
ブログの開設から 357 日目。
本日をもちまして、gooブログからFC2ブログに引越しいたします

引越し先は、自分ブランド「COMME des KAORI」私が他の誰でもない私になるために・・・ 独立系FPを目指すCFP®認定者「aroma」の成功ノート
・・・ということでアドレス以外は何も変わっていません

これまでRSSリーダーやお気に入りに登録して読んでくださっていた方がいらっしゃいましたら、お手数ですが変更をお願いします。
FC2に変わったことでGoogleリーダーでも全文を閲覧することが可能となりました

携帯で読んでくださっている方も変更をお願いします。
ただしこれまでと違ってトップに広告が入ってしまいます。間違えて怪しげなサイトに飛んでしまわないようにお気をつけください

また、テンプレートは以前のような可愛いものを探したのですが、どれも配色がいまいちで見にくかったため、テキストのみのシンプルなものになっています。
お蔭で「いつも携帯で読んでいる」といってくれている友達の苦労がわかりました。
こんなに長くて何がいいたいんだか分からない日記を携帯で読むには、忍耐が必要です。
脱帽・・・
、でもありがとう
ブログの引越しはずっと考えていて、9月にFC2のIDを取得していたのですが、gooにはエクスポートの機能がなかったので、これまでの日記は諦めてゼロからスタートするか、このまま続けるか踏ん切りがつかずに保留にしていました。
でも、gooの字数制限と文字の大きさの不揃いさに業を煮やし、新年早々引越しを決意

さんざん調べ上げてそっくりそのままの引越しに成功したというわけです

以下はgooブログから引越しをしたいという方のためのメモです。

有料のgooアドバンスに加入すると書籍化サービスがあるのでバックアップできますが、無料でできる方法はこれくらいだと思います。
1.トップ画像は本文中の挿入写真に変更する。もしくはgooブログライターに一度読み込ませてそこから再度アップする。
2.無料版のgooブログはエクスポートもバックアップ機能もないので、ネットでバックアッププログラムを探してダウンロードする。私は「gooバックアップツール」を無料配信しているサイトからいただきました。
3.説明に従ってバックアップを取る。私が使ったツールは最高15件までしか一度に処理できませんでしたので、カテゴリー別に読み込ませました。
4.バックアップを取るとMT形式に変換されるので、FC2など、MT形式に対応しているブログを開設してからログをインポートする。
5.本文と写真とコメントが全て移動されていることを確認して終了。私の場合は動画にバグが出ましたのでリンクを貼り直しました。
もともとgooブログに開設したのは既にgooメールを使用していたためでした。
gooのテンプレートや絵文字はどのブログよりも可愛くて豊富です

またシンプルな作りになっていますので初心者でもすぐに慣れることができます。
ただしブログバーツ、文字数、アフィリエイトなどに制限があり、上達するに従って物足りなくなります

FC2ではまだ記事を書いていませんが、設定時点で気に入っているところは、カスタマイズしやすいこと、本棚を貼ることができること、Googleリーダーで写真も記事も全部読めることです

なお、引越しはしましたが、記事のリンクがgooブログに飛んでしまいますので、こちらも「旧 自分ブランド「COMME des KAORI」」として残しておきます。
以前は私がブログを書くなど思ってもみませんでしたが、勧められて始めてみると意外に楽しく、自分は実は文章を書くのが好きなのかもしれないと気づきました

開設したのは2009年2月5日のことですので、まもなく丸一年になります

最初のころのように毎日記事を書くのはしんどいですが、引越しを機に、思ったことを気兼ねなくアップしてあまり長編にならないようにしたいと思います

最後に、このブログを通してたくさん学ばせていただきました。
ブログだけで繋がったうれしい出会いもありました。
私の様子がよくわかるとブログを通して安否確認
して安心してくれる方もいます。When I count my blessings, I always count you twice.
はお気に入りの言葉です。
私にとっての「Count you twice.」はみなさんです

毎晩寝る前に、家族、友人、同僚、勉強会の仲間、買物でレジを担当してくれたおばさん、交通整理をしてくれたおじさん、などなど、私が今日無事に過ごすことができたのはみんなのお蔭なので、一人ひとり顔を浮かべながら、ありがとうございますと言って布団に入ります。
そして、私に関わる全ての人たちが幸せになってくれるといいなぁと思いながら眠りにつきます

例えば、これを持っていると恋が叶う
、とか、これを見つけると幸せになれる
、とか、そういうジンクスみたいに、私に出会うと幸せになれる、みたいな魔法の能力が私に備わっていていたら、幸せだなぁと思うのです。でもそれが噂になって私に会いたい人が増えたら大変だなぁ・・・(笑)
でもたぶん幸せになった人は自分が努力したからと思うものなので、もしも私にそんな能力が備わっていたとしてもきっと気付かもなぁ・・・(笑)
それでいいのかもなぁ・・・なんちゃって

言葉って、相手をよく知るために、相手を幸せにするためにあるのだそうです

私は人を褒めたり、自分の気持ちを伝えたりするのは苦手ですが、文章にすると割りと素直
になれるので、せめてブログやメールや手紙などの書き言葉で、読んでくれた人を楽しい気分に
、嬉しい気持ちに
、できたらいいなぁと思います
これからもっと、気持ちが伝わるような文章を書いていきますので、自分ブランド「COMME des KAORI」をよろしくお願いいたします

これまでgooブログを使わせていただきありがとうございました。

柳田邦男さんの講演会以来、私は辻邦生さんの
「廻廊にて」を探していた。
しかし文庫は絶版。
それでもどうしても確認したい表現があって、年末にやっとのことで「辻邦生全集〈1〉」を借りた。
想像していた作品とは全く違う重い内容であった。
しかし音楽的で美しい作品だった。
ただ私には難しすぎた

Amazonレビュー 「タピスリのように織り上げられた、一女性画家の生」
本書のクライマックスより書き留めておきたい表現をここに残しておく。(原文はカタカナ表記のため変換は作者の意図と違うかもしれません)
私は、それまでも、何度となく、この一角獣のタピスリを見ていたのですが、その瞬間ほどにそれが私を包み、また、私もその中に溶け込んで、甘やかな歓びに貫かれたことはありません。私は、6聯1組のタピスリが単にそこに在るというだけではなく、そこに、ある不動の、永遠と呼んでもいい、至福の空間があって、少女と花々と音楽と小さな動物たちが、何という調和に満ちた親密さで、それを見たしていることかと、心の底に納得深く降りてくるある感銘と共に、考えるのでした。
「総てものは、繰り返される。単なる流転こそが、物の宿命なのだ。しかしこれは別だ。このタピスリの空間は、生まれたときに、自分固有の未来を持ち、自分の宿命を成熟する方向へ歩み続けている。私が、今、これに出会うまで、このタピスリは、すでに、純粋な美しさを〈現在の〉表面に浮かべるまでの何百年にわたる長いときの空間を歩いて来たのだ。おそらく明日再び、これとめぐり会うとき、これは、それだけまた緻密な時間を旅しているのではないだろうか。私たちにとって、一日は繰り返しであり、朝に戻ることであるのに、これだけは、自分の新しい時間を、自分の未来と宿命の成熟の方向に向かって、切り開いてゆく。これだけが(与えられた時間ではなく)自分固有の時間を持ち、自分であることに喚起し、自らの成熟へと永遠に上り続けてゆく。これこそが、〈美〉であり、美の意味であり、美の本質なのだ。」
(欲望に従う)
一角獣のタピスリとは、パリのMusee National du Moyen Age Thermes & Hotel de Cluny(クリュニー中世美術館)に所蔵されている「貴婦人と一角獣 Dame a la licorne」のタピスリーのことである。
このうち5枚は触覚、嗅覚、味覚、聴覚、視覚、という人間の五感を表現したもの、そして「欲望に従う」という文字の縫い込まれた連作の6枚からなる。ただし6枚目はいまだ謎に包まれたままだ。
しかもタピスリの作者や制作場所は不明である。
まだ実物を見たことはないが、こうして検索するだけで小説の世界が映像で浮かび上がってくるとは何とすばらしいことか
話はまた柳田邦男さんの「土門拳の写真を読む~こども・筑豊・仏像~」と題した講演会のことに戻る。
このブログは力を入れて書いたのだが、「廻廊にて」が理解できなかったので、ある意味ブログも未完成だった。
柳田さんは、土門の仏像写真をどう感じるかについて、上記の赤字の箇所を2度朗読された。
それからというもの、まだ見ぬタペストリーが星野道夫さんに思いを馳せることになったり、玄侑宗久さんの「中陰の花」を思い出させたりして、11月に高野山大学で参加した鈴木秀子さんのワークショップでは、ついにカラフルなタペストリーの絵を描いてしまった
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
・・・
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない
もしかしたら中島みゆきの「糸」のイメージを書いたのかもしれない。
丑年ご縁年について大晦日に書いたときも同じ感覚だった。
12月20日、山形美術館にて開催されている「土門拳の昭和」のギャラリートークへ行った。
前売り券を用意していたところ、大事に袋に入れたまま捨ててしまうというハプニングもあったが、再度購入して良かった
というほど充実した展覧会だった。
子供たちが無邪気に遊ぶ写真は一番楽しかったが、お目当ての室生寺や古寺巡礼も本当に見ていて飽きることはなかった。[山形新聞より 動画はコチラ]
仏像から何を感じ取るか。
それは心の永続性であり、普遍性である。
写真を通して、線の美しさ、光源、グラデーションといった微細なディテールに気付かされる。
しかし一方で、何百年という月日を経てできる、カビや染み、割れ目など全てが否応なく見えてしまう。
にも関わらず、見るものに一つの感動を呼び起こす。
造形美としての美しさが損なわれたとしても同化して価値を持ち続ける。
それは製作されてから今日に至るまでに仏像を見て感動した人、救われた人があったこと、そのような歳月の一つ一つの記憶が、傷や染みによって表現されているといえるからだ。
つまり、体の寸目一つも重要な文化的な遺産なのである。
即物的な目ではなく魂の目で語りかけることで物事の真髄が見える。
抽象的であるがゆえにこちらが考えさせられ、本質に迫ることができる。
うつせみとして何年も生きて終わるのではなく、年月を経るごとに深みを増し、その生き様が全うした姿として次の世代に生きていく。
それが土門のディテールへのこだわりであり、芸術の域に迫る彼の狙いなのである。
もう一度柳田さんの講演会でのメモを読み返してみた。
これこそが、美であり、美の意味であり、美の本質である、か・・・
やっと納得できた気がする。

