旧 自分ブランド「COMME des KAORI」

私が他の誰でもない私になるために・・・
独立系FPを目指す私の成功ノート

一人に一つずつ、大切な命

2009年12月08日 | 心=ハート

「たとえば「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」と言う。便利なだけに手垢にまみれ、もはや中身はからっぽの感が強い。」
ぎょっとした
今年の3月10日、東京大空襲の日の「
天声人語」である。
確かに現実はそのとおりなのだが、新聞にここまで書かれたことがショックだった

数字の羅列に敏感な私、今日、12月8日は言わずと知れた
太平洋戦争開戦記念日
これを覚えたのは中学2年のときだ。
その年の12月8日は日曜日、師走ロードレース大会の当日だった
スタート前で緊張していたはずなのにやけに思考がクリアで、大会委員長の挨拶までしっかり記憶している。
その中にあった真珠湾攻撃のことがなぜか心を掴んで離れなかったのだ。
体が冷えないように気をつかいながらも、
1941(昭和16)年の今日を想像し、そんな日があったから今があるんだなぁ・・・とこれから数キロ走ることが不思議でたまらなかった。
同時になんと平和な世の中だろうと思った。
無心で走った大会は気が付いてみると中学の部で優勝していた。

次に、高校1年生の国語の授業の冒頭、「今日、12月8日は何の日でしょう」と先生が質問した。
そのとき私が答えたのは
ジョン・レノンの命日」
前の席の育子ちゃんは「針供養の日」。
多感な時代に覚えた雑学というのは結構忘れないものだ

今日の「天声人語」には、
先の「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」に加え、「平和の大切さ」について、
「この手の紋切り型は納まりがよく、人を分かったような気にさせる。一方でものごとを抽象化し、どこか他人事のように遠ざける。往々にして、そこから先の問題意識と想像力を封じてしまう」とあった。
そして小林秀雄さんが能について述べている〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉という一節から、「『大切な命』がある。『命
の大切さ』という様なものはない」と。

「みんな~同じ生きているから~、一人に一つずつ、大切な~命~と思わず口ずさんでしまった。
この歌、住友生命のCMソングとばかり思っていたが、オリジナルは80年に収録された、イルカの「まあるいいのち」。
時代を超えて愛される珠玉の名曲である

さて、先日、同期に赤ちゃんが産まれた
彼女には妊娠中に原因と結果の法則の中で登場してもらっている。
そう、その男の子である。
あのとき彼女のお母さんは「女の子がよかったのに・・・」なんて言っていたようだけれど、今は毎日孫の顔を見にきているそうだ。
それはそうでしょう、こんなに可愛いんだもん

私も産まれてすぐに病院にかけつけた。
この純粋無垢な寝顔、どうかけがれを知らぬままにすくすくと育って欲しい。
親でなくとも願ってしまう。
赤ちゃんが誕生することの奇跡を肌で感じたくて、面会の間中抱かせてもらった。
小さくて、あったかくて、幸せそのもの。
赤ちゃんは希望だ

抱きながら、「君はあの世で『頑張ってこい』と送り出され、このお母さんとお父さんを選んで、『えいっ』とこの世に産まれてきたんだね」と思わず話しかけてしまった。
普通なら「何言ってるの」と言われそうなところを、彼女は
「うん、そう思った。頑張って出てきたんだなって」
出産を経験して自然にそう思ったらしい

「偶然はひとつもない。無意味なことはひとつもない」。
鈴木秀子さんの愛と癒しのコミュニオン」をまた手に取る。
紹介してもらってからというもの、「大宇宙に聞く」と「おわりに」は繰り返し読んでいる。(教えてくれてありがとうございます


「私たちは、あの世からこの世に来る時、人生を完了するまで自分の歩む道を書いた設計図を持ってくるといわれる。
・・・
私が翻訳した『死んで私か体験したこと』という本がある。ベティー・イーディーというネイティブ・アメリカンの女性が、自分の臨死体験を綴り、アメリカでベストセラーになった本だ。彼女は大手術の末、臨終を迎え、四時間以上も霊安室に置かれた。その間に彼女は、高みに上がっていき、さまざまな出会いを体験するが、その一つが、これから生まれる人との出会いだった。
その人は、気をもみながら下界を見ていた。ベティーが「何をしているんですか?」とたずねると、「私は、あの男性とあの女性の間に生まれようと思うんですが、二人がなかなか出会ってくれないので・・・」と答えたというのである。こうした光景を見て、彼女は、人はあの世からこの世にくるとき、すでにどんな人生を歩むのか設計図を持っていることを確信する。
・・・
人はそれぞれ『自分らしく成長する』ためにこの世に生まれてくる。自らの魂を磨くために、それが喜びであれ、苦しみであれ、必要な出来事を、自分で自分に引き寄せる。
つまり、自分に起こることがどんなことでも、自分の益になるように、自分で選択して、引き起こしているのである。
・・・
人は、成長するためにこの世に生まれてくるのである。人間にとって成長とは、愛に生きる力を伸ばすことだ。しかし、成長するには苦しみが必要なのだ。だから、”自分であの苦しみを通って成長しよう”という計画を、事前に自分自身で用意するという。
それはつらい計画かもしれない。しかし、それがあなたのこの世でいちばんいい計画なのだ。だから、その計画を捨てようともがいて、あらかじめ自分で選択した苦しみを通り過ぎなければ、人生は完了しないのだ。」

この箇所を読んだとき、「あぁ、やっぱりそうなんだ~」と思った
昔から親とよくしてきた、人間の生と死や生きがいについての話からしても「やっぱり」な内容である上、私はこの両親の子供でよかったと思うにつけ、この道は自分で選んできた道なんだと納得する「やっぱり」なのである。

もう、2週間前になる
高野山で鈴木秀子さんにお会いしたことを昨日のことのように何度も思い出していた。
「この世で起こることに偶然はない。すべては必然である。起こることには、すべて意味があり、無意味になることはない。人生に無駄はない。」

実はさっき、仕事帰りにスポーツジムに行ってきたのだが、帰り際カウンターにたまたま2枚だけ他のお客さんのカード置いてあった。
どなたか存じないが、上にあったその名前はなんと「鈴木秀子」だったもちろん漢字まで一緒。
「嘘でしょ」
一人でニヤリとしてしまった。


・・・それにしても、今日もネタが飛ぶ飛ぶ(笑)
そこで最後に、今日の「編集手帳」より、笑えない話。

「議会が力を失い、外交が大局観を失い、言論機関が言葉を失ったときに何が起きるか、歴史に学ぶ上で8月15日とともに、それ以上に忘れてはならない日である。
真珠湾はどこにあるか、と問われ、「三重県」と答える若い人もいると聞く。

確かにミキモト真珠島は三重県鳥羽市にある・・・
けれど、あまりにこれって平和すぎやしませんか・・・


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