センター突破 これだけはやっとけ 鳥取の受験生のための塾・予備校 あすなろブログ

鳥取の受験生のための塾・予備校  あすなろ予備校の講師が、高校・大学受験に向けてメッセージを送るブログです。

あれからずいぶんたちました

2015-06-09 15:42:12 | 洛中洛外野放図

 行きのJRの車内は、思いのほか冷房が効きすぎていた。うとうとしかけては寒さで目を覚まし、を繰り返してホームに立ったらまだ少し、眠たくてぼうっとするようでもある。目の前のベンチに腰を下ろして携帯の電源を入れると何通かメールが届いていた。
「これから、改札を出るところです」
「その前にいるよ、デジタル時計の下あたり」
電話を終えて改札を抜けると、相変わらず人の流れが壁のようになって犇めいている頭の向こうにぶら下がっている大きなデジタル時計を見つけて、現在の京都駅になってから何度か利用しているけれど、こんなものがあるのに初めて気づいた。見ても気にしてなかったんだろう。ヒトの壁を抜けてからその下に目をやると会津さんが立っている。
 伏見稲荷のはずだったのである。駅で荷物を預けて二人とも行ったことのない伏見を行楽してから夕方前に移動して、約束の17時30分にメイン会場の北野白梅町へ、という心づもりでいた。少なくとも事前の打ち合わせではそうなっていた。
「32度だって。これ絶対もっと暑いよね」
挨拶のあとの一言。確かに、暑い。伏見稲荷はどこか遠くに霞みはじめている。
「とりあえず、ホテルに荷物預けようか」- 折れた。

 一緒に取ってもらったホテルは地下鉄烏丸線四条駅を出てすぐのところにあって、地下鉄で移動しながら「人が多い」ことに不平を漏らす。基準になっているのが自分たちの暮らしていた四半世紀(!)も前の京都なのだから、いろいろなことが様変わりしていて当然なのだが。
「ロビーが…涼しい…」
ひとまずホテルで荷物を預け、四条通を大宮に向かう。数日前に届いた鞍多からの欠席連絡メールに「仕事で使いたい」からと龍安寺の蹲踞(つくばい)『吾唯足知』の撮影依頼が添えてあった。頼まれたからには義理を果たさねば、と嵐電で龍安寺に向かうつもりになっていたのである。四条大宮に着いてまずは昼食を考えるが、それよりも何よりもまず喉が渇いている。
「あぁ、ここもうやってんじゃん」
会津さんの指差したのは夕方のメイン会場になっている居酒屋の同系列店、店限定のピンポイントでハシゴをするのもどうか、と隣のうどん屋をのぞいてみるとカウンターのみのようで、座れても長居できそうにない。そのまた隣にある立ちキュウは千客万来で、おっさんの大会のようになっている。
 何かあるだろうと嵐電に沿う格好で四条通を歩いていると「インドネシア」の文字が目に入った。A ミーゴレン(インドネシア風焼きそば)/B ナシゴレン(インドネシア風焼き飯)とある。「これだ」とばかりに飛びついた。店に入ってみたが誰もおらず、席に着くと二階から店員が下りてきた。京町屋、というのか年季の入った木造で、間口はそれほど広くないが奥行きが深い。カウンターにスツールが四脚、四人掛けのテーブル席が二つきりの四条通に面した入り口と、奥には坪庭があるのだろう、向かい合った出口以外に開口部がないので昼だというのに照明をつけても薄暗い店内のカウンターには和洋を問わず種種の酒がこれでもかとばかりに並べてある。奥にのぞく日向が眩しく見えて、店内の暗がりと夏らしい対比ができあがっている。生中二つとミーゴレンとナシゴレンをそれぞれ一つずつ注文して、生中を呑みながら待っている間に入ってきたおじさんはカウンター席について生中とナシゴレンを注文したが、出された生中を受け取りながらミーゴレンに変更した。その様子を眺めているうちにもう一人客が入ってきてカウンターに着いて、最初はがらんとしていた店内が少し賑わってきた。
 案の定、料理が出てくる前に一杯目が空いて、出される料理と引き換えるように二杯目を注文する。会津さんの戦況分析によると「毎回これが敗因」らしいのだが、二杯目を呑みながらお腹がくちくなってくるとどうにもまったりとしていろいろなことがどうでもよくなってくる。何よりも暑いもので、当然「龍安寺、行くかぁ?」ということになる ― 鞍多、すまん。