そういえば、9月に、モン・サン・ミッシェルに行ったときのこと。
マリア様に抱かれるキリストの首は無残にも切り落とされていた。
それ以外にも修道院にある神の顔という顔はすべて潰されていた。
百年戦争、そしてフランス革命のときに全て壊されたそうだ。
なるほど、建築されたのも歴史であり、壊されたのも歴史である・・・、でも最も有名なサンピエトロ寺院のピエタの首ある・・・よな。なんでだろう?
ガイドさんに聞いたら答えは明解。
作者がミケランジェロだから、だそうだ。
なるほど、修復されるのもまた歴史の一部なのか。
現存している絵も彫刻も仏像も全て、長い長い歴史を辿り、それまでに大勢が目にし、心を動かされ、そして今私の目の前にあること、その傷も痛みも全てが歴史的遺産なのだ
いつからだろうか、美しいものを見たい、聞きたい、感じたいと思うようになってから、ほとんどテレビを見なくなった。
朝のすがすがしい時間には、滝のような情報よりも、基本に立ち返れるような背筋が伸びるものをと読む本も厳選している。
また夜も同じで眠りに着くまで聞く音楽もなるべく美しい旋律を、眠くなるまで読む本も幸せな気分になるものを手に取っている。
最近ベッドで眺めているのは、モン・サン・ミッシェルに行った翌日に見学したオルセー美術館とオランジュリー美術館のパンフレットだ。
美術に詳しいわけでもないけれど昔から絵を見るのが好きだった。

オルセー美術館はゴッホ展を開催していた。

オルセーの1階。銅像のまねをしていたので面白くて撮っちゃった。
ちなみに美術館はどこもフラッシュをたかなければ何でも撮影OKである。

モネの睡蓮が素晴らしいオランジュリー美術館は所蔵も少ないのであまり混んでいなかった。
ルーヴル美術館も歩いていける距離にあるが、すごく広いのでピラミッドの前で写真を撮っただけで見学はしなかった。
次回パリに行くときは、「貴婦人と一角獣」の連作を見に、クリュニー中世美術館に足を運んでみよう
美の本質をこのように辿ってくると、人間も年齢を重ねるほど美しくなるともいえるのではないかと思えてきた。もちろん心の持ち方、考え方次第ではあるけれども。
ビーイング、今年もキーワードになりそうだ

今、日本で一番注目のカフェ
といったら・・・「鳩cafe」でしょう

年明けとともに、鳩山首相のブログ「鳩cafe」がネット上に店開きした。
同時にツイッターも始まった。
もう鳴いたのかな。いや、まだみたいだよ。早く鳴かないかな。あ、いま鳴いた。ほんとうに鳴いたね。次はいつ鳴くかな――。(1/6日経・春秋)
そんな間に藤井財務相は辞任。後任は菅副総理。
どうも面白くない

前進の首相官邸ブログものぞいてみた。(アメブロだった。ブログの引越しをずっと検討しているため、やっぱりアメーバか・・・と思ってみる。)
開かれた官邸、確かに響きはいいのだけれど、どうも方向性が見えてこない。
つぶやくよりも先にやるべきことがあるでしょ

早くも年があけて一週間になる。
三が日が土日に重なったためか、あっという間に通常の生活に戻った。
カレンダーを見れば、2週間前にクリスマス、1週間前に大晦日だったというのに・・・
このままいくと・・・

おそろしくなるのでこれ以上は考えないでおこう。
昨日の次が今日で、今日の次が明日、当たり前だけれど、そうなのだ。
我が家では大晦日だから何をするでも何をみるでもなく平日となんらかわらないリズムで元日を迎えた

大雪だったため正月は登山も控えた。
2009年の登り納めは白鷹山だった。

時折ズボッと足がとられるくらいでラッセルする必要もない積雪量

足跡は残っていたが登山者の姿はなかった。
音のない世界・・・

でも耳を澄ますとブナの幹の音が聞こえる。
尾根の方からヒヨやカラの鳴き声が聞こえる。

杉林を抜けると、日光に照らされた細かな雪がきらきらと輝き、正面には蔵王連峰がその雄姿を現した。
冬山をやります、というほど大したところには行かないが、冬は冬で夏とは違った面白さがある。
それは何といっても道がないことだ

冬山はどこでも歩ける。
まっさらな雪の上に自分の足跡だけをつけることができる

ただし夏に登るときに冬を想定して歩いておくことが大事だ。
そうすれば迷うことはない。

夏には絶対できない、ビニールのそりすべりで下山した。
山を降りたというより落ちたに近くあっという間にふもとに着いた。
楽しいことはいくつになっても楽しい

いくつという年齢は本来関係のないことなのだが、どうしても大人になると知識や常識が先行して決断や行動を妨げる。
厳しいことをいうと、今の時代はネットで調べればなんでもすぐにわかるため、知っていること自体はあまり評価されない。
知っていることをどう活かすか、何を生み出すかなのだ。
それなのに、年末は積読のブログとメルマガを処理し、結局正月明けも同様、休み中もちょっと時間があけば読書と、情報が滝のように流れ込んできて、分かったようなことを偉そうに口にする頭でっかち人間になりそうだった

たとえ失敗しても、チャレンジする人の方がずっと魅力的なのに・・・
だからみんなソロアルピニスト・栗城史多くんを応援したくなるのだ

先日のブログに付け加えるなら、今年はわくわくすることを無邪気にやる、かな

周りに聞いてみると、この正月、ほとんどの人が出かけることなく自宅に篭っていたようだ。
いつも仙台に初売りにいく友達でさえ、こんな雪の中無理して行ってもたかが数千円の違いだろとシビアだった

同じように初詣客も、のきなみ減少したらしい。
不景気だからみな初詣に出かけるのかと思いきや、懐も外もこんなに寒くては内に篭る方が賢明かもしれない

私も松島の帰りに初売りに行こうと思ったのだが、人は多いし、疲れるし、行ったら買わなきゃならないし、何より持病のヘルニアがあやしいのであきらめた。
・・・と言いつつ、今年からクライミングを再開しようと思っていため山用品店に行きたいのだが。
その前にロフトで糸井さんの「ほぼ日手帳」を見たいと思っており・・・
結局今年の手帳はまだ買っていない

「我が生は淋しからずや 日記買ふ」 (高浜虚子)
「日記買う」は12月の季語。
日記帳は昨年と同じものを購入した。
真新しい手帳や日記を前にするとちょっと緊張するものだ。
1ページ目を開くときは背筋がぴんと伸びる。
毎年のことだが、最初のページだけは文字が綺麗だ

昨日の次の今日には違いないが、新鮮さがある

これが新年の意気込みでもある。
これから何が始まるのか、どんなことが書き込まれるのかわくわくするね

11/24の産経新聞によると、サラリーマン男性の9割以上が手帳に“秘め事”を記入しているそうだ。
もしかしたら手帳は携帯を見られるよりもショックかもしれない。
それなのに手帳は無防備だ。
携帯はロックをするという方法があるが、手帳を略語や記号で“防衛”する人は2割前後らしい。
手帳を見られて「仕事をズル休みした日のデートがばれた」「取引先情報が競合社に伝わった」「“婚外恋愛”が見つかって修羅場に」は自業自得という気もするが、地味でかつ相当はずかしいのは、密かに抱いている夢や目標、理想を見られたときではないだろうか

いまや手帳は夢をかなえるグッズだ

成功本を読んだことのある人はたいていやっている。
アイデアは何でも書き込む。
書けば叶う。
持ち歩けば叶う。
成功の法則は科学的にも証明される
らしいが、私に言わせればいいことは信じたもん勝ち
だから、気に入った手帳が見つかったら私も秘め事
書いちゃおうっと。みなさん、手帳の忘れ物には注意してね~

おっと、アメトーーーーーーク見なきゃ


あけましておめでとうございます
2010年庚寅の幕開けです
テンプレートも真っ赤か
一緒にお正月を盛り上げます

午前6時50分、空が赤く染まってまいりました。

午前7時、水平線から太陽が昇ってまいりました。

午前7時5分、金色に輝いています。

午前7時17分、輝かしい一年になりますように。

・・・のぼせてしまいました
(またか
)
実は、松島の温泉旅館からの眺めでした
ちょうごご来光にあわせて貸切露天風呂を予約。
嬉しくて窓を全開にして(もちろん)身を乗り出して撮っていました
贅沢です。
眼下には地元の漁師さんの姿がちらほら。
初漁と思われるボートが一隻、キラキラ光る水面を滑るように飛び出していきました
写真からみえるでしょうか。
カモメが一羽、ゆうゆうと飛んでいます。
「・・・ジョナサンだ
」
松島にはカモメがたくさんいます。
遊覧船が出航するたびにたくさんのカモメがついていきます。
食べることしか興味がないカモメたち・・・。
それに対して孤高のカモメを見つけるたびに、ジョナサンではないかと思ってしまうのです。
リチャード・バック/著・五木寛之/訳 「かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)」

