旧 自分ブランド「COMME des KAORI」

私が他の誰でもない私になるために・・・
独立系FPを目指す私の成功ノート

無為自然を語りつつ、人生とは無数のバカ騒ぎだ

2009年10月02日 | 趣味

こんにちは、CFP@aromaです。 (@の後って、本来ならば場所とか会社とかがくるはず。最近はあいまいだけど、HNは前なのかなぁ・・・) 「今週の金曜日は立川志らく・志ら乃親子会だからダメなの~」って断りつづけて、今朝気付いた。あれ、10/1(木)昨日だったじゃ~ん・・・なんと落語会は昨日でした。 私としたことが・・・ スケジュールを1日間違えて手帳に書き写してました。ガックシ 「そんな過ぎたことを。あの大江健三郎だって講演会を1日間違えるんだよ」無駄に慰めてくれてありがとう。 そうそう、大江健三郎さんのついうっかり 日取り勘違いし講演に姿見せず(山形新聞)は話題になった。うちの家族が講演会に行ったので、主催の「シベール」のスタッフおよび井上ひさしさんの焦りようといったら聞いてて可愛いそうになるくらいだった。 勘違いの後日談も交えて 大江健三郎さん山形で講演(山形新聞)も必見 ノーベル賞受賞者が、しかも講師でありながら間違うんだから、「私としたことが」というより、「私だからやっぱりな」と言うべきかな 明日は、土門拳生誕100年記念事業としてオカリナ奏者・宗次郎さんとノンフィクション作家・柳田邦男さんを迎えた演奏会と講演会がある。 さらに図書館の返却期限も迫っていて、帰国早々、片っ端から積読本を読む毎日。本当は旅行の整理をしなきゃならないのに、「捨てる」よりも早く「新しい情報」が次々に入ってきます 新しいことを一つ始めるよりも余分なことを一つ減らしなさい 有益なことを一つ始めるよりも無益なことを一つ減らしなさい (「老子」新井満・「引き算のすすめ」より抜粋) 足し算はたやすいが引き算は意外に難しい。本を読み、インターネットで検索し、講演を聴き、新聞を読み、テレビを見、ラジオを聞く・・・日々賢くなっている、ハズ。そんな自分も確かに好き だけど、大量の知識に縛られれていつしか自由がきかなくなり、身動きがとれなくなる。そんな頭でっかちな自分は嫌い 自分のことはよくわからないから、身近な人を思い浮かべてみる。いろんなことを知っていて頭はよさそう。だけど話が観念的で難しく理屈っぽい。結局知っているだけで行動が伴っていない。知識がありすぎて余計慎重になっているのではないか。誰かのことじゃなくて、これってもしかしたら私のこと 今回、旅行中に思った 例えばガイドさんに、「○○はどうなんですか?」と質問したいとする。

そのとき私はつい、どこからか引っ張ってきた知識を自分の考えにして「AはBだから、○○はCだと思うけれど、結局○○はDなんですかねぇ~?」これではガイドさん、私が何を言わんとしているのかなかなかつかめない。そして再度、「つまりは、・・・」と言い換える。 私の話って長くて面倒なのかも・・・、知らなかった 1対1で会話を楽しむ場面ではそれも雰囲気としていいかもしれないが、聞きたい対象がある場合には余計な知識や考えは無駄である。 さらに、一緒に行った友達は目にしたものを感覚的に話す。「前パリに行ったとき、エッフェル塔がシャカシャカしてたの。スッゴイ綺麗なんだよ~」 シャカシャカって何だ?エッフェル塔から何かビームでもでるのか、踊りだすのか、いろんな想像をしてしまう・・・ 私以上に他の人は意味がわからない様子。私なら、正確に伝えようと言葉を選ぶのかもしれない。「夜の決まった時間になると、エッフェル塔が数分間キラキラと点滅するんだよ」程度に。これってつまらないカモ。賢そうなフリをしてちゃんとした言葉を使おうとしているのかなぁ。聞くことも大事だけど、話すときは、相手とタイミングと場所と内容で、言い方を変える工夫が必要なんだね。エッフェル塔のシャカシャカ、綺麗でしょう              (↑この手は誰のだきっと広場にいた外人さんのに違いない、ムムム) では、膨れあがった知識を減らしていくとどうなるか 最後には、「無為自然」という老荘思想における中心的概念にたどり着くのかもしれない。作為を持たず、自然に任せる。何ものにもこだわらず、あるがまま自然に生きられるようになる。これが「道(タオ)」に目覚めた人の生き方昨日は、「道」と「空」は似ていると書いたが、これって「良寛」の我の放下ではないか。 私はもっと未知なる自分を知りたいし、まだ引退する身ではないから「内」よりも「外」に生きたい。だから旅行もいっぱいする 晴れの日もあるし、雨の日もあります。だけど、 額に朝陽、心に冒険、左のポケットに釣針、右のポケットにナイフ、両足に熟しきった力。 (開高健「オーパ、オーパ!!小舟にて」) LESS IS MOREはやっぱり私にとって、我の放下だけでなく、我の昇華とのアウフヘーベンであるべきなのだ さぁて、週末も遊ぶぞ~


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