 二杯飲んでぐずぐずしているうちに14時が近くなって、龍安寺に行く気はとっくのとうに失せているので、もういいや、とチェックインを済ませることにした。鞍多からの依頼のほか、これまた直前に辣腕幹事石地さんから案内された一次会の前の「0次会」の開宴が15時半。指定された店がホテルからそれほど遠くないようなので、ホテルで涼んでから少し遅れて参加することに決定し、近くのコンビニで缶酎ハイを買い込んで、冷房の効いた部屋で暫時待機す。

 午後3時を回ってそろそろ頃合いも好し、とホテルを出て、知らない店だったので少し迷いながら案内の立ち飲み屋にたどり着いた。
 「あれ、まだ来てないか」
店に入って入り口近くのカウンターに向かったら店員が奥のカウンターへどうぞ、という。案内されるまま店の奥に向かうと、入り口側からはトイレの陰になって見えなかったところにどこか懐かしい大男がいる。近づいて挨拶をすると、最初はきょとんとした顔をして。
「おぉ! ひっさしぶりやなぁ」
 吉例5回目にしてようやく参加、はるばる鹿児島から駆けつけて来られた松壽(松須改メ)先輩である。
「会津さんはすぐわかったけど、最初松田わかれへんかったわ」
そんなに変わったつもりもないが、そういう松壽さんは全く変わってない。
「お前来るなら一報くれって送ったやないか、なんもないからもう来んのかと思ってやな、先始めとったわ」
と言う石地さんに一言詫びてから積もる話の近況報告、
「お? おまえと会津さんが結婚したんか?」
あまりの想定外の質問に当事者2人に石地さんを含め「いやしてないしてない」と素で返すしかない。同行四人となって、店員が「よろしかったらあちらへ」と入り口近くの丸テーブルに載っていた「予約席」の札をのけてくれた。
「ここはワシが払う」
という心強い一言を放つ松壽さんは「次1次会あるしなぁ」とビールを追加し「ワシがこんなにビールばっかり飲むの珍しいぞ」と結構なペースで飲んでいる。
 飲みながら何度か「宝饒来とったらイジリ倒したるのになぁ」と繰り返し残念がっておられたが、宝饒さんは体調が思わしくないらしい。この集まりでは一度しかお目にかかってないし、松壽さんとの絡みを見られないのは確かに残念である。次回以降に期待を寄せながら滔滔と語る話題、口調、薀蓄のどれを取っても松壽さんであり、25年経っても変わることのない松壽さんっぷりに圧倒されているうちに「そろそろ、行こうか」という時刻になった。