ひとりぼっちが寂しいなんて嘘さ。もっと速く遠くに飛んでいくんだ。![]()
そう、重要なのは食べることではなく、飛ぶことだ。風になることだ。急降下、宙返り、きりもみ、そして全速力―
飛ぶことだけのよろこびを味わうために、光りかがやく空の果てまで飛んでいく一羽のかもめ、ジョナサン・リヴィングストン。
群れから追放された異端のかもめは、強い意志と静かな勇気をもって、今日もスピードの限界に挑戦する。
夢と幻想のあふれる現代の寓話。
6月に読んだ「シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ」に引用されていた。
「かもめのジョナサン」って有名だけど、読んだことなかったかも
五木寛之ってこういう本を訳していたんだ、へぇ。
それからすっかり忘れていたのだけれど、大晦日に部屋の積読本を見て、今これを読みたいと手に取った。
来年は「飛びたい
」と思ったからかもしれない。
児童書を読むような軽い気持ちで読んだ。
しかし命題はもっと重いものであった。
生きるために生きていくのか・・・
この手の寓話は自己啓発書以上に人生の真髄をズバリ言い当てているものが多い。
高い理想、愛、思いやり。
これを愛読書という人はきっと純粋な心の持ち主なんだろうと思う。
サン・テグジュペリの「星の王子さま」と似ているとも言われるが、私の感覚では、星の王子さまは足るを知る幸せに通じ、かもめのジョナサンはサーバントリーダーシップに行き着く気がする。
なぜなら、星の王子さまから連想したものは、マルコの福音書の一節より「ガリラヤに行きなさい。あなたがたより先に行って待っている」というイエスの復活の場面であったのが、かもめのジョナサンは、特にシンクロニシティを読んだときに思ったのだが、松下幸之助の「道をひらく」の最後、国の道と同じ要素を持っていると感じたからだ。
だからどちらがいいとか、どちらが好きという話でもない。
一体私は何を望むのか
本当の私とは
同じ元日の夜、眠くなるまでターシャ・テューダーの本を読んでいてやっぱりそうだと思う箇所があった。
「自分の興味のあることを追い続ければ、たとえそれが些細なことだとしても、自分にぴったり合った人生を見つけられる」
だから「わくわく」って大事なんだ
だって全ての源なんだもん。
いつも楽しいことばかり追いかけているようにみえる私は意外と思考中心。
でも今年はわくわくすることだけをやる、迷ったらわくわくするほうを選ぶ。
思考は二の次。
これが今年の大きなテーマでもある
それともう一つは「自燈(灯)明」
自灯明とは、法灯明と並べて使われることが多いが、釈尊が入滅する前に弟子に示された最後の教えだ。
「自灯明・法灯明」の教えは、「ただみずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすること」というものである。
この真意は、他人に頼るなという単純な意味ではなく、真実を自己の中に求めよということなのではと思うのだ。
自分で自分の道を切り開いていくには、前提として他者からの学びが必要だ。
しかし他者や他者の教説に随従することなく自己を確立せよということなのではないだろうか
昨年秋ごろから気になるのが「照らす」「灯す」
「一隅を照らす」に興奮したときがあった。
最澄のいう「一燈照隅・万燈照国」とは、「一人ひとりがささやかでも、自分の身近の一隅を照らす。それだけでは小さい明かりかもしれないが、その一隅を照らす人が増えていき、万の明かりとなれば、国全体を照らすことになる」というもの。
これは確か環境問題を考えていたときに填まったのだったと思う。
ある意味では事業家たるもの、こういう信念を貫くビジネスをすべきだとも思うのである。
そしてやはりここでも国の道を開くに至るのであり、最終目的は全員がハッピーになるいこと、広い意味での公的成功ということか
う~ん、正月早々難しい
ということで話はもどり、松島といえば国宝「瑞厳寺」。
年に1回は松島に来るが見学は3年ぶり。

ただし平成の大改修中であったため、本堂や中門などは見学できなかった。
なんとこの工事、終わるのは平成30年だそうだ。
文化財保護には10年もかかるんだね

参道が美しかったので思わずパチリ
あとは塩釜でお寿司を食べて、塩竃神社に初詣に行って、そして・・・
県境の長い(笹谷)トンネルを抜けるとそこは雪国であった・・・
現実だ~
(笑)
お正月の過ごし方が一年の過ごし方だと申します。
みなさまも穏やかなお正月をお迎えのことでしょう。
本年もコムデカオリ、ぼちぼち更新してまります
・・・そういえばついに私に「コムデカオリ」というブランド名をつけてくれた友達にブログの存在を明かしてしまいました
秘密をもてない私、aroma@CFP(R)ですが、ますます進化してまいりますので、ご愛顧のほどよろしくお願いします





こんばんは、aroma@CFP(R)です
今年最後の日記をお届けします。
大晦日ですね。
まだ2009年が終わるという気がいたしません。
でも昼から降り続いた雪は、一気に街を包み込んでしまいました。
雪はクリスマスと大晦日の飾りと言ってもいいくらいのすごい演出をしてくれます。
お祭り気分が高まります。
窓からしんしんと降り積もる真っ白い雪を眺めていると純粋な気持ちにもなります。
生まれ変わるような新しさがあります。
今年の世相を表すひと文字は「新」でしたね
日曜日、ケーキを焼きながら聞いていた山下達郎のサンデーソングブックで、今年の漢字の話題になり、達郎は「忙」、竹内まりやは「速」と話していました。
それを受けて、はて私は・・・
「縁」かなぁ。
今年はなんと言ってもたくさんの新しい出会いがありました。
勉強会、読書会、FPの活動も全て今年からです。
昨年末に「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」を読み、年明けに「起きていることはすべて正しい」を読んで、これからは「即断即決」を心がけ、「パーソナル資産リッチ」を目指そうと、外に目を向け始めました。
テーマはすでに「自己投資」と「感謝」に決定していたので、それとリンクして相乗効果を発揮したと思います
そして一年。
ご縁というものをこんなに感じたことはなかったと思います。
まさに新訳聖書「マタイによる福音書」にある、「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」を体感しました。
人間には自分ではどうにもならない人生の流れというものがあります。
学生のころまでは自分が頑張りさえすればなんとかなるものだと思い込んでいました。
しかし年を経るごとに自分でなんとかなることなんてほとんどないことがわかってきました。
特に他人が関ることは自分でなんとかしようとするほど糸がもつれたり、自然の摂理に関することは自分のちっぽけさに打ちひしがれたり・・・。
こういうのを、ミンデルの「プロセス思考心理学」いうところではプロセス、つまり「個を超えた大きな命の流れ」。
道教でいうところでは「タオ」と言うのでしょう。
人智の及ばない大きな流れを意識し、起こることは全てそのプロセスからのメッセージであると受け止める。
やっぱり「ご縁」ということになるでしょう

今年は目標もかなったいい年でしたが、思えば無理やり頑張ってきたというよりも、「起こったことを虚心に受け止めてその流れに沿ってただ努力してきた」という自然体で今に至ります
だから出会った人も今の私に必要なものを運んできてくれた人だと思うのです。
実際今年出会ったどの人たちを思い浮かべても、あの人にはこれを教わったというものが必ずあります。
たとえ嫌なことがあっても、ダメだ、うまくいかないと、どんどん悪いほうに考えるのではなく、そこからメッセージを受け取るように努力することだと思います。
そうすれば、だからよかったんだ、この程度で気づかせてもらえたんだ、と感謝する気持ちもうまれます。
すごく悩んだ時期には「他人と過去は変えられない。」という言葉を言い聞かせてきましたが、今年は「今を変えれば過去も変えられる。」と考えるようになりました
不思議なものです。
一体自分は誰なんだろうと何度も自問自答しますが、やっぱり私はこのままの私です。
理想の自己イメージをつくりあげるでもなく、余所行きの自分を捏造するでもなく、決して折れない自我を保ちつづけるでもなく、もっともっと大きな命の流れに身を任せることで、自分も表現され、ある意味では成り行き次第、しなやかに漂うことで、結果としては幅広い自分を実現していくような気がしています。
そう考えると全てが生かされていきますね

今年、平成21年は出羽三山丑歳御縁年でした。
出羽三山の一つであり、奥の院である湯殿山が、丑歳に開山されたことから湯殿山の御縁年をもって三山の御縁年とされているそうです。
12年に一度の丑歳に参詣すれば、12回お参りしたのと同じとされ、大変なご利益があると伝えられてきました。
ですから今年は三山を参らせていただきました
羽黒山・・・現在を現します。
1月1日と11月1日に登りました。

月山・・・過去を現します。
7月12日に登りました。

湯殿山・・・未来を現します。
11月1日に登りました。

たくさんお願いしてきましたが、どこに行ってもまっさきに思ったのは、
「今日ここにこうして来させていただいてありがとうございます。このご縁に感謝いたします。」
という敬虔な気持ちでした
丑年ご縁というものを意識したのは、意外にも5月に行った熊野古道なのです。
熊野那智大社に登ったとき、丑年ご縁ってどこかで聞いたような・・・と調べたところ、今年は地元の出羽三山の大事な年だと知りました。
元旦は意識せずに丑年御縁年の大きな絵馬を書いていたんですね

人それぞれに必要なものは既に与えられていて、本来実現すべき自己を表現できるように、さまざまな出来事が起こり、自分にとって必要な人と出会うのかもしれないと最近よく思うのです。
だから意味のないものは何一つない。
人と比べることもない。
塩沼亮潤大阿闍梨は、「人生生涯小僧のこころ―大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界」の中で、
「さまざまな行の中で私が感じた人間が生きていく上で一番大事なものとは、足るを知ることと人を思いやることの二つです。」と言っています
英語では今をプレゼントと呼びます。
才能はギフトと言います。
今与えられているものに感謝する、英語で考えるとなるほどと思いますね。
与えられた環境をありがたく受け入れ、全てのものに感謝し、愛情を持つこと
私のイメージでは、ご縁というのは網の目のように無限に広がってやがてカラフルなタペストリーを織り成すように、その全てが自分を自分たらしめていくと思うのです。
来年はどんな出会いが待っているのかなぁ、とても楽しみです
テーマは一つ決まりました。
まだ2009年なので発表はまたにしますが
ではこれから雪の降る中、除夜の鐘とともに、108つの煩悩をざんげして、新しい年を迎えたいと思います
みなさま、今年一年本当にありがとうございました。
世界中の人たちがよい新年を迎えられますようにお祈りいたしております

