陣京極』であったことを、またその頃の華やかな様子を偲ばせる。店舗と自宅が一続きになっていて、三和土から上り框(がまち)がありそのまま和家具と卓袱台の置いてある座敷に上がれるようになっている。なぜだか暑い時期にしか行ったことがないが、行くとまず座敷と三和土を仕切る簾の向こうから「暑おすなぁ」という声がかかり、冷たいお絞りと麦茶かコーラを出してくれる。店をやっているミヤコ蝶々をどうにかしたような顔つきの小柄なおばあさんは、いつも涼しげな色合いの軽装で白粉気も上品な感じがする。矍鑠(かくしゃく)としておられて、かつて繁華な歓楽街のど真ん中で店を切り盛りしていたことからくるものであろう自信と余裕と強(したた)かさ、が伺える。それほど通ったわけでもないけれど、行くとよく遭遇するかなりご年配の常連客がいた。真夏の京都のあの暑さの中いつもジャケットを着込み、ハンチングをかぶっている。店に入って片足を引きずりながら空いている台に向かい、壁に立てかけてあるキューを選んで一人打ち始め、終始無言なのだがおばあさんはいつの間にか飲み物を持って出て台の脇にあるテーブルに置いていく。30分ほど遊んで「ほな、な」と簾の向こうの座敷にいるおばあさんに声をかけると「へぇ、おおきに」と、遊びなれたのと遊ばせなれたのと、双方に無駄な動きも無駄な言葉もない。その店と客とがかもし出す風雅な雰囲気にはビリヤードという言葉よりも撞球という漢字の方が似つかわしい。何度か行くうちにおばあさんとも常連さんとも言葉を交わすようになり、往時の賑った様子などを聞かせてもらったりもした。もっとわかり易いところにもっと広くてもっと明るいビリヤード場はいくらでもあったけれど、実際そういうところにも出入りはしたけれど、昔の遊びの『粋』の名残に弄ばれながら遊ばせてもらっているような、その店の雰囲気の方が好みだった。

 同じ界隈にはそんな店がいくらもあって、そこから少し下がったところ、中立売通の手前の西側にある居酒屋も似たような感じで。なんでも昭和9年からやっているという古い店で、町家風の土間にどっしりとしたコの字型のカウンターがしつらえてある。けっこう年配の大将もその母親というおばあちゃんも色色話をしてくれて、何より藤山直美を髣髴とさせるお上さんの元気な笑い声が楽しく「ぬかか」と豪快に笑う。初めて行ったときから気さくに話しかけてくれたのは古い店一流の一見(いちげん)さんの捌き方だったのだろうが。戦後からずっと使っているという古いレジスタがあって、その初めて行った帰りがけ勘定を払う際におばあちゃんとお上さんとに散散自慢されたが、ふたり楽しそうに話す京ことばが耳に心地よくて、気持ちよく酔ってまた行きたいと思ったのはお酒のためばかりでもあるまい。「今日こんなんあるでぇ」と京風の味付けを色色と教えてもらっていた、という感じだった。こちらの懐具合も見事なまでに読まれていて、ほどほどのところを勧めてこられるのはさすがにプロである。特に季節ごとの京野菜が嬉しくて、普段飲むときはあまり物を食わなかったが、ここではいろんな物を食わせてもらった。あるとき後輩の菱川と飲んでいて、小鉢で出された雲丹くらげにいたく感動した菱川はあろうことかあろうまいことか御飯を頼むという暴挙に出た。何をすんねんと横で燗酒を飲んでいると「ま、いっしょにどう」と出された赤出汁がとても美味い。白身魚の切り身でその場で作ってくれるのが病みつきになって、とうとう『〆に赤出汁』がそこでの定番になってしまった。無論、他のところでやったことはない。ここではそれまで知らなかったお酒の楽しみかたを教わって上手にのせてもらって遊ばせてもらっていたような、遊ばれていたような。

 これらの店に見るように、古(いにしえ)からの一大観光都市では押並べて客あしらいが巧い。外から来た者が抱く勝手気ままなイメージを、肯定も否定もせずただ好きなように遊ばせて満足させるような『しなこい』一面を身上としていながら、ところどころにそのプライドの片鱗を覗かせるようなところもある。ただその本心がどうであれ、来訪者はそのしなこいところに乗っかって思い思いの京を楽しく遊び暮らせばいいのだろう。たぶん、そういう街だ。