 店を出てタクシーを拾って北野白梅町へ。助手席に座った松壽さんは「ワシが出すのはここまでやからな」と、わかっておりますよ。

 一次会は前回同様学生時代によく利用した串ものが売りの居酒屋で、ここでも石地さんの辣腕振りが発揮されて今年は二階の座敷へと案内される。席に着いたとき煙草の残りが心もとないことに気付いて道を挟んだコンビニに買いに行く途中、横断歩道でにこにこと満面に笑みをたたえた古邑さんと鉢合わせた。
「お前なにしとん?」
「煙草を買いにね」
「おーぅ、ほな先行ってるぞぉ」
「へーい」
煙草を買って戻ってみるとすでに仁多苑さんもご着席、飲み物も行きわたって開宴となってからしばらくすると栄地が入ってきて、これで参加予定メンバーが揃い、宴もたけなわとなる。
「もう冷酒でええやろ」
一辺に三、四人は座れそうな大きなテーブルを囲む形になっていて、ひと並びに座った松壽さん、栄地、松田の三人で冷酒を飲み、ほかの皆さんも思い思い好きなものを呑んでいて、生絞りレモン酎ハイについてくる絞り器の上に絞ったレモンの皮が積み重なって塔になっている。毎度のことながら参加していないメンバーについての話題も上がり、何人もの就職先について大変な記憶力をまざまざと見せつけた松壽さんは、豚キムチに対しても大変な執心を見せていた。こんなもん普段食わへんから懐かしくて旨い、のだそうである。みんなが好きに呑んで喋って二時間強、一次会の時間いっぱいとなり店を出る前に石地さんに呼び止められた。
「タクシー呼んであるから、朝日会館の前の辺で降りといて、まだあるかどうかわからんけど」
店の前でタクシー2台に分乗することになり、松壽さんと古邑さんとの三人で乗り合わせた。
「お前、ワシの下宿に女の先輩連れて来たことあったやろ、あれ誰やった?」
「はぁ?」と、問われた古邑さんは身に覚えがないらしい。
「お前らが中でいろいろしとるからやな、ワシは外の階段に寂しく座って…」
「イヤだからしてませんてそんなの!」
何がきっかけだったかは覚えてないが、北野白梅町から河原町三条までの行程の三分の二以上はこの話題で占められていた。
 目的地に着いてもう1台組と合流をしてもなお松壽さんの追及は止まない。
「ほんであれ誰やってん!」
「だーかーらー…」
という応酬に会津さんと仁多苑さんも加わってどうにもにぎやかなことになっている。
 どうにもにぎやかな一行が連れ立って三条通りを東へ、鴨川西岸の河原にぞろぞろと下りて行った。河原に下りて何をするというわけでもないけれど、一塊になってなんだかんだと喋っている。そこから賑やかな先斗町を抜けて四条通を西に折れ、松壽さんは「無理や、歩かれへん」とぼやき続ける。しばらく歩いてあらかじめ予約してあったという二次会場に到着した。
四条通に近い店に行くのに三条河原町を目的地に指定した石地さんは、口では「前もって鴨川見せといたらもっと酔った後でそんなに無茶なこともせんやろ」と言ってはおられたのだが、松壽御大が残した数数の「逸話」の舞台となった三条の河原から懐かしいコースを辿って往時を偲ぼうということなのだろう。まったくもって行き届いた辣腕幹事振りである。

 二次会場は結構新しそうなこじゃれた店で、0次会の立ち飲み屋もそうだったのだけれど、「なんでこんな店を知っているんだ?」というのが正味の第一印象であった。奥にある階段を昇って行ったロフトのような造りになっている座敷なので周りの客の迷惑になることもあるまい。そこでも思い思いに呑み食い喋り、その勢いはとどまることを知らず。店に落ち着いてもなお松壽さんの飽くなき追及は続いて古邑さんは困り続け、仁多苑さんがその「一緒に来とった」という先輩の同期にあたる方にメールで確認をしたらしい。何をどう確認したのか知らないが、それで決着を見たのだろうか。
 終電を利用する栄地の帰り際、それほど長時間にも及んでなかったので石地さんは「ここの会計はいいから」と断っていたのだが、ぼそっと「それはいかんぞ」と言いながらお金を託してきた。「どこにも借りは作らん」という頑ななまでのストイシズムは健在で、石地さんも「エエって言うたのに」と半ば呆れるほどの律義者を貫き通している。
 それからしばらく宴は続き、この間に松壽さんの携帯が「らくらくホン」であることが発覚、何でも「前一番高いの使てたんやけどな、どこ押してええやらわからへんし、『もうええわ!』いうてほり投げたらつぶれてしもてな。ショップ持って行って『どないしたらええねん』言うたら店員が『そういう方にはこれが一番』言うてコレ勧めてきよった」のだそうである。松壽さんはどこまでも松壽さんであるようだ。

日本中のそこかしこからいい大人が十人近くも集まって、二十数年前と変わらない呑み方をしている。当時のあの仲間たちを、彼らが持っていた雰囲気を、会津さんは『悪意のない生気』と呼んだ。ここにはまだそれが生き生きとしている。