10月に、小山龍介著「整理HACKS!1分でスッキリする整理のコツと習慣」を読んで以来、私の机はこんな状態。
デスクの秩序を保つためにカットテープで備品を固定。でも会社では結構不評です
「効率化っていうけど、ただの面倒くさがりじゃないの~
」と同期からチクリ。「ははっ、分かってるねえ~」と逃げてきたけど、そのとおり
面倒くさいからこそいつもそこにある、という状態を作っておいてるんですよね。
しかし突然ティッシュが降ってきたときには相当びびりました。こう見えて?結構恐がりなので
書店に行くといろんなハックス本があります
「成功ハックス」「スピードハックス」「ヘルスハックス」「iphoneハックス」「記憶ハックス」「ステーショナリーハックス」・・・
ハックスとはいわゆる「ハッカー」のこと。不法に他のコンピューターシステムに侵入してデータを改変したり、無断でコピーしたりする人、というマイナスイメージが強いですが、もとは「技術を詳しく調べるのが好きな人」という意味らしい。そしてハックスはハックの複数形で小ネタがいっぱい。
私はノウハウ本、特にテクニック本が好きではないのですが、売れるものには訳があると思って手にとってみました。自分なりのアレンジは必要ですが、どれも知っているのと知らないのとでは後で大きく差が出るなと思わせるお役立ち情報が満載でした。
現在は2冊目として「IDEA HACKS!」を積読中です
こんばんは、aroma@CFPです。
今年最後の日曜日、いかがお過ごしですか
12月、忙しいですよね。
仕事納めは明日なのでのんびり出来るのは3日しかありません。
でも大掃除もしなければならないし、年賀状も書かなければならないし、積読本も解消しなければならないし、来年の目標も立てなきゃならないし、あれもこれも思い浮かんできては焦ってきます
きっと師走の忙しさは、飲み会の数というよりも、この焦りが心の余裕を奪ってしまうことに原因があるのかもしれません。
だって一年を振り返っても、うかうかと過ごしてきたつもりもないですし、後悔することも一つもありませんから
ただ、周りがクリスマスだと騒げば自分もクリスマスしなきゃと思ったり、忘年会だと聞けば自分も開催しなければと思ったり、やっぱり自分で忙しくしているですよね。
でもそれでもいいのかもしれないと最近思うのです。
以前の自分なら、世間が騒げば自分も一緒になって騒いでしまっていることを流されているだけと反省していたと思います。
でも今年はなぜか、クリスマスだの忘年会だのをやることで、自分の中でも徐々に「今年も終わりなんだ」「締めくくりをしなければならないんだ」「来年に向けた準備をする期間に入ったんだ」と意識できる機会を得ていると思うのです
きっとこの調子でいくとあっという間に年を取っていくんだろうと予想できます。
一年がこんなにあっという間で、小さい頃は想像もつかなかった年齢にいつの間にかなってしまったんですから。
だから強制的にでも、区切りがあるって有難いことだと思います。
だいたい仕事が納まることなんて永遠になさそうなのに、「仕事納め」というものがあるなんてすごいことですよね。
そして仕事納めまでにこれは終わしておこう、できる限りのことは処理しておこうと思うことができる。
そういう気持ちで31日までの貴重な時間を過ごし、最後まで心残りのない2009年にしたいと思います
そんな中でも特に大切にしたい思いがあります。
それは「感謝」です
私は、今年一年のテーマを「感謝」と「投資」として過ごしてきました。
まず新たな自分を求めて勉強会に参加しました。
そこでこれまでにはなかった新しい出会いをいただきました。
またFPの勉強も読書も自分への投資でした。
お蔭で去年の自分は全く持っていなかった分野の知識を得ることができ、願ってもないチャンスに恵まれました。
本当に今年はその連続でした。
だから間もなく終わろうとしている2009年のこの時期も「感謝」の気持ちでいっぱいです
ここ3年間悩みの淵にあった私をつかず離れず優しく見守ってくれた友達、今年初めて参加した勉強会で右も左も分からない私を温かく受け入れてくれたメンバー、その全員に感謝しています。
こんなに充実した一年を過ごすことができたのは、あの人のお蔭でもあり、この人のお蔭でもあり、たのさんの人のたくさんの善意と好意のお蔭です。
今日は自分に幸せをくれた最初の人、母親の誕生日でした

いつ死んでも何一つ悔いはない、十分成功といえる人生だと口癖のようにいっている母なので、当然欲しいものもないと言われ、得意の?あり合わせ料理で簡便してもらいました

食事はいつもどおりでしたが、感謝の気持ちを込めて、21センチのいちごのデコレーションケーキを作りました
お互いいい年をして「ハッピーバースデー」を歌ってろうそくを消してもらいました。
こういう誕生日、こういう年末の一日、いつでもあるようでいつまでもはないと思っています。
毎日会社にいって仕事をこなして帰宅する。
同じような毎日が繰り返されていると嫌気がさしますが、実際は今日と同じような明日が迎えられる保証はどこにもありません。
年もとってくればこれまでのようにいかなくなることも出てくるでしょう。
このように考えると、その時その時でやるべきことというのが人それぞれあって、後悔しないように今できる精一杯をさせてもらえるように人生ってできているのかなと思います。
そんなふうに思えるのも年の瀬の仕業かもしれませんね。
今日も幸せな一日でした、おやすみなさい

ドイツのローテンブルクを散歩しているとき、二羽の鳩が仲良く休んでいる姿が可愛くて思わず撮影しました。
こんばんは、aroma@CFP(R)です。
「今年はどんな年だった?」
先日友達に聞いてみると「穏やかでいい年だった」、別の友達は「いい出会いがあって充実した年だった」と話してくれました。
今年は不景気で暗いニュースばかりが目立ったけれど、私の友達は反応的なタイプよりも現状を真摯に受け止める冷静なタイプが多いので、あれこれ話していると自然に「良かった」という話に落ち着きます。
だから私もつられて何でも良かった話にしてしまいます。
「世の中にはいい人ばかりいるもんだなぁ」とあらゆる場面でありがたく感じた、そんな一年でした。
まだ今年を振り返ってまとめるのはちょっと早い気がするので、今日は最近よく思うことの一つ、「誰かを喜ばせたいと願ってやることは、なぜかうまくいく」ということについてです。
例えば、出来の悪い息子が、テストでいい点を取りたいと欲を出してもなかなか自分のためだけには勉強できないけれど、母親が「私は実家の事情で大学には行けなかったけれど、あなたには将来海外で活躍するようなビジネスマンになってほしいなぁ」などとぽろっと言ったとする。
すると息子は、これまで見向きもしなかった英語を勉強しだして、次のテストですごくいい点数をとってしまう。ただお母さんを喜ばせたいがために・・・みたいな話です。
この例えは思い付きです。でも娘より息子の方がありそうでしょ(笑)
こういうの、ビジネス書には「何とかの法則」などと銘打ってあるのかもしれませんが、まだお目にかかったことはないので論理的には説明できないのですが、私の最近の出来事からも2つほど思い当たります。
まずは10月に行った柳田邦男さんの講演会でのこと。
この講演会があると知ったのは開催の2、3日前、地元紙のタウンウィークリー情報を何気なく眺めていたら「柳田邦男」の4文字が目に飛び込んできた。
これは母親が行きたいに違いない!と、早速主催者に問い合わせてみたが整理券はとっくに配布済みだとのつれない返事。それでも当日券はあるかと食い下がると、「そういうものはないが、整理券をもらった人がもし来なければ空きが出るので入れるかもしれない、ただ確証はありませんが」とのことだった。
当日は天気もよく、2~3時間の距離なのでドライブがてら、また、ホテルビュッフェを楽しみに庄内へ出かけた。そしてチケットの行方が気になる私だけ一足先に会場入りしたのである。
早めに行ったにもかかわらず既に駐車場は満車で外まで繋がる長蛇の列・・・
「チケットを持っていない人は開演の15分前に空きがあった場合のみ受付しますので、脇で待っていてください」
どうか、入れますようにと願いつつロビーでしばらく待っていた。
「あの~私、整理券はもらったのですが、仕事があるので、聞くことができないんです。でもチケットを無駄にするのももったいないので良かったらどうぞ」
「えっ、いいんですか!?」ラッキー
本当は反対側にも待っている人が数人いたんです。でもなぜか私の方に来てくれたんです。おかげで1階のいい席が並びでとれました!
(でも変なところ気が小さいので、全員が入れたのを見届けてやっと安心できました。もう2階の端っこなど一部しか空いていなかったようですが。)
私にとってはラ・マンチャの男から続くセレンディピティともいうべき柳田さんの講演であったが、何よりも母親に柳田さんの話を間近に聞かせることができたことがすごく嬉しかった。
さらに、講演終了後に二人で並んでもらったサインは、見るたびに「講演会にいけてみんなで聞けて本当によかったねぇ」と自分を誇らしくさえ思うのであった。(なにせ私は単純だから
)
もう一つは、11月に高野山大学で鈴木秀子さんに会ったこと。
当然鈴木さんが講師でもあるからフォーラムに行ったのだが、会場は1000人近く入る大ホール、個人的な話をする機会はなさそうだった。
でも一緒に行った友達が知り合いから「鈴木さんによろしく言っておいて」と言付かったそうで、どこかで話ができるチャンスがあるといいなぁと思っていた矢先、まだ出番の数時間前というのに、会場の外でスタッフらしき方々と談話中の鈴木さんを発見!
実は(これまた)柳田邦男さんの講演を聞き終えた直後で、用事があったので私たちはたまたま会場の外に出たというタイミングだった。
鈴木さんの顔は著書のプロフィールで2、3回見たことがあるだけだったが、なぜか一瞬でピンときた。「あれって、鈴木先生だよね」
正面にいたわけではないのに何ですぐに気付いたのか私もわからない。ただ友達が話せたらいいなぁとだけ思っていた。
こうして友達は無事に鈴木さんに伝言を伝えることができたのだが、傍らで見ていた私も何だかとても嬉しかった。
そういえば、玄侑宗久さんの対談集「多生の縁」で鈴木秀子さんが言っている。
「私と会う人の運勢は、どんどん良くなるんです」
これは高野山系統の住職からも認められている、生まれもって授かった不思議な能力なのだそうだ。
それを思い出してますます嬉しくなる私!
「知り合いへの土産話もできたし、よかったねぇ」と自分のことのように喜んでいた。(私ってほんと単純
)
・・・私も鈴木さんとお話すればよかったかなぁ。
でも鈴木さんは私の方にも顔を向けながら「夜のワークショップも来てくださるのですね。ありがとうございます。お待ちしていますね。」と傍観者の存在も認めてくださったので、これは私も鈴木さんにお会いした、ということになるのかなぁ
今日の話にまとめや教訓はありません。
だって、こうすべきですとか言ってみても、その時に心からそうなってほしいなぁと思い描けなければ決して実現しないし、そういう状況って欲が出たり計算して行動するとうまくいかなかったりするものだから。
ただ単に、こうなったらこの人は嬉しいだろうなぁと想像して、そうなるといいなぁと願って、そして実現したらその人は幸せでしょ、だから私も幸せ。
幸せそうに笑うその人の笑顔が私を幸せにしてくれる。
なんだか私、すっごく幸せに思えてきた(笑)
人はみな幸せになるために産まれてくるんだもんね。
料理も同じで、レシピ通りにつくれば必ず美味しいとは限らない。
これは料理研究家も認めるところなのだが、「言葉で作り方を教えてもせいぜい80点の出来栄え」、でも「この人のために今から作るぞ」という気持ちで調理すると120点くらいのものができる。
私はよくお菓子を作って人にあげるのだが、食べてくれる相手が美味しいと笑ってくれたらいいなぁと想像しながら作るとすごく美味しくできる。レシピがどうとか手作りだからいいというわけではないのだ。
つまり、食べることは人間関係を味わっている!!
わかりましたか?世のお父さん方(笑)
今朝は目覚めたときからすごく幸せだなぁと思ったけれど、一日に何度幸せだと思ったことだろう。
だって「僕が一番欲しかったもの」がリフレインしているんだもん。
ドライブ中にこれを聞いてボロ泣きしたことがあるのでうかつに聞けないのだけれど(笑)
では今日もいい日でした。
「たとえば「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」と言う。便利なだけに手垢にまみれ、もはや中身はからっぽの感が強い。」
ぎょっとした
今年の3月10日、東京大空襲の日の「天声人語」である。
確かに現実はそのとおりなのだが、新聞にここまで書かれたことがショックだった
数字の羅列に敏感な私、今日、12月8日は言わずと知れた「太平洋戦争開戦記念日」。
これを覚えたのは中学2年のときだ。
その年の12月8日は日曜日、師走ロードレース大会の当日だった
スタート前で緊張していたはずなのにやけに思考がクリアで、大会委員長の挨拶までしっかり記憶している。
その中にあった真珠湾攻撃のことがなぜか心を掴んで離れなかったのだ。
体が冷えないように気をつかいながらも、1941(昭和16)年の今日を想像し、そんな日があったから今があるんだなぁ・・・とこれから数キロ走ることが不思議でたまらなかった。
同時になんと平和な世の中だろうと思った。
無心で走った大会は気が付いてみると中学の部で優勝していた。
次に、高校1年生の国語の授業の冒頭、「今日、12月8日は何の日でしょう
」と先生が質問した。
そのとき私が答えたのは「ジョン・レノンの命日」。
前の席の育子ちゃんは「針供養の日」。
多感な時代に覚えた雑学というのは結構忘れないものだ
今日の「天声人語」には、
先の「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」に加え、「平和の大切さ」について、
「この手の紋切り型は納まりがよく、人を分かったような気にさせる。一方でものごとを抽象化し、どこか他人事のように遠ざける。往々にして、そこから先の問題意識と想像力を封じてしまう」とあった。
そして小林秀雄さんが能について述べている〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉という一節から、「『大切な命』がある。『命の大切さ』という様なものはない」と。
「みんな~同じ生きているから~、一人に一つずつ、大切な~命~
」と思わず口ずさんでしまった。
この歌、住友生命のCMソングとばかり思っていたが、オリジナルは80年に収録された、イルカの「まあるいいのち」。
時代を超えて愛される珠玉の名曲である
さて、先日、同期に赤ちゃんが産まれた
彼女には妊娠中に原因と結果の法則の中で登場してもらっている。
そう、その男の子である。
あのとき彼女のお母さんは「女の子がよかったのに・・・」なんて言っていたようだけれど、今は毎日孫の顔を見にきているそうだ。
それはそうでしょう、こんなに可愛いんだもん

