富士山からとっくの前に帰ってきて、また普段の生活に戻ってます・・。あああっという間の夏休みでした・・。
富士山には、日本人として一度は登らなくてはいけない・・と以前から憧れてはいたのだが、高校時代、白馬登山に行ったときに、靴を山小屋で間違えられたり、怖い所を歩かなくてはいけなかったりで、もう二度と山にはいかない、と誓ったのだがまあ昔のこと、大丈夫だろうと思い、あらゆる準備をして五合目から河口湖側から登った。
出発は12時過ぎ。
とにかく五合目の駐車場は、全国からの「富士山ツアー」バス、バス、バス・・。団体が多いのだ。途中すれ違っただけでも、岡山、京都、横浜、四国、・・。一つのチーム30人位を率いるガイドがいちいち拡声器を使って、「はい、それではここで10分休憩です」どーんと狭い山道に大人数が一気に止まるので、イライラした。日本語だけではない、フランス、韓国、中国、アメリカなど世界の山好きが、家族や友人と少人数で登っているのも目立った。6合目あたりから渋滞がひどくなってきた。
整備された山道を一歩一歩進むので、このころはまだ、きつくはなかった。天気は、雲が多かったが、気がつくと自分たちの立っているところより、低いところに雲が広がっていた。疲れを忘れしばらく見入る。雲の下には、河口湖周辺の街、御殿場など街が小さく見えた。「おお、下界の者よ、しっかり働いておるかの~」という気分になった。
徐々に空気が薄くなってきた。走って息が上がった時の苦しさとは違う、間違いなく、酸素が体にあまり入ってこないのがわかる。このあたりから、頻繁に酸素吸入を行った、でも全く回復しない。ぐるじい・・。頭が痛い、目の前がグルグルしてきた。
休み休み、でも歩みの遅い団体を抜かしながら、16時頃8合目に到着。ここには、この日宿泊する「太子館」があった。「着いた~」半分意識がもうろう、というかあまりの辛さで、ほとんど倒れ込むように靴を脱いだ。
辛かったのは酸素不足だけでは実はなかった。車で五合目で向かう途中、突然の腹痛で、ガソリンスタンドのトイレを拝借した。原因不明のひどい腹痛。脂汗をかき15分くらいトイレで苦しんだ。食欲などもちろんなく、なにも食べられず8合目まで登ったのだから、つらくて当たり前だったかもしれない。まあよくここまでたどりついたもんだわ。
夜6時、耳栓をして就寝。普段1時位に寝る人がこんな早くに寝られるかぁ!!でも疲れ切っていたので眠りの底へはあっという間に落ちた。
2時間くらい眠った時、携帯が鳴ってすぐ切れた。仕事の電話かと思いハッとしてして目がぱっちり。(もしかして明日朝から競艇の中継の仕事が入ってたっけ。それ以外何か仕事が実は入っていたかもしれない。何だろう、どうしよう・・ドキドキ)恐る恐る着信履歴を確認すると、飲み会のお誘いの電話だった・・・。なんだ。
夜11時30分起床。ご来光を山頂で見るためにヘッドライトを頭につけて出発。
もちろんライトを消すと真っ暗。寒い、10度以下だろう。空気は相変わらず薄い。団体も相変わらず多い。渋滞に巻き込まれながら、ゆっくりゆっくり山頂を目指す。うるさいなあと思っていた団体のガイドが「みなさ~ん、ちゃんと息すって、途中深呼吸してくださいね。さあ吸って~」自分の世界に入り込んでもくもくと歩いていると余計に苦しく感じるので、この言葉に救われ、妊婦じゃないけど「スースーハー」と歩調に合わせてゆっくりと深く吸いながら登っていった。
最後の難関は岩を呂手両足を使ってゆっくりと登るのだが、ここは今までの中でも一番の大渋滞。私も10歩歩いては休憩、もうだめ・・意識が遠のく。もうすぐ夜明けだ。続く