 店を出てから「また来年」の言葉を交わして三三五五、四条通から五条のホテルまで「タクシーで帰る」と言う松壽さんはタクシーの前に立ちはだかって止めにかかっている。もう一軒行くという石地さんと別れてホテルに向かった。ちょっと呑み直そうかとホテル近くのコンビニでビールと缶酎ハイを買い込み、それぞれが部屋に戻ってシャワーを浴びてからまた呑み始めた、ところまでは覚えている。どうやら今回は会津さんよりも先に落ちてしまったらしい。

 朝目覚めると前夜パラついた雨の名残かぼんやりと雲があって、前日ほど暑くなることはなさそうに見える。お互いの帰りの切符がお昼過ぎだったので、それまでどうするか検討する。鞍多からの頼まれ仕事がうっちゃらかしてあるが、これを果たすには龍安寺に行かなければならない。会津さんは八坂神社のお守りを受けたい。午前中で両方、となると結構な過密スケジュールになりそうである。チェックアウトを済ませてホテルを出ると、折よく正面でタクシーが1台客待ちをしている。躊躇なく乗り込んで龍安寺を告げた。年配の運転手は道中「近年外国人観光客がやたらと増えたこと」「一部の外国人観光客のマナーが悪いこと」をぼやき倒す。
 朝まだ早い龍安寺の境内は緑がしっとりと落ち着いて清清しい、のだが、中学生と思しき団体が何組かぞろぞろと歩いていて、引率の先生の声がでかい。侘びも寂びもどこかに鳴りを潜めてじっくりと庭園鑑賞という雰囲気でもなく、そそくさと蹲踞を写真に収めて任務完了、とばかりに龍安寺を後にする。
 タクシーをつかまえようとするが駐車場内にいるのは参拝者待ちの契約車輛ばかりで、周山街道に出てみても流しのタクシーはおろか一般車両さえまばらである。ようやく西に向かっている空車を拾い、八坂神社を告げて龍安寺の駐車場でUターンして東に向かってもらった。歳の若そうな運転手は行きの運転手ほど口数は多くないが、大きな通りを使わず細い通りをかなりのスピードで縫っていく。抜け道には違いないのだろうが、通行人も自転車も電柱も対向車もすれすれでかわしていくようで、乗っていてハラハラした。
 工事関係者を含め人で賑う八坂神社での参詣を済ませ、一通り用事も片付いたところで時計を見ると、まだ10時にもなってない。公共交通機関を使わず金に飽かせたタクシー移動をした賜物だろう、おそらくこの京都1泊中で一番高くついたのがここだったようにも思われるが、タクシーで移動とはいかにも社会人らしいと二人で悦に入ったものである。
 時間はあるし、とはいえいろいろな店も開店前だろうというので鴨川に向かって祇園の街並みをぶらぶらと歩いた。鴨川に着いてみると鮎釣りだろうか、タモ網を持ったおじさんが川の真ん中で細い竿を振っている。川端通の歩道を降りて河原から一段高くなっている舗装していない遊歩道沿いにはベンチが点在していて、その一つに黒いスーツに黒い中折れ帽をかぶり、白い口髭を蓄えた上品なおじいさんが座っている。その横で毛並みの綺麗な三毛猫がタオルを敷いてもらった上で頭や首をなでるおじいさんの指に甘えている。そのおじいさんの前をやり過ごして、ふたつ先のベンチに腰を下ろした。
「まだ冷たいよ」
実は前夜に買っていた酎ハイが手つかずで、それを会津さんが一晩冷蔵庫に入れて冷やしておいてくれたのを呑みながら、ぼんやりと辺りを眺める。釣りをするおじさんの上を旋回した鷺が川に下りると、ベンチに座るこちらに正面を向く形になった。曲がった針金のような足の上に載った体はひょろっと縦に細長いばかりで、どうにも頼りない。
「あ、猫降りて来たよ」
猫がベンチから降りて、川側の柵の手前に生えた草の上で毛づくろいを始めた。きっとおじいさんとは「いい関係」なのだろう、安心しきってのびのびとしている。そこへ二人組のおじいさんが自転車を引いてやってきて、一つ横、猫を連れたおじいさんとこちらの間のベンチに腰を下ろし、手にした袋からビールと揚げたてのコロッケを取り出して飲みはじめた。
「うわっ、うまそう!」
「ねぇ」
結局、神社よりも仏閣よりも、酎ハイを片手に鴨の河原で一番ゆったりと過ごしている。再訪するための京都には何の用事も要らないのだろう。