私も産まれてすぐに病院にかけつけた。
この純粋無垢な寝顔、どうかけがれを知らぬままにすくすくと育って欲しい。
親でなくとも願ってしまう。
赤ちゃんが誕生することの奇跡を肌で感じたくて、面会の間中抱かせてもらった。
小さくて、あったかくて、幸せそのもの。
赤ちゃんは希望だ
抱きながら、「君はあの世で『頑張ってこい』と送り出され、このお母さんとお父さんを選んで、『えいっ』とこの世に産まれてきたんだね」と思わず話しかけてしまった。
普通なら「何言ってるの」と言われそうなところを、彼女は
「うん、そう思った。頑張って出てきたんだなって」
出産を経験して自然にそう思ったらしい
「偶然はひとつもない。無意味なことはひとつもない」。
鈴木秀子さんの
「愛と癒しのコミュニオン」をまた手に取る。
紹介してもらってからというもの、「大宇宙に聞く」と「おわりに」は繰り返し読んでいる。(教えてくれてありがとうございます
)
「私たちは、あの世からこの世に来る時、人生を完了するまで自分の歩む道を書いた設計図を持ってくるといわれる。
・・・
私が翻訳した『死んで私か体験したこと』という本がある。ベティー・イーディーというネイティブ・アメリカンの女性が、自分の臨死体験を綴り、アメリカでベストセラーになった本だ。彼女は大手術の末、臨終を迎え、四時間以上も霊安室に置かれた。その間に彼女は、高みに上がっていき、さまざまな出会いを体験するが、その一つが、これから生まれる人との出会いだった。
その人は、気をもみながら下界を見ていた。ベティーが「何をしているんですか?」とたずねると、「私は、あの男性とあの女性の間に生まれようと思うんですが、二人がなかなか出会ってくれないので・・・」と答えたというのである。こうした光景を見て、彼女は、人はあの世からこの世にくるとき、すでにどんな人生を歩むのか設計図を持っていることを確信する。
・・・
人はそれぞれ『自分らしく成長する』ためにこの世に生まれてくる。自らの魂を磨くために、それが喜びであれ、苦しみであれ、必要な出来事を、自分で自分に引き寄せる。
つまり、自分に起こることがどんなことでも、自分の益になるように、自分で選択して、引き起こしているのである。
・・・
人は、成長するためにこの世に生まれてくるのである。人間にとって成長とは、愛に生きる力を伸ばすことだ。しかし、成長するには苦しみが必要なのだ。だから、”自分であの苦しみを通って成長しよう”という計画を、事前に自分自身で用意するという。
それはつらい計画かもしれない。しかし、それがあなたのこの世でいちばんいい計画なのだ。だから、その計画を捨てようともがいて、あらかじめ自分で選択した苦しみを通り過ぎなければ、人生は完了しないのだ。」
この箇所を読んだとき、「あぁ、やっぱりそうなんだ~」と思った
昔から親とよくしてきた、人間の生と死や生きがいについての話からしても「やっぱり」な内容である上、私はこの両親の子供でよかったと思うにつけ、この道は自分で選んできた道なんだと納得する「やっぱり
」なのである。
もう、2週間前になる
高野山で鈴木秀子さんにお会いしたことを昨日のことのように何度も思い出していた。
「この世で起こることに偶然はない。すべては必然である。起こることには、すべて意味があり、無意味になることはない。人生に無駄はない。」
実はさっき、仕事帰りにスポーツジムに行ってきたのだが、帰り際カウンターにたまたま2枚だけ他のお客さんのカード置いてあった。
どなたか存じないが、上にあったその名前はなんと「鈴木秀子」だった
もちろん漢字まで一緒。
「嘘でしょ」
一人でニヤリとしてしまった。
・・・それにしても、今日もネタが飛ぶ飛ぶ(笑)
そこで最後に、今日の「編集手帳」より、笑えない話。
「議会が力を失い、外交が大局観を失い、言論機関が言葉を失ったときに何が起きるか、歴史に学ぶ上で8月15日とともに、それ以上に忘れてはならない日である。
真珠湾はどこにあるか、と問われ、「三重県」と答える若い人もいると聞く。」
確かにミキモト真珠島は三重県鳥羽市にある・・・
けれど、あまりにこれって平和すぎやしませんか・・・

ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より 石川拓治訳
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように。
痛みが静まることを乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように。
人生という戦場で味方をさがすのではなく、自分自身の力を見いだせますように。
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、自由を勝ち取る為に耐える心を願えますように。
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。
Let me not pray to be sheltered from dangers
but to be fearless in facing them.
Let me not beg for the stilling of my pain
but for the heart to conquer it.
Let me not look for allies in life's battlefield
but to my own strength.
Let me not crave in anxious fear to be saved
but hope for the patience to win my freedom.
Grant me thatImay not be a coward,
feeling your mercy in my success alone;
but let me find the grasp of your hand in my failure.
石川拓治著「奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録」の冒頭である。
木村秋則さんの顔は一度見れば忘れることができない。
書店で手に取ったとき、こんな屈託なく笑う人っているんだ、と感激した。
若いうちは美人だとか可愛いとかカッコいいとか、およそ親からの遺伝子で評価されるが、年をとればとるほどその人がどんな人生をいきたか、それが如実に現れるのが顔の表情である。
そしてこの歯抜け。
なんで歯がないんですかと人に聞かれると、「私はリンゴの葉と、自分の歯を引き替えにしたんです」ということにしているそうだ。
ここまで言えるのは相当な苦労があったからというのは推測できるが、それすら魅力のひとつと感じさせる。
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で、青森のリンゴ農家・木村秋則さんが紹介されたのは2006年12月7日のこと。
ちょうど三年前である。
ご存知のとおり、放送後は異例の大反響を呼んだ。
しかし私は見逃してしまう。
それにも関らず、50冊近い積読本の中から抜きん出て私に読みたいと思わせたのは木村さんの笑顔の力に違いない。
「死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのことに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ」
「何も出来ないと思っていたのは、何も見ていなかったからだ。
目に見える部分ばかりに気を取られて、目に見えないものを見る努力を忘れていた」
「リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。
周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。
人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている」
「木村はこのことを今も深く後悔している。
木村が声をかけずにすませたリンゴの木は、一本残らず枯れてしまっていたのだ」
何度も胸が熱くなり、涙があふれそうになりながら読む中で、私はガイアシンフォニーのことを思った。
同時に、岩木山のふもとが舞台ということから佐藤初女さんのことを思った。
この本の著者である石川さんは初めて木村さんのりんごに齧り付いたときのことをこう表現いている。
「一口頬張った瞬間に、大げさではなく、自分の全身の細胞が喜んでいるような感じがした。「これだ!これだ!これだ!」
・・・もちろん、そのリンゴは、その要素もひっくるめて美味しかったのだけれど、それ以上の何かがリンゴには満ちていた。その何かを言葉で説明するのは難しい。
無理矢理言葉にするなら、生命とでも表現するしかないもの。
あるいは、この世に生きる喜びのエッセンスというべき何かが、そのリンゴには充満していた」
地球交響曲第二番 予告
やはり木村さんと佐藤さんは同じにおいがする。
第二番はまだ見たことがないけれど、本で読んだ彼女もまた、ターシャ・テューダー同様、私のあこがれるおばあちゃんなのだ。
そんなことを考えていたら、龍村仁監督の奥さんが運営するブログ「ガイア・カフェ」に二人のことがアップされた!
やはり同じような波動の人たち同士、引き合うものなのだろう。
「奇跡のリンゴ」をまだ読んでいない人は、ぜひこの本で確かめてほしい。
なぜ木村さんのリンゴは奇跡なのか、なぜ木村さんの畑は箱舟なのか。
そうすればこのブログの題名の意味がわかってもらえる。
この本を読み終えて思い出した言葉がある。
「悪の葉っぱに斧を向ける人は千人いても、
根っこに斧を向ける者はひとりしかいない」
これは「ウォールデン 森の生活」の作者・ヘンリー・デイヴィッド・ソローの言葉である。
なぜこれを思い出したかについて詳しく書くことは、無農薬栽培実現の核心に触れるのでやめておくが、木村さんの成功がまさしく「7つの習慣―成功には原則があった!」の「インサイド・アウト」そのままであったということだ。
「生活の中で大きな変革を遂げようとすれば、行動や態度という「葉っぱ」に心を奪われることなく、その行動や態度の源であるパラダイムという「根っこ」に働きかけなければならない。」
余談だが、ヘンリー・ソローは私と同じ誕生日だ。
そしてあこがれの人、ターシャ・テューダーが信条としているのもソローの言葉だったと知ったときは感激した。
「わたしは心から満足しています。犬や山羊や鳥たちと一緒にここへ住み続けること。それ以外に何の望みもありません。自分ではまずまずの人生を生きてきたと思いますが、人に伝えたいメッセージなどありません。
もしわたしに人生哲学のようなものがあるとすれば、それを一番よく表しているのはソローの次の言葉です。『自信をもって自分の夢へ向かって進み、自分が思い描いたような人生を生きるように努力すれば、予想外の成功がえられるだろう』
これがわたしの信条です。これは真実です。わたしの人生はこの言葉に集約されます。」
さて、これは家の庭のブロッコリー。
冬の食卓に彩りを添えてくれます。
もちろん無農薬です。
木村さんがりんごに酢をかけているのと同じ意味で木酢液のみ使っています。
芯まで甘くて美味しいです。
一方これは我が家のりんごの木。
正確にはりんごのなる木。
この時期、すっかり落葉してしまった庭木にりんごをさしておくと、えさがなくて困っている冬鳥たちがどこからともなくやってきてついばんでいきます。
その姿がとても愛らしく、部屋からそっと眺めるのが冬の楽しみの一つでもあります。
久しぶりにすがすがしい気持ちにさせてくれる「奇跡のりんご」との出会いでありました

すごいの見つけちゃいました

「王の証 ツタンカーメン寝袋 -ファラオの寝心地-」
強烈なインパクトを放つ、ツタンカーメンの寝袋

ふわふわ温かくて、キャンプに、残業に大活躍まちがいなし。
3000年の眠りをあなたに・・・

顔の部分は取り外し可能な枕に。
ファスナーで開閉する仕様です。
持ち運びに便利な収納用巾着がついています

あなたも王様気分の楽しい一夜を過ごしてみませんか

みたい、みたい
楽しい一夜、過ごしてみたい
これもある種のシンクロニシティか

カラーバス効果かな。
というのも今週の日曜日、トリノ・エジプト展でミイラを見たから

中でも、カラフルに装飾された人型棺が印象的でした。
古代エジプトでは、「人は誰でも死んでオシリス神となって、死後に再生・復活する」というオシリス信仰から、遺体を保存するミイラ作りが広く実施され、手厚く埋葬された。
もともとエジプトにはさほど興味はなかったのだが、
今年の春に友達が「アルケミスト」を貸してくれたこと、
夏休みに上海の友達からエジプト旅行に誘われこと(行けなかったけれど・・・)、
シルバーウィークにパリのコンコルド広場で初めて本物のオベリスクを見て感激したこと、
帰りの飛行機で見た「天使と悪魔」にはイタリアの、「ナイトミュージアム2」にはワシントンDCのオベリスクも登場、
などと偶然が重なる中、この度は宮城県美術館へのお誘いを受けたというわけである

・・・若干、無理ある
(笑)
(シャンゼリゼ通りから撮影したコンコルド広場のオベリスク。頭が切れちゃいました
)〔トリノ・エジプト展の展覧会概要より〕
近代イタリア統一後の最初の首都となり、冬季オリンピックの開催でも知られるイタリア北西部の都市トリノ――。ここに、ロンドンの大英博物館やパリのルーブル美術館などと比肩する世界屈指のエジプトコレクションがあることをご存じでしょうか。トリノ・エジプト博物館は19世紀、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのエジプト総領事となった外交官でエジプト学者のベルナルディーノ・ドロヴェッティの収集品を中心に創設されました。本展では、同博物館のコレクションを初めて日本で紹介いたします。大型彫像やミイラ、彩色木棺、パピルス文書、ステラ(石碑)など選りすぐりの約120点が一堂に会します。2メートル級の大型彫像や、死を超えて生き続けようとしたエジプトの人々の生活と祈りの造形の数々をお楽しみください。
12月20日(日)まで開催です。
休日は駐車場も満車など、結構混んでいますのでお早めにどうぞ
さて、毎日眠すぎて早起き習慣を取り戻さなくては、と言っていたのは半月前のこと。
今週はなぜかまだ暗いうちに目が覚めてしまいます
たぶん午前4時くらいにレム睡眠状態になり、そのときあまりに血圧が低く、体も冷えているため防衛本能が働いて一度立たせるような仕組みになっているのかもしれません。
そこで寒いからといってウダウダしていても絶対眠れないので一度立つとまた少し眠れます。
そのときふと時計をみると午前4時20分、なんと5日連続で同じ時刻
こ、こわい・・・
もしや何かが通る時刻
やはりここはファラオの力で追い払い、ミイラのようにぐっすり眠るが必至か
(笑)
こうして目覚ましがなる前に起きてしまった今朝は、今月の目標の一つ、「机の上の積読本の解消」のため、現場検証をしてみた
ジャンルごとに、分けていくと、
返却期限の関係で至急読むべき本:9冊
お金に関する本:9冊
友達から借りている本:9冊
山や自然の本:4冊
ビジネス書:6冊
小説や詩など心で読む本:9冊
全部今すぐにでも読みたい本なのに、46冊もあるではないか
それでなくても今朝はお気に入りの本を繰り返し読んでしまったというのに・・・。
この目標を今年中達成は無理ですね、あっさり
私は速読術もフォトリーディングもしていないので、優先順位をつけて読むことにします。
くしくも今朝のネットニュースで速読術は、どれくらいすごいのかという記事を見つけました。
ちょっと面白かった
やはり速読は万能ではないらしい。
泣ける本はじっくり浸って読みましょう
私なんかすぐその世界に引き込まれてフィクションも本気にしてしまいます。
それにしても、沢木耕太郎著「深夜特急」が実験課題だったとは・・・。
これまた偶然
今日1巻から6巻までどうしたものか積んだところだからだ。
偶然は大いなる必然である
こわい、こわい
ではみなさま、よい週末をお過ごしくださいね。
(このブログ、最近文字の大きさが安定しないんです。何で~
大きかったり、小さかったり、読みにくくてごめんなさい。
右のモジュールで調整できますのでよろしくお願いします
)