富士山には、日本人として一度は登らなくてはいけない・・と以前から憧れてはいたのだが、高校時代、白馬登山に行ったときに、靴を山小屋で間違えられたり、怖い所を歩かなくてはいけなかったりで、もう二度と山にはいかない、と誓ったのだがまあ昔のこと、大丈夫だろうと思い、あらゆる準備をして五合目から河口湖側から登った。
出発は12時過ぎ。
とにかく五合目の駐車場は、全国からの「富士山ツアー」バス、バス、バス・・。団体が多いのだ。途中すれ違っただけでも、岡山、京都、横浜、四国、・・。一つのチーム30人位を率いるガイドがいちいち拡声器を使って、「はい、それではここで10分休憩です」どーんと狭い山道に大人数が一気に止まるので、イライラした。日本語だけではない、フランス、韓国、中国、アメリカなど世界の山好きが、家族や友人と少人数で登っているのも目立った。6合目あたりから渋滞がひどくなってきた。
整備された山道を一歩一歩進むので、このころはまだ、きつくはなかった。天気は、雲が多かったが、気がつくと自分たちの立っているところより、低いところに雲が広がっていた。疲れを忘れしばらく見入る。雲の下には、河口湖周辺の街、御殿場など街が小さく見えた。「おお、下界の者よ、しっかり働いておるかの~」という気分になった。
徐々に空気が薄くなってきた。走って息が上がった時の苦しさとは違う、間違いなく、酸素が体にあまり入ってこないのがわかる。このあたりから、頻繁に酸素吸入を行った、でも全く回復しない。ぐるじい・・。頭が痛い、目の前がグルグルしてきた。
休み休み、でも歩みの遅い団体を抜かしながら、16時頃8合目に到着。ここには、この日宿泊する「太子館」があった。「着いた~」半分意識がもうろう、というかあまりの辛さで、ほとんど倒れ込むように靴を脱いだ。
辛かったのは酸素不足だけでは実はなかった。車で五合目で向かう途中、突然の腹痛で、ガソリンスタンドのトイレを拝借した。原因不明のひどい腹痛。脂汗をかき15分くらいトイレで苦しんだ。食欲などもちろんなく、なにも食べられず8合目まで登ったのだから、つらくて当たり前だったかもしれない。まあよくここまでたどりついたもんだわ。
夜6時、耳栓をして就寝。普段1時位に寝る人がこんな早くに寝られるかぁ!!でも疲れ切っていたので眠りの底へはあっという間に落ちた。
2時間くらい眠った時、携帯が鳴ってすぐ切れた。仕事の電話かと思いハッとしてして目がぱっちり。(もしかして明日朝から競艇の中継の仕事が入ってたっけ。それ以外何か仕事が実は入っていたかもしれない。何だろう、どうしよう・・ドキドキ)恐る恐る着信履歴を確認すると、飲み会のお誘いの電話だった・・・。なんだ。
夜11時30分起床。ご来光を山頂で見るためにヘッドライトを頭につけて出発。
もちろんライトを消すと真っ暗。寒い、10度以下だろう。空気は相変わらず薄い。団体も相変わらず多い。渋滞に巻き込まれながら、ゆっくりゆっくり山頂を目指す。うるさいなあと思っていた団体のガイドが「みなさ~ん、ちゃんと息すって、途中深呼吸してくださいね。さあ吸って~」自分の世界に入り込んでもくもくと歩いていると余計に苦しく感じるので、この言葉に救われ、妊婦じゃないけど「スースーハー」と歩調に合わせてゆっくりと深く吸いながら登っていった。
最後の難関は岩を呂手両足を使ってゆっくりと登るのだが、ここは今までの中でも一番の大渋滞。私も10歩歩いては休憩、もうだめ・・意識が遠のく。もうすぐ夜明けだ。続く
先週は放送でメール読んでいただきありがとうございました。今日も応援メールしますね。
また送ってください。
お待ちしてます。