2月2日 晴
石原慎太郎さんが亡くなった。89歳だった。
90の坂を超えられなかった。
石原慎太郎が逝って 太陽族は誰もいなくなった。
裕次郎に始まって南田洋子も死去した。
遥かな昔 湘南の海を舞台に映画にテレビに派手に騒いでいた
連中は誰もいなくなった。
太陽族、慎太郎刈 車 ビーチ みな羨ましかった。
青春の真っただなかだった昭和30年 40年代。
湘南の海に一度も行ってない。
行く暇も金もなく、行く気もしなかった。
別世界だった。
それが今 こうして葉山に住んでいる。
葉山に家を建て真っ先に取り組んだのが小型ボートの免許取得だ。
車の経験がないのでハンドルの切り回しの感覚がつかめなかった。
1回目は失敗した。
ヤマハの営業マンが来て うちでやれば取れますよ、という。
いろいろ考えているうち それは断念した。
若い頃手の届かなかった太陽族にあこがれていた気持ちが潜在意識と残っていたのが葉山に住むようになって、ムクムクと出てきた。
いろいろと 若いころの届かなった夢をかなえようと やってみた。
やはり若いころに体験してなければ 年齢が行ってからはじめてやり始めるのは無理がある とわかってきた。
だが、石原慎太郎 裕次郎 加山雄三らのおかげで、葉山でこうして
楽しく生活できている。
彼らの存在がなかったら 葉山には住んでいなかった。
フジテレビ 2日朝の番組で
「葉山の裕次郎の墓の隣に自分も墓を建てたい」とう趣旨のことを
息子の良純と話しているのを聞いた。
裕次郎の碑は葉山・森戸海岸の海辺に立つ。
海をこよなく愛し 海で遊んだ慎太郎が海を眺める場所に墓を建てるのは自然なのかもしれない。
「夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく
水のかなたに 太陽の季節に 実る 狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで」
遠くに裕次郎灯台が見える。
敷地の所有者である森戸神社の守屋大光宮司も OKするに違いない。
2人の碑が並んで立てば 観光葉山のシンボルとなるに違いない。
裕次郎碑のある隣に3階建ての高級マンションがある。
そこが石原慎太郎の別荘だ。
歩いて1分。
近くには源頼朝の名前のはいった石碑もある。
慎太郎の思いはよくわかる。
ここに慎太郎の碑が建てば また自分もお参りに行けるかもしれない。
懐かしさと寂しさがつのる。
石原慎太郎へ 合掌。