 コロッケに触発されたわけでもないが腹が減っている。河原町通まで出ると、丁度四条河原町のバス停に他にどこにも停まらない京都駅直通のバスが来るところに通り合わせた。ガラガラにすいていたのでコレ幸いと乗り込んで、広々とした後部座席で車窓を流れる街並みを眺めて京都駅へ。駅の近くにあるラーメン屋でビールを注文して、もっとゆっくりしたかったのだけれどかなりの人気店なのだろう、すぐに満員になって待つ人まで出始めたのでそうそうのんびりともしていられないようになって慌ただしく店を出た。駅に戻ってそれぞれ家族への土産を買って、それでもまだ時間がある。
 毎回、京都に集まって呑むと普段とは違う、以前の呑み方になって酒量が増える。翌朝には酔いこそ残らないが心地よく疲れていて、お互いに眠気の方が勝ちそうなのもあってあまりアクティブにはならない。それでも今回は朝早くから京都でも有名どころの観光地を二か所も廻って、ただ用事を済ませただけで何をしたというわけでもないけれどいつもとは違う充実感はある。残った時間をバタバタと過ごしたくもないので、地下街に下りてコーヒーを注文した。
「鞍多にはもう写真送ってあるからね、おっさんばっかりのやつ」
焦げ臭いようなクセばかりが鼻につくコーヒーをすすりながら取り留めのない話をするが、主な話題は前夜を省みることと次回以降への展望である。それにしても、おっさんばっかり…
 そろそろ時間だとなってコンコースに上がって行くと、改札の前で古邑さんに出くわした。
「ポチどうやって帰んの」
「在来線で帰りますよ」
「何時?」
「12時半」
あと2分もない。新幹線にすればいいのにという会津さんにそうはいかんと返しながら改札を抜け、「じゃまた来年!」と言いつつ駆けていく後姿を見送った。
「慌ただしい…」
「そんじゃぁこっちもぼちぼち」
「うん、ぼちぼち」
改札を抜けて階段を昇り、ホームの上を渡る連絡通路で挨拶をかわして、それぞれののりばへと向かった。
「じゃぁ、また来年!」

 補遺
 京都を出て直ぐ、新大阪の手前で検札があって、その後気づいたら最寄駅が近い。3時間近くも眠っていたようで、体のあちこちがこわばったようになっている。ホームに降りて思いっきり伸びをした。ぞろぞろとなかなか前に進まない同車の乗客の群れに紛れたくもないので、ホームの突端に置いてある灰皿まで行って一服しながら石地さんにお礼のメールを打とうと携帯を見ると、栄地からのメールが届いている。受信したのは前日の17時過ぎ、文面は「どの辺やったっけ?」と一次会場の位置を尋ねるものだった。これにちゃんと答えていれば、遅れて来ることはなかったんだろうか? 栄地よ、赦せ。
 帰宅してから一息ついて、鞍多に蹲踞の画像データを送った。頼まれ仕事を片付けて、ビールを飲みながらぼんやりとくつろいでいるところへ石地さんからの返信、開いてみると地元の最寄駅に着いて駅裏の居酒屋に入ったところ、だそうで、旨そうな刺身の写真が添付してある。
 それからしばらく経って、今度は鞍多からお礼のメールが来た。まずは会津さんから送られた写真の感想がつづられている。
『いいね~。 松壽さん、もみんなも先輩方そのままやった。』
そのあとにはこう続いている。
『来年はマジ行きたいッス。』

 そう、来年こそは是非おいで。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。