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ハンドメイドモコハウスより
よささんとかたの山の祖先にお参りから木村屋パン屋に行く途中に笹岡城の跡地の看板(棒)が見えました
よささいんが言うには私達の祖先がこのお城の城主に仕えていたことや
その後この地の伊藤家の家紋と横越村の豪農の伊藤家の家紋が同じことや
豪農の伊藤家の看板に笹岡の伊藤家の祖先であると書いてあったそうです。
祖先の名前は忘れましたが・・
よささんは私達の祖先だよと教えてくれました。
本当かなぁ~と思いましたが
昨日電話がよささんから来たので再び聞いたら看板に書いてあったらから間違いないと言っていました
へぇ~そっかぁ~
それにしては私は落ちぶれたもんだと思いましたよ。
総本家の人はあった事ないけど未だに絶えていないそうです
分家の私達のおじいちゃんの祖先の墓は見守る人が居なくなって孫のよささんが2か月に1回の割合に掃除しています。
名古屋にお兄さんの子供さんはいるけど・・流石に遠いので頼まれているのだそうです
それから私のお婆ちゃんの墓を探しました。
子供の頃夏休みにお婆ちゃんとお婆ちゃんの祖先の墓参りについて行ったものでした
私の母とお婆ちゃんは全然赤の他人ですが・・
母が小さい頃養女に出されて婆ちゃんの子供になったのですが・・
お婆ちゃんはお爺ちゃんと離婚しましたが
(お爺ちゃんは母が若いころに首つり自殺で亡くなっている)
母が引き取って一緒に住んでいたのです。
私の母も父も亡くなって
私は婆ちゃんのお墓がどんなになっているのか不安で一度行きたいと思っていたのです
このさいそのお墓も行きました
私のあいまいな記憶でよささんを快く承諾してくれて探してくれました
もう~
45年以上も行っていない・・
それでもあいまいな記憶でも
墓がありました
吃驚しました。辺りは草でボウボウでした
カマを持って来なかったので草を刈る事が出来なかったけど線香とろうそくでお参りしました。
今度来たとき奇麗にするからねと言って帰りました
帰る際に
優婆尊と言う本当に小さなお寺に寄りました。
なんでもここは子宝安産でこの辺で有名なのだそうです
一応このお寺を検索した簡単な概要を書きます
概要: 優婆尊の由来は天平5年(733)に行基上人が行脚の折この地へ訪れ霊夢を見たところ
懸衣婆が現れ自分の尊像を刻み祀れば民衆を救おうと告げたそうです。
そこで行基が村人から教えてもらった霊木を山の中から切り出し尊像を彫刻して安置したと伝えられています。
天正14年(1586)、華報寺の住職が再び霊夢を見て
尊像を十字街に安置してほしいと御告げがあり現在地に堂宇を建立し高徳寺を開山、別当としました。
優婆尊は"乳母(うば)尊"に通じる事から安産と子宝の仏様として古くから信仰の対象となり
一説には新潟県最古の子宝安産祈願所だったそうです。
境内には江戸時代末期に建て替えられた本堂や巨木、参道の両脇に二股に分かれた杉、
鉄分が多量に含まれている優婆尊御霊水などもありは歴史と信仰の深さを感じることができます。
私が行った時
変な(多分祈祷師??)なお婆さんがある奥さんの背中をなでたり腕をさすったりして何やらブツブツと唱えで
たまに奇声をあげていました。
お寺の若い住職さんらしい人は気にも留めませんでした
その若い住職さんらしい人に一応写真の許可する所だけ写真に収めました
私は娘の風ちゃんに子宝のお守りを買って来ました
そして最後に
共同なのでとても安く200円ですが
よささんはまとめ買い券を買って居たのを利用しました
180円でした。
よささんにお礼を言って気持ち良く体を温めて家に帰りました
家路に着いたのは18時過ぎていました
今日は朝から小雨が降ったりやんだりで、不安定なお天気でしたよ。
古い記憶を頼りにお墓参りに行かれたのですね、
きっとお喜びに成って居ますよ。
でも良く見つけられましたね。
お参りして綺麗にしたり、
おお、ここにも末裔が健在であるかと気づかれて、きっと加護のパワーこれから降り注ぐかも(^^ゞ
総本家も脈々と続いているのだから尚更。
行基上人からゆかりの続くお寺さんも凄く霊験あらたかそう。