星野道夫さんを追っていくなかで、偶然出会ったのが「葉っぱ塾」である
自然に触れることが自らのライフワークとも思える私には、葉っぱ塾のコンセプトがすんなり理解できた。そしてすぐに連絡を取った。
数日後、代表者のヤギおじさんより、お手紙と一緒に「ブナの森から吹く風 LEAF」という活動誌が送られてきた。葉っぱ塾ではこれを親交のある吉永小百合さんや星野直子さんにも届けているそうだ。
そしてその中のある1篇の詩に目が留まった・・・
「汲む -Y・Yに-」 茨木のり子
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も
見ました
私はどきんとし
そして深く悟りました
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
茨木のり子さん(1926年6月12日 - 2006年2月17日)は、戦後詩を牽引した詩人だが、当時としては稀少だった戯曲を書く女性でもあったことから、舞台女優・山本安英さんと出会う。山本さんは浮沈の激しい世界にあって、「決してきらびやかではないけれども、ほんとに本質的な女優さんだった」そうだ。茨木さんは山本さんから、生きる基本、親や先生からは学べない大事なものを得る・・・それがこの「汲む」であるそしてこの詩をY.Yつまり山本安英さんに捧げた。
私が茨木のり子さんに出会ったのは確か高校3年生。
大学受験を控え、毎日「勉強しろ、勉強しろ」と自らにプレッシャーを与え続けていた。
しかし私は本当に勉強が大嫌い。机に向かうとすぐに眠くなった
おまけに下手な自信があり、自分は勉強しなくとも授業を聞いていれば希望の大学に入れると高をくくっていた・・・。
そして、夏休みが明けて現実を知る
私が県大会にかけている間も、南アルプスのインターハイに行っている間も、周りはずっと勉強し続けていたのだ。自分のレベルは同じなのに、気づいたら抜かされていた。
初めて焦った自分は何をやっていたんだろう・・・。つまり何もやっていなかったんだ。
焦れば焦るほど勉強は全く手につかず、次第にその不満をそのまま周りにぶつけてしまっていた
2学期も中ごろだっただろうか、私は配られた「学年通信」で大泣きするはめになる・・・
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
ショックだった・・・
頭を思いっきり殴られた気がした。何度も何度も読み返し、また泣いた
真っ先に親への申し訳なさがこみ上げてきた。祖父の入院、祖母の介護、お葬式と相次ぐ中にありながら、私は自分のことしか考えていなかった。たかが受験のためになんと身勝手でわがままな態度をとっていたのだろう・・・
そして私はその数行を心に刻み、学年通信を切り抜いて手帳に貼った。
実はこの詩が「茨木のり子さんの詩である」ことを知ったのはだいぶ後、2006年2月のことである。
その切り抜きは大学生になってからも持ち歩いたが、よく見ると「余禄」か「天声人語」のコピーらしく、掲載箇所は抜粋されており、題名も書かれていたなかった。
そしていつしかその存在も忘れてしまっていた・・・。
それが2006年2月にふと思い出して、覚えていた言葉で検索をかけた
その時初めて全文を読み、題名を知り、作者を知った・・・。
次の瞬間、茨木のり子さんの訃報が目に飛び込んできた。
ほんの2~3日前に亡くなったというニュースだった・・・
体が震えた。
なんなんだろう・・・ただの偶然
不思議な気持ちなのになぜか興奮していた・・・。
こんなことってあるのか・・・、パソコンの前で呆然とするだけだった・・・
その日、この偶然をブログに書いてみようとも思ったのだが、どうしても文章にすることができず、それが今、「汲む」を手にしたことで、一気にインテグレートされた。
偶然はやはりただの偶然ではないんだ・・・
茨木のり子さん、あなたのメッセージは私の指針となりました。そしてこれからは大切な人たちに語ってゆきます。図らずも亡くなられて3年以上もの月日が経ちましたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
写真は今が見ごろの蔵王・熊野岳のコマクサ。いつまでも初心を忘れず謙虚にいきたいものだ。(2007.7.12撮影)