ライオンズの相馬勝也さんが本日お亡くなりになりました。
今日の巨人戦は、喪章をつけてのゲームとなり、キャプテン栗山がお立ち台で涙を浮かべながら
「相馬さんのためにも負けられなかった・・」という言葉を聞いて・・
現場ディレクターとして冷静でいたかったんだけど、もう涙が止まりませんでした。
相馬さんとは、レポーター初期の頃から思い出がたくさん・・。
人見知りでうじうじ下を向いていれば「おい!あちゃこ!」と遠くから声をかけていただき、
いつも励ましてもらってました。
選手としては伊東さんがいたのでなかなか出場する機会には恵まれなかったけれど、
大きな声でベンチを盛り上げていたし、みんなに慕われていました。
引退されてブルペンキャッチャーの頃はよく取材に行きました。
バッテリー情報、選手の裏情報・・しつこく聞いても嫌な顔せず丁寧に教えてくれて、
ブルペンに行くのが楽しみでした。
がんの手術をされ現場に復帰されてからも、球場で顔を合わせれば、
以前と変わらず「おい!あちゃこ!元気か」と声をかけてくれました。
最後にお会いしたのは、ほんの数ヶ月前。
第二球場でインタビュー待ちの間の30分以上、健康や食事のこと、人への感謝の気持ち、
これからの人生についてなど、じっくりたっぷりと話をすることができました。
「近々私のインタビューに答えてください」とお願いしたら「考えとくよ」と
笑顔で手を振って別れました。
私のことを「あちゃこ」と呼ぶのは相馬さんだけ・・。
今、あのバリトンボイスが耳の奥でよみがえります。ご冥福をお祈りいたします。
今日の巨人戦は、喪章をつけてのゲームとなり、キャプテン栗山がお立ち台で涙を浮かべながら
「相馬さんのためにも負けられなかった・・」という言葉を聞いて・・
現場ディレクターとして冷静でいたかったんだけど、もう涙が止まりませんでした。
相馬さんとは、レポーター初期の頃から思い出がたくさん・・。
人見知りでうじうじ下を向いていれば「おい!あちゃこ!」と遠くから声をかけていただき、
いつも励ましてもらってました。
選手としては伊東さんがいたのでなかなか出場する機会には恵まれなかったけれど、
大きな声でベンチを盛り上げていたし、みんなに慕われていました。
引退されてブルペンキャッチャーの頃はよく取材に行きました。
バッテリー情報、選手の裏情報・・しつこく聞いても嫌な顔せず丁寧に教えてくれて、
ブルペンに行くのが楽しみでした。
がんの手術をされ現場に復帰されてからも、球場で顔を合わせれば、
以前と変わらず「おい!あちゃこ!元気か」と声をかけてくれました。
最後にお会いしたのは、ほんの数ヶ月前。
第二球場でインタビュー待ちの間の30分以上、健康や食事のこと、人への感謝の気持ち、
これからの人生についてなど、じっくりたっぷりと話をすることができました。
「近々私のインタビューに答えてください」とお願いしたら「考えとくよ」と
笑顔で手を振って別れました。
私のことを「あちゃこ」と呼ぶのは相馬さんだけ・・。
今、あのバリトンボイスが耳の奥でよみがえります。ご冥福をお祈りいたします。
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