
すべてではないが、花を眺めていると、物思いにふけているようにみえたりする。
それは、たぶん、自分が、物思いにふけているからかもしれない。
というか、ただ、考えているのだろう。
考えても、日々、少しづつ行動、言動が不鮮明になりつつある母を、身近でみている私の心境は、まだ、余裕だ。
介護という言葉が頭にない。
さて、違う理由で、介護のちょっとした資格はとったが、どうなるやら。
昔、おじいちゃんが笑った、という本を読んだ。
姑を介護する話。
最終的には、おじいちゃんが、亡くなる前に、一瞬正気になり、嫁に、嫁の名前を言ってありがとうと言ってなくなった。
偽善な優しさは、認知症にはバレる。
ただ、私に、優しさはあるのかわからない。
介護の過酷な話を聴いたりしていると、自分にできるかどうかわからない。
人間は、皆老いる。
2015年10月7日を覚えておこう。
母80歳。
まだ、花を活けれる。
