20世紀の新しい聖地 ファティマの奇跡
聖母マリア降臨 目撃者3名
感動の旅スペイン
2010年6月この地を訪れたとき、広大な敷地のなかに大きい教会があり、多くの巡礼者がコンクリで舗装された道の上を膝で歩いていたシーンをおもいだします。
「奇跡の水」として有名なフランスのルルド同様 巡礼者が毎日世界中からお祈りをするために訪れています。
仏教 神道信者の日本人には想像できないのです。この熱狂ぶりは。
FATIMAを訪れた帰りに大西洋岸を北上してスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラという有名な巡礼地にも行きました。古色蒼然としたカトリックの大聖堂<パシリカ>にバックパッカーにしては全員杖をもっていて、人々がどんどん吸い込まれたゆくさまを見て 何だろうと不思議に思ったものです。
イベリア半島はイスラム教とキリスト教が交互に国を支配した複雑な国柄です。宗教戦争の激戦地だったのです。
ファティマFATIMAとは何でしよう。一言で言えば
聖母マリアがこの町の丘に出現して目撃した3人の羊飼いに「3つの予言」を託した。そのうち3つが的中したのです。
「ファティマの奇跡」とよばれカトリックの大聖地となっているのです。
Fatimaはユーラシア大陸の西の果てポルトガルの大西洋岸から30キロほどの内陸にあるカトリックの巡礼地です。人口8000人ほどの小さな町です。毎年400万人の巡礼者が集まります。
現在ファティマ市内中心部にある広場を訪れると、中央には目を引く純白な大聖堂があります。高さ65mの白い尖塔を中心に左右に翼を広げたように建物が広場を取り囲んでいます。ファティマのシンボル的な存在であるこのネオ・クラシックの大聖堂には、聖母の目撃者でもあり、スペイン風邪で幼くして亡くなった兄妹、ヤシンタとフランシスコの遺体が納められていて、もう1人の目撃者、ルシアはその後修道女となり、2005年に亡くなってからこの修道院に棺が安置されています。
5月12、13日10月13日大祭が毎年行われます。
巡礼者と瞑想者のために収容施設は各修道院や民宿など含め約1万人が収容できます」と観光パンフには記載があります。
ファティマには有名な「聖母マリアの出現」とマリアが3人の羊飼いに託したという「ファチマの予言」があります。
奇跡のいわれ 聖母マリアの出現
ガイド誌に掲載されています。
今からおよそ100年近く前の1917年5月13日、ポルトガルの一寒村のファティマに聖母マリアが出現しました。この日の正午過ぎ、羊を連れた3人の牧童が村から2キロほど行ったコバ・ダ・イリアという窪地にさしかかった時、突如空中に鮮烈な閃光がきらめき、柊(ひいらぎ)の木の上に美しい貴婦人が現われたのです。
後に聖母マリアと特定された貴婦人は、今後毎月同じ13日にこの場所に来るよう3人の子供に告げます。
目撃した3人の子どもたち。
ルシア、フランシスコ、ヤシンタ-1917年
このようにして、その年の10月13日まで聖母マリアは都合6回示現したと言われています。この噂は同村はもとよりポルトガル中、ヨーロッパ中に広まり、回を追うごとに聖母示現を一目見ようと群集が押しかけるようになります。 特に最後となった10月13日には、同地に10万人もの群集と報道陣などが集結しました。この日は土砂降りの雨だったものの、突如ピタッと止み分厚い雲の切れ間から「銀色に輝く太陽」が出現し、群衆めがけて3度ほど降下、上昇するなどの大奇跡が起りました。青空となり「本物の太陽」が現われた時には、群集の着物や木々や地面も完全に乾燥していたといいます。
3つの予言 的中
ルシア、フランシスコ、ヤシンタの3人の子供のうち、特に当時10歳で最年長だったルシア・ドス・サントスに、聖母マリアは人類の未来に関する重要なメッセージを託したとされています。.ルシア自身後に修道女となり、聖母から託されたメッセージを「3つの予言」としてまとめバチカンに預けます。
第1は当時進行中だった第一次世界大戦が終結すること。
第2は第二次世界大戦の勃発に関すること。
この2つは細部まで予言が的中したと言われています。
・ファティマ第三の秘密 Third part of the ☆secret
教皇暗殺
聖母マリアが伝えた3つ目の予言、いわゆる「ファティマ第三の予言」は、バチカンのローマ教皇庁によると、40年もの間公開されることなく2000年に内容が公開されました。
ファティマ第3の予言とは「1981年5月13日に起きた教皇の暗殺未遂事件」だと公式発表しました。
これには世界中の人もが驚愕します。「教皇暗殺」に関するものという公式発表でした。 聖母マリアは、1960年になるまでは第三の予言を公開してはいけないと指示していたので、それまで秘密にされていました。 しかし、どういうわけか教皇庁は1960年になっても第三の予言を公開せず、それから40年後の2000年に発表されました。 長い間、予言が公開されない理由については、核戦争や第三次世界大戦に関することだからではないかとも言われていました。 1960年代に第三の予言を閲覧したローマ教皇ヨハネ23世は、その内容に衝撃を受け予言を再び封印しました。 また、次の教皇になったパウロ6世もやはり予言の内容を目にし数日間、意識を失ったといいます。
40年後の2000年になってから発表に踏み切った。その予言は教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされていた。
予言通り実際に起こった「事実」
ファティマ第3の予言の内容は実際に「1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件」が起こりました。そのことを指しています。
3つともすべて的中しました。
このことがファティマの奇跡といわれ信者が世界中から駆けつける所以です。
公式ガイドブック<英文>
日本語パンフ