頭痛、腰痛、生理痛はおまかせください!おどろくほど良くなる鍼灸・整体 芦田治療室のブログ

岡山市北区今3丁目にある治療室。
このブログを読めば身も心も軽くなる。そしてどんな治療室なのか来たくなる(笑)

BRM療法の究極的意義

2010-10-05 | 日記
日曜日に受けたBRM療法の吉田先生のところに質問がきたらしい。

質問の内容はこうである。

「障害による強い側湾の子どもたちにも有効でしょうか?」

治療者として考えさせれるものがあったのでご紹介させていただきます。


以下吉田先生の回答の引用です

肢体不自由児に対する医学の扱いは、それを隔絶するかの如くです。
先天的であれ後天的であれ、障害は改善できないという前提が医学にはあります。

従って医師からの診断を、親御さんは天の声のように受け取り、治すことを諦めます。
更には、別の原因 (転倒や怪我等)により新たな症状が発生した場合(それが
健常者であれば正規の治療対象になっても)ハンデのある人は、すべて障害に起因
するものと片づけられる傾向が強いのです。

この場合医師も親御さんも治すことを諦念していますから、根源的な治療機会を
放棄することになります。


ご存知かと思いますが、ねむのき学園という養護施設があります。
入所者の40歳を過ぎた方が、老いた母親につれられて二時間の距離を来院してます。
出産時のトラブルが原因で重度の麻痺を負っています。
上半身骨格は健常青年と同じですが下腿部と両手は子供のサイズです。
車椅子からの落下防止のため、40年以上の間紐で胴と両手を固定されていました。
言葉を発する事もできません。
来院した時も不安で凍るような、しかしとても澄んだ眼差しで私を見つめていました。


神経麻痺のため手も肘も、考えられない角度で逆に曲がったまま紐でしばられて
いました。わたしが添える手を、不安そうに見つめていました。

施術が終わりました。凍った眼差しが柔和な眼差しに変わっていました。
不自由な言葉ですが、私にようやく判別できる言葉で「ア・・リ・・ガ・・ト・・ウ・・」と
言いました。私は思わず握手をしました。すると考えられないほどきれいな笑顔が返って
来ました。


このような患者さんに治すための手を心底から差し出してあげるのは我々しかいません。
私たちが諦めたら、障害患者さんを救う人は居なくなるのです。

障害者でも健常者でも骨のリズムは同じです。関節の硬縮で動きが悪くなっているだけ
です。背骨の側彎も同じことです。治してあげてください。必ず出来ます。

BRM療法の究極的意義はそこにあります。

引用終わり


治療に対する信念が感じられる回答だと思います。

自分にここまでの思いがあるのか?

あれこれ考えてしまいました。

BRM療法がどうのではなくて、いち治療家としてどうあるべきかの見本の一つではないでしょうか。