昨日から月が気になっていました。
まぁるい、まぁるい、まんまるい~、やはり今宵は満月でしたね
満月にはお金に関するいい気が出るそうです。
満ちる=お金が貯まる
一方、満月から2週間のサイクルで訪れる新月にはお願い事をかなえる強いパワーがあふれるそうです。
特にその月の星座のテーマに沿ったものなら大きな効果が期待できるとか
例えば先月17日のさそり座の新月なら、ソウルメイト、セクシャリティ、信頼、探求心、洞察力に関すること。
毎日読んでいる和田裕美さんのブログには、毎月新月情報がアップされるので気になり始めたところです。
よさげなことは何でもやってみる主義
みなさんもお試しくださ~い。
さて、先日、
「ターシャ・テューダー最後のことば ラスト・インタビュー『人生の冬が来たら』」を買いました。
FP1級試験合格のご褒美として。(正確には、発表前だったので、合格見込み祝いとして)
「これまで試験勉強よく頑張りました。周りのみんなに感謝しましょう。来年もよろしくね。」
というメッセージがアマゾンから届いたときは、ちょっと恥ずかしくなってしまいましたが。
こんな感じで資格試験が終わってからというもの、じゃんじゃん自分にご褒美をあげています
これまで出来なかった長期旅行、週末のお出かけ、ショッピング、お酒、好きな本、レンタルDVD、お菓子作り、きのこ採り、音楽編集など、気の向くままに好きなだけやってもいいという自由さ、こんな素敵なことはありません。
中でも、勉強中ほっておいた、「女らしさ
」については、取り戻すこと急務。
髪の毛から足先まで美しくなるように、日夜努力中・・・(のつもり(笑))
その成果が現れてきたのか、行きつけの美容院では、「今日は一段とキラキラしてますね」といってもらえた。
ついに昨日は20~24歳に間違え(
)られた。
化粧品のカウンセリングでお肌診断を頼んだら、「20~24歳のゾーンでよろしかったでしょうか」といわれ、正直に言ったところ、「え~っ、絶対この年齢だと思いました。それかもうちょっと下かなぁって。若く見えますね」
おいおい、いくらなんだって10代は無いだろ・・・一気にトーンダウン
でもすかさず「いつもそう言われるですよ~」と返しておいたのは言うまでもない
どう見えるかよりも中身が大事、実際のお肌はというと、ハリ、水分、透明感ともにバッチリでした。
この調子でいい女目指します
昼休みは、勝間和代さんの
「目立つ力」(小学館101新書49)を読みました。
簡単なので30分から1時間くらいでさらさらっと流せます。
これは題名と違って目立つことに焦点を置いた本ではなく、ブログやツイッターの活用術です。
インターネットでの自己表現に興味はあれどもまだ踏み出せていない人にとってはいい本かもしれませんが、残念ながら私には響きませんでした
勝間さんの本はほとんど図書館から借りて読みましたが、唯一買った「起きていることはすべて正しい」が一番お気に入りです。
しかしせっかく時間を費やして読んだのだから、以前から気になっていた自分の中でのブログの位置づけについて再考したいと思います。
気になっていたこととは、ずばり、ブログは時間食いだということです。
記事としての体裁やまとまりを意識するあまり、気づけば何時間も・・・なんてことがしばしば
アフィリエイトで副収入を狙っているならいざ知らず、頭のトレーニング程度に細く長く続けていけばいいものを・・・。
その結果、先月のようにネタがたくさんあるほど、億劫になるという事態が起きてしまいます。
そこで今後は以下に注意して簡潔に文章をまとめる練習をしていきます。
・本文の文字数を1,400~1,600字にすること。(私の場合、喋る代わりに書いているので、すっきりするのは3,000字くらいなのだけれど(笑)、読んでくださる方の貴重な時間までたくさん使わせてしまいますもんね。)
・ネタを詰め込まないこと。(あれこれと頭に浮かんでは全部喋りたくなる気持ちをぐっとこらえます。といいつつ今日も話は飛ぶ飛ぶ(笑))
・装飾と画像処理に懲りすぎないこと。(これが意外に時間がかかります。装飾を一切しないというのも考えてみます。でもつまらないかなぁ
)
・1時間以内に書き上げること。(それには書き始める前に大まかな内容を組み立てておくことでしょう。マインドマップを使うって手をもありますね。)
10歳のときのことですが、山形駅から仙台駅までの約100キロを3日間かけて歩きました。
そのときの作文は原稿用紙に200枚近く書いています
これは今となっては自慢ですが(笑)、その当時「小学4年生」という雑誌から取材を受けて、特集記事が組まれたこともあります。
だから何だって話ですが、昔から長く書くのは得意なんです。
ところが長く書いた文章を字数以内に削っていくという作業は思った以上に大変で、先日はそれで大失敗いたしました。
せっかくブログを書いているので、普段から字数を気にして簡潔に書くという訓練をしたいと思います
さて、ここまでで何字でしょうか
・・・2000字
初日からオーバーです(笑)
それでもこのブログを読んでくださるあなたが好きです
また明日からもお付き合いくださいね。
今日から電気毛布を出しました。
最近は朝方寒くて体が冷えるせいか、4時に目覚めてしまっていました。
これでぐっすり眠れるといいな。
おやすみなさい

今日から12月。
師走と聞くだけでせわしなく、走り抜ける風の冷たさを感じますね。
お久しぶりです、aroma@CFP(R)です。
半月ぶりの更新です。
ブログを始めたころは毎日更新を目標にしていたのに、寒さとともに指の動きも鈍くなり(むしろ頭の方か・・・)、本も読みっぱなし、講演も聞きっぱなし、というインプット中心の生活になっています。
もう一つ、こちらも半月ぶりにスポーツジムへ行きました。
エアロバイクとステップマシンで一汗かいたあと、40分くらい泳いできました。体力はたいして落ちていないと思いますが、夜は速攻で眠気が襲ってきました。
部活帰りの中学生か
そうじゃないんです。理由はこれ、「純米ひやおろし 鍋島」

帰宅したら宅配便がドドーン
早速開けてニヤリ
冷酒の辛口、まさしく飲兵衛から飲兵衛へのプレゼント。
飲みやすくて美味いのは言うまでもないが、CFPと1級FP技能士の合格祝いだなんて・・・ずっと見ていてくれたんだもんなぁ。
偶然にも家族にとっての大事な日でもあったので、グッドタイミング。いつもさすがなダチなのである。
ありがたくてまたジーンと涙が・・・、私ってホント幸せものだ。
そうそう、今日からテンプレートをクリスマスバージョンにしました。
私には一足先にサンタクロースが来ちゃったけどね。一升瓶を携えて・・・
さて、ネタはたくさんあれどもブログ更新が全く追いつかなかった11月のテーマは、目の前にあることに「集中する」、でした。
例えば、
山に行ったら落ち葉の感触を足の裏に感じながら一歩一歩踏みしめる。
暮れゆく秋の風を全身で浴びる。
初めての土地ではその場所の空気を一身にまとう。
食事のときは今食べているものを心から味わう。
誰かと行動するときは一緒に過ごせる時間を楽しむ。
相手の話や心に耳を傾けてしっかり聴く。
運動するときは頭をからっぽにして汗をかく。・・・
一言でいうと、「今」を楽しむ。「あるがまま」に感じる。
私の好きな日々是好日を刹那的にも大切にしたい。思考ではなく感覚や身体を大事にしたい。
さて、結果はというと、これがなかなか難しい。
新しい本を読んでいるのにそういえばあれにはこんなことが書いてあったなぁとすぐに脱線する、
せっかく講演を聞いているのに原稿の締め切りが心配になってスケジュールを確認する、
運動しながら日中あった出来事を思い起こしてしまう、
すばらしい芸術作品を見ているのに他のことが気になって説明が頭に入ってこない、などなど。
いずれも日常的によくあることだけど、「集中する」って意外と大変でした
でもひとつだけ、一心になって集中したことがあります。
それは神社やお寺で手を合わせてお願い事をするとき。
邪念が多い私でもさすがにこのときだけは真剣です
なんたって、この一月行ったのは、塩竃神社でしょ、湯殿山神社に羽黒山神社、鳥海月山両所宮、そしてそして、法隆寺、高野山奥の院、高野山金剛峯寺、伊勢神宮。
何か信仰を持っているわけでもないのに、どうして今年はこんなにご縁があるんでしょう。
ふだんは山に登るときに、土地神様にお願いしますと手を合わせるくらいなのに、ホント不・思・議
でも単純に好きなんだと思います。
神社の凛とした静寂さ、お寺の包み込むような柔らかさ。
どちらも独特の空気感なのにたまらなく心地いいんですもの
しかし伊勢神宮は一味違っていました。
道路もずっと駐車場まで渋滞、天照大神では並んで順番待ち。

こんな時代だから神社は人気なのかなぁと思ったけれど、お伊勢さまにしたら、きっと昔も今も変わらない風景なのかもしれないね。
毎日大勢の人たちが、それぞれの思いを胸に伊勢にやってきます。
そして手をあわせて一心にお願い事をします。
ある人は就職できますように、ある人は大学に合格しますように、ある人は彼女ができますように、ある人は背が高くなりますように、ある人は結婚ができますように、ある人は宝くじが当たりますように、・・・
「春めくや 人それぞれの 伊勢まいり」
こんな句を思い出しました。
現象は同じでも内実は違うということです。
他人のお願い事を聞いて、もしかしたらそんなのたいしたことないじゃん、なんて思うかもしれない。
でもその人にとっては死ぬか生きるかの切実な悩みからくるお願い事かもしれない。
そんな風に想像できたほうが人に優しくなれるし、豊かだと思います。
そのことを一番よく知っているのが神様仏様なんでしょうね。
仏教では「聴く」能力だけで六道を超えられると言います。
それほど聴くことの功徳は大きいわけです。
この句は読み人知らずですが、「春めく」って何だかワクワクする表現ですよね
春めくだけで、何かいいことが起こりそうなほのかな確信と大きな期待が感じられます。
やはり日本人にとっては、特に寒い地域に住む人にとっては春は待ち焦がれる季節です。
これから本格的な冬を迎えるというのに似つかわしくない
そうかもしれません。
でも伊勢神宮を参った私の心はそれを憂う気持ちよりも、むしろ小春日和のような温かなものでした
やはり、人それぞれの伊勢まいり、というわけです。
匂い立つ春を夢見て、一冬元気に過ごしましょう。
今日もいい日でした。
おやすみなさい

