はがれそうなかさぶたはどうしますか !
はがれそうなかさぶた、はがしてしまいます。子供のころから、せっかちで、治りかけたら、はがしたら完全に治ると思ってやったら、治ったって感じで、いつもやってました。 たまに、早すぎて、きれいにはがれず出血してしまうこともありました。
子供のころから、家の家業を手伝ったり、親戚の仕事を遊びがわりにやってました。 あと、小学生にアルバイト?でわらびもち作りのバイト(お金もらったか忘れたけど、わらびもちもらって帰りました。)したこともありましたね。 あと、親父の実家に帰ったときは、酪農と農作業もしてました。 勤労少年でしたね。
中学の卒業式が終わると、すぐに、友達と、ゴルフの玉拾いに行ってました。1日600円とかだったと思うが、全部貯金してました。
高校に入っても、やってて、部活に入ったらできなくなってやめましたが、休むから代わりに来てほしいとかいわれ、たまに行ってました。
高2の時、弁当作りとレジうちのアルバイトで、鳥のから揚げやミートボールの甘酢あんかけ、ハンバーグ、コロッケなんか全部一人で作ってました。結構料理は得意です。 弁当つくりながら、お客さんがきたら、レジを打って大変でした。
部活終わってから、週3日 時間700円で夜7時から10時まででしたか。これも、全部貯金してました。3か月くらいでやめましたが・・・あと、たまに、たこ焼きも焼いてました。(それを聞いたバツイチの子ズレの友達のねーちゃんが、たこ焼き焼きに晩飯くいに来いとか言われ、いってました。変な間違いは当然なかったですけど・・・(しんちゃんのかーちゃんみたいな人でした。))そしたら、しらんまに、インターハイまででてましたね。首も捻挫や鞭打ちみたいなもの(頚椎椀症候群(後でわかったんですが・・・))で苦しみながら、通院もしたら、スポーツ保険(母がかってに自分でかけてました。)がでて、15万もらって全部親に渡してました。高校卒業の最後まで、首や肩の痛みで苦しみながらやってました。1回のたうちまわったこことがありましたが、脱臼とまちがわれてましたね。頚椎椀症候群でした。
そんなこともあり、仕事では、金銭感覚や、勤労意欲とかでは、他人に負けたことはないと思います。
ARTISTICSYSTEM
OWNER HIDEKI SHIBASAKI
ARTISTICSYSTEM
アーティスティクシステム
撮影・加工・著作
代表者 芝先 秀記
2009.8.4.
Copyright (C) ARTISTICSYSTEM.COM. All Rights Reserved