日常に戻ると、なんと1週間が短いことか
あっという間に週明け。
スーツケースはやっとたたんだ。
しかしお土産はいまだテーブル1つ分広げたまま。
大量に買ってきたお菓子とパンは配ったりおやつにしたりして、着々と減ってきているけれど、まだ手をつけていないのはお酒ドイツビール、フランケンワイン、フランスワインもある。税金を取られずに日本に持ち込めるギリギリ量を詰めてきた。
自分へのお土産はというと、気づけば紙モノばかり。ロマンチック街道やマッターホルン、モン・サン・ミッシャルの写真ハガキやパノラマ、ノイシュバンシュタイン城の歴史の本、オルセー美術館とオランジュリー美術館の絵葉書と日本語のガイドブック・・・、また本棚が増えちゃうなぁ
私も友達もショッピングという柄ではないのでパリでお買い物はしなかったのに、なぜかお土産だけでスーツケースの半分は埋まっていた。そりゃ20キロ越すわ。
飛行機は基本的にスーツケースのお預けは1人1つ、20キロまでとなっている。中でもエール・フランスは厳しいことで有名20キロちょっと超えても追加料金を取られる。特に新人さんに当たるとちょっとのオーバーも見逃してくれない。
そういう場合は、カウンターで荷物を広げて20キロ以下になるまで取り出すか、お金を払うか・・・。ただしここで汗って重いものからとワインのビンなんかを取り出してはいけない。今度は手荷物検査場で没収されるからだ。
久しぶりの国際線で驚いたのは、液体物は100ミリリットル以下を10本までしか持ち込めないことである。歯磨き粉やマスカラや目薬などは鞄から出して透明なジップロックに入れなければならない。
おぉ、厳しくなったなぁ。
もちろんライターやスイスで買った小さいアーミーナイフも持ち込めないから全部スーツケースにしまうこと。
では、「Bon Voyage 」
今回は、フランスのシャルル・ド・ゴール空港からドイツのフランクフルト・アム・マイン空港まで国内線扱いでエール・フランスに乗ったが、私のスーツケースはその時点で20・7キロだった軽量でヒヤヒヤしたが、優しそうな男性係員を選んだので正解見逃してくれた。
その後フランクフルトでもお酒やお菓子を買い足したので、ちょっとした段差にスーツケースの足が取られ、帰国早々、京成とJRの乗り換えにヒーヒー言ったのは言うまでもない。この大量の荷物をやっと整理した日曜日であった。
といいつつ、週明け会社で言われた。
「また休みにどっか行った」
え?何で分かった?と思ったら、
「車のタイヤ泥だらけだったから。いまどきその辺走っても泥なんかつかないからねぇ~」
シマッタ・・・
えぇ、当然山に行ってきましたとも帰国して初めての休日にもかかわらず・・・。
だってFP試験が終わって旅行行って帰ってきたらいつの間にか秋山シーズン到来なんだもん。まずは様子見に行かなきゃ。
近場の山ではナラタケが最盛期。このキノコは見た目はあまりだけど本当に味がいい。キノコ汁にすると最高
秋の味覚、リンゴも収穫してきた。
もぎたてのリンゴをその場でそのままかじる贅沢といったらない。ジューシーで甘くてバリッした歯ごたえ
そういえば、旅行中もリンゴを食べたあちらでは普通にコンビニやコーヒーショップで青リンゴが一つずつ売られている。確か50~80セント程度だったと思う。
スイスのジュネーヴからフランスのリヨンに向かう新幹線TGVで配られた朝食のランチボックスも、サンドイッチとオレンジジュースと青リンゴだった。
また、フランスでもオルセー美術館前の小さな売店で見つけたし、ドイツでも同じような堅い青リンゴがフルーツポンチになってバイキングに出ていた。
私が旅行先で必ず立ち寄るのはスーパーマーケット。食材を見るのって何でこんなに楽しいのかしら
スイスのジュネーブ駅中にある小さなスーパーで
パリのデファンスにある大型スーパーで
食事は本当に何を食べても美味しかったけれど、サラダや果物は日本のほうが美味しかったなぁ。
というのも、向こうではもともと生野菜は食べないらしく、ホテルでも朝からサラダが出るところはほとんどなかった。昼と夜は前菜で出ていたけれど、それはどこにいっても日本人が「サラダ、サラダ」というから日本人向けに用意されているらしい
また、果物については日本では品種改良して甘くジューシーにしているのに対し、ヨーロッパでは在来種をそのまま育てているため、リンゴは水分が少なく酸味が強いのが特徴であった。
日曜日にリンゴをもぎに一緒に行った友達はネパール帰り
「そういえばネパールでリンゴを植えている日本人に会ったよ」と言っていた。
ネパールでのそれはまるで、「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える。」である
この言葉、結構お気に入り。もともと誰が言ったのだろうと疑問に思っていたところ、どうやらドイツの宗教改革者のマルチン・ルターらしい
リンゴとは比喩であるが、ノンフィクション作家・柳田邦男さんは、「死を受容した立場にある人々にいかに生きるか」という答えを与えたと述べている。そして「死とはその人の人生がインテグレード(集積)されて出てくるものではないか」という言葉に繋がる。
「死の医学への序章」に感銘を受けた私。ついに土曜日には酒田まで足を運んで柳田さんに会ってきたこれは後にご報告。
先日読んだ開高健さんのフォトグラフィにも同じ言葉が記されていたので嬉しくなった。ただし開高さんらしく言葉を変えて「たとえ地球が明日滅びるとも貴方は今日林檎の木を植えます。ほんとかね・・・」にはドキッとさせらた。
この言葉も「ハチドリのひとしずく」と同様のメッセージ性を帯びており、地球のために未来のために、「今、自分に出来ること」を考えさられる・・・
さて、土日のドライブのお供にしていたのがこれまたシブイ、中島敦の「山月記」しかも江守徹さんの朗読で
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
これ高校で習ったね、という程度のおぼろげな記憶。
だけど、今回聞いてかなりのヒット即リプレイ。中島敦の珠玉の言葉たち、暗記したいくらいだ。
ファンタジーとしても普通に面白いが、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為・・・」心に染み渡る作品だ
詩人になりそこなって虎になった哀れな男・李徴を主人公とする「山月記」は、現在も高校国語の人気教材で、唐代の伝奇小説「人虎伝」を素材にしているらしい。
荒唐無稽な古典を換骨奪胎、見事な近代小説に生まれ変わらせた才知から、中島敦は芥川龍之介の再来だとさえ言われた。喘息のため33年という短い生涯を終えたが、心ならずして虎になった男の話でデビューし、逆に意志を貫き、天下一を通り越して弓自体をも忘れてしまった男の話「名人伝」を最後に1年足らずの作家活動を閉じている。
この全く対照的な2編の寓話のもつ幅の中に、中島敦のヒューマニズムがあった。(解説:勝又浩)
この「名人伝」もかなり面白い私の好きな「十牛図」を思わせる。あるいは、老子の「道」的な無為無我、悟りの境地である。
もう一つ、世界の悪意というべき「牛人」も怖~くて面白い。
中島敦は天才だ
いい言葉はたくさんあるけれど、ここだけ引用しよう。(山月記より)
「どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」
オーディオブックは今でこそFeBeなどがあるが、私は小さいころから目より耳からの情報が得意だったので、江守さんには高校の通学路で大変お世話になった。シェークスピアでドキドキしながら自転車を吹っ飛ばしていた。あの頃から・・・あまり変わっていない・・・かもなぁ
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