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何故 古代の彫像には腕や足、首がないのか キリスト教の破壊が原因とする「ローマ人の物語」

2023-08-05 17:05:38 | 古代遺跡巡り2エーゲ海沿岸の旅

 

 

何故 古代遺跡の彫刻は腕や手足 首がないのか?

    五体満足なものは少ない 何故か

 

どの本にもこのことについて詳しく書いたものはない。

唯一 目にした本は塩野七生氏の著作「ローマ人の物語」の13巻「キリストの勝利」である。ここで10Pにわたってキリスト教の邪教に対する排斥の模様が具体的に書かれている。要旨だけを紹介します。

 

西暦312年ローマ帝国のコンスタンチノノスが「ミラノ勅令」によりキリスト教を国教として公認した。信仰の自由を保障したのである。勅令の内容に「偶像崇拝の禁止」「特定の人物を権威として尊敬することの禁止」など盛り込まrた。

地方の指揮官には「指令」として神殿の閉鎖を通知した、9年後帝都を現在のイスタンブールに移し、「新しいローマ」として名前も ビザンチュウムからコンスタンチノーブルに変え、新都市建設に伴う教会など建設の資材として、ローマ帝国の東方全域から神殿の大理石や彫像が集められた。神殿や彫像の破壊が始まったのである

半世紀後、次のテオドシウス2世帝になってから「テオドシウス法」を制定し、国法としてキリスト教を国教とSより徹底化していった。キリスト教以外の宗教を「異教」ではなく「邪教」として強く取り締まり弾圧した。

それまでのローマは多神教で神はいたるところに存在するとして一神教であるキリスト教を取り入れなかった。しかし国法でキリスト教が法律だとすれば、順法精神が身上のローマ人も認めざるをえなくなった。この時点で300万ともいわれたローマの神々はすべて「無法者」となったのである。

 

その壮麗さで人々の賞賛をあびていた神殿という神殿が全く姿を消し、残ったものは崩れ果てた遺跡に変わったのである。神像も偶像崇拝の具現化したものとみなされ、破壊され散った。キリスト教では裸体を人目にさらすことを禁じていたので、ほとんどの人物像は壊され、アルテミス女神なども壊されていったのである。当時の「美の定義」は人間の裸体以上の美の極致はない と言われていたので、彫像は裸体のオンパレードだったのである。

神を祭るということが禁じられたために、ほとんどの身体像は首をきられ、腕や足を壊されていったのである。

 今日 発見される古代遺跡の大部分は五体満足なものはないのはそのためである。

コンスタンテイノス大帝は首都コンスタンチノーブル<現在のイスタンブール>に大聖堂

アヤソフアを建設し内部の大理石はデイデイマのアポロ神殿の大理石を運ばせた。

今日地下宮殿といわれる巨大な貯水池もアポロ神殿の大理石がつかわれ、地下深く石柱の台座にされているメヂューサ像もアポロ神殿の梁にあったものを持ってきたのである。


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