日本ファイナンシャル・プランナーズ協会から、何やら筒が届いた。
「技能検定合格証 在中」
9月13日に受けた1級ファイナンシャル・プランニング技能士試験の結果がやっと出たのだ
2ヶ月前が随分昔に感じられる。
おぉ、ついにここまで来たか
合格証を手に取ると実感が沸く。
検定職種 ファイナンシャル・プランニング(資産設計提案業務)
技能士の名称 1級ファイナンシャル・プランニング技能士
資産設計提案
私そんな試験を受けてたんだ。
私が教えて欲しいくらいなのに
これで本当にファイナンシャル・プランナーに関する試験は全て終わりなんだね
この試験を受けようと決心してから丸3年。
その間いろいろありすぎて飲まずには語れない
ただ、もしもこのチャレンジを素通りして今の年齢になった自分は、自分のことを好きだと言えただろうか、と思った。
他人のせいにすることなく、今ある自分はこれまで自分が選択してきた結果であると胸を張って受け入れることができるだろうか。
無条件に与えられる本当の優しさがあることに気づけただろうか。
あえて聞かない心遣いを知ることはできただろうか。
人生には自分の力ではどうしようもならないことがたくさんあると納得することはできだろうか。
今以上に自分自身のことを理解することができただろうか。
・・・おそらく答えはNO
辛くても頑張って、無理しすぎて落ち込んで、自分のことを大嫌いになって、自分は何のためにいるんだろうと悩みまくって・・・、そんな時代があったからこそ、人はそれぞれにいろんなものを抱えて生きていることを知った。
ちょうどこのエピソードのように
「ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。
そこに、一人の男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎだし、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。 しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。
私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることがはできないでしょうか」と言ってみた。
彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事した。
「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと……。病院から出て来たところなんです。一時間ほど前に妻が……、あの子たちの母親が亡くなったものですあら、いったいどうすればいいのか……。子供たちも混乱しているみたいで……」
その瞬間私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして違って行動した。今までのいりいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心のその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」
一瞬にして、すべてが変わった。」
(スティーブン・R・コヴィー著「七つの習慣」インサイド・アウトより)
読んだのは3月だが、何度も思い出してしまう好きなエピソードの一つである
いつもニコニコしている人が気楽な生活を送っているとは言い切れない。
今困っていることを話してくれたとしても、心の底ではもっと深い悩みを抱えていて、会話はカムフラージュでしかないかもしれない。
本当の意味で他人を理解するなどできるのだろうか・・・
それでも、私はいつも思うのだ
その人の気持ちや置かれている環境を想像することくらいはできるのではないか、と。
そして縁があって出会った相手、自分ができることが何か一つでもあるのであれば、力になりたい、と。
これは私が本当に悩んでいるときに心ある人たちから教えてもらったことである
昨日はファイナンシャルプランナーの無料相談会があった。初めて相談員をさせてもらったのは7月のこと、今回は2度目である
うなずいて真剣に聴くだけに徹した以外、正直、私が資産運用についてお答えできる場面はなかった
しかし、帰り際、相談者の方が受付に立ち寄って、まるでつき物が取れたかのようにすっきりした表情で、「相談してよかった
」と喜んで話していたそうである。
きっとその方は自分のモヤモヤとした思いを誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
この日は遠方から同級生が来ており、案の定、痛飲してしまったが、久しぶりあっても全く違和感なく本当に楽しい時間だった
この三年間、プレッシャーにならない温かい励ましを送り続けてくれた友達だ。近況を語りあい、酔うと一人で喋って一人で笑う私に遅くまで付き合ってくれた。
夜は帰ってからありがたすぎて布団に入ってまた泣けてきちゃった
キャラじゃなくて書いてて恥ずかしいけど、本当に嬉しかったんだ。
ダニエル・レビンソンの
「ライフサイクルの心理学」によれば、この3年間はちょうど危機ともいうべき「過渡期」の年齢で、その時期はきわめて重要なのだそうだ。
(本は読んでないけど、いただいたマインドマップがすごく分かりやすかったので、時々見返しています
)
なんて話をしながら、私が思うに、今の年齢までにやっておくべきことが一つだけあるとすれば、おそらくそれは「自分を好きになる」ということなんじゃないだろうか
「許すことを覚える」「全てに感謝する」・・・いろいろ考えたけれど、それはのちの楽しみに取っておいて、たぶん、今の自分が好きであるということが、これから始まる「一家を構える」時期の前提なのかもしれない。
今日は、朝から大荒れの天気
にもかかわらず昼からカッパを着てきのこ採りへ。
飛ばされそうになりながら、天然のナメコとムキタケをゲット~
だって、こういう自分が好きなんだからしょうがないのだ。
・・・また「成功とは何か
」について考えていた。
「成功の9ステップ」、「非常識な成功法則」など、今年からビジネス書を読み始めて真っ先に抱いた疑問である。
元は、ただ成功した人生と、幸せな人生というのは違う気がしてならないというところからだった。
「成功=幸せ」、それとも「成功≠幸せ」
たぶん幸せって、自分がいたことで誰かが幸せだと感じてくれたり、自分と出会ってよかったなと思ってくれたりすることなんじゃないかなぁ・・・
そういう一生を送れたら、成功した人生といえるんじゃないかなぁ・・・
今、「成功とは何か」という疑問に対する答えとして、今の私に最もしっくりくるのは、
たった一人でもいい、私と出会えて楽になったといってくれる人がいること。
そう思う
改めてファイナンシャルプランナーの試験が全て終わりました。
これも応援してくださった皆さんのお蔭です。
本当にありがとうございました
まだ長い旅の途上ですが、これからも与えられた機会に感謝してチャレンジしつづけます
そしていつかお互いに「成功した人生だったね」と笑い合える日がくるよう、祈っています
こんばんは、aroma@CFP(R)です
なめこの季節になりました。
もちろんほんまもんです。
どこの山で収穫してきたかは秘密で~す

あまりに立派だったので、お世話になっている先生に送りました。
1つは味噌汁用に生のままで、もう1つは醤油と塩で煮てすぐ食べられるようにして。
ついでにヨーロッパ土産で取っておいたドイツのフランケンワインも

この形、ワインとは思えないですよね。
でもこれがフランケンワインの特徴
フランケンワインの大部分は、「ボックスボイテル」と呼ばれる昔ながらの緑色の袋状の瓶に詰められます。
ボックスボイテルとは、もともと「雄山羊のふぐり」という意味で、まさしくオスヤギをうしろから見ればこの瓶そっくりの形を眺めることができる・・・(下世話ですみません
)
ガイドさん曰く、「昔、フランケンでは、オスヤギだけにしかないある袋にワインを入れていたので、その名残で今でも瓶はその形」とのこと
ちなみにフランケンワインは文豪ゲーテがこよなく愛したお酒だそうで、落とすと床が抜けると言われるほど辛く、「男らしい」しっかりとした辛口がオススメだそうだ。
ドイツワインは日本ではあまり聞かないが、ドイツには13のワイン生産地があり、ラインヘッセン、ラインガウのライン川周辺が有名で、ヴュルツブルクやローテンブルクのあるフランケンも生産量は少ないながらも質のいいワインの生産地として名高いらしい
といっても、実は私、飲んでないんです
買ってきた小さなフランケンワインは2本ともお土産にして渡してしまったので・・・
日本ではなかなか手に入らないとのこと。
ドイツに行かれた際は是非aromaまでお土産よろしくお願いします

今年遅めに植えたバジルが、ブロッコリーの邪魔をしだしたので、全部抜いてジェノベーゼソースを作りました
【冷凍保存のジェノベーゼの材料】
1.バジル(水で洗うとすぐに黒ずんで葉が痛むので、できればキッチンペーパーでふくだけにする)
2.赤穂の塩(天然塩がオススメ)
3.ニンニク(生を2、3カケほど。今回は自家製のニンニクを使用)
4.オリーブオイル
これらを全部ミキサーにかけて完成。分量は目分量、言ってしまえば適当で~す
これを冷凍しました。なんと、製氷器で

以前は、ジャムの瓶に詰めて冷凍していました。
しかし瓶だと使う分だけ解凍とはなかなかいかず、全部解凍すると空気がふれた先から黒ずんで痛んでしまうため、今回試しにキューブ型にしました。
ちょっと可愛い
しかも一人分のパスタに1個と丁度いいサイズ
もう一つ、近いうちにパスタやピザ、ジャガイモのソースに使ってしまおうという場合には・・・
【冷蔵ですぐ使うためのジェノベーゼ】
先の1~4に、
5.鷹の爪(1本では辛いので半分ほどちぎって)
6.粉チーズ
7.あらびきコショウ
8.あれば松の実(そんなものは買ってこないとないので、家にあったくるみを2個ほどトンカチで割って入れてみた)
を追加して全部ミキサーへ。
↓は現在庭で乾燥中のくるみたちです。先日収穫しました

出来上がったソースを容器に入れた後で、その上にオリーブオイルを足すと表面が黒くなるのを防げます
これを冷蔵庫に入れておけば数日
冷凍用には、粉チーズやナッツを入れない方が保存がきくので分けて作りました。
実際料理するときに味を見ながら入れたほうが美味しくできますし
早速お手製のジェノベーゼソースでパスタを作りました
我ながら美味しかったです
ご馳走さま

バジルはプランターでも簡単に作れてたくさん葉をつけます。
たぶん生では食べきれないほど茂るので保存方法は覚えておいたほうが得
冷凍以外に、乾燥させて保存する方法もありますが、せっかくのバジルの香りが逃げてしまうので、生のまま塩漬けにするか、このようにソースを作って冷凍するとずっと美味しくいただけます
本来、バジルはフレッシュトマトが出回る夏の野菜なので、夏の終わりに作るのがベスト
今年は遅めに植えたのと、雑多なことで忙しかったので、保存食作りがこんな時期にずれ込んでしまいました・・・
しかし、家では晩秋のこの時期に、まだ、トマトが鈴なりになっているんです。
これは昨日撮影しました

目指すは、トマト博士・野澤重雄さん
「トマトは心を持っている。私は、そのトマトの心にたずね、トマトに教わりながら、成長の手助けをしただけなんです。」
たった一粒のごく普通のトマトの種から、バイオテクノロジーも特殊肥料も一切使わず、一万三千個も実のなるトマトの巨木を作ってしまった野澤さん。
地球交響曲第一番 予告
私は毎日こんな生活をしています。
「幸せだなぁ」と心から思います
東京に転職すべきか悩んだこともありましたが、やはり私はこういう生活にこそ豊かさを感じるんですね。
白しめじも採ってきました

先日しめじがゴロゴロ入った炊き込みご飯をしたら、すごく美味しかったのでまた行ってきたというわけ。すごい立派
でも、これもどこの山かは内緒です・・・
なめこを送った先生からお礼の電話がありました。
休みの日は山に行き、神社を回ったりしていることなどを話たら、
「仏女もいいけど、これからまだまだいろいろあるから・・・」と半ば励まされ(?)、いろいろって何だ
と思いつつ、「一応現実にも生きてますよ」と今チャレンジしていることを話したところ、
「お金の勉強をする仏女のほうがある意味恐いなぁ・・・」と言われてしまいました。確かに(笑)
ということで、今日は小池龍之介著「煩悩リセット稽古帖」を読みました

青年僧侶が4コママンガで仏道を解く異色の1冊です。
三毒、カルマ、空・・・これを読みながらステップマシンで筋力トレーニングをしてきましたが、その行為だけでもう、自分はいかに煩悩だらけの人間かがよ~くわかりました
盛りだくさん過ぎてなんだか分からない日記になってしまいましたが、今日もいい日でした。
おやすみなさい
今朝は夢まで食欲の秋でした
テーブルいっぱいにフランスワイン、ビュッフェスタイルでドイツ料理とタイ料理、最後に幕の内弁当を食べていました。
たとえ夢でも、食べ物の夢は目覚めが幸せです。
このままめずらしく日記を書いています。
朝の方はクリエイティブな脳だからね。
おはようございます、aroma@CFP(R)です
「貯蓄から投資へ」といわれるようになって久しい。
これを政府がスローガンに掲げたのは2001年のこと。
小泉純一郎総理の「骨太の方針」の一つだった。
まだ学生だった私は、全くといっていいほど政治に興味はなかったし、当然お金もなかったので、貯蓄から投資ねぇ・・・、ふ~んという程度だった。
2003年からは、株と投資信託の売却益や配当金に対する税率を20%から10%に引き下げる証券優遇税制が実施された。
その政策が功を奏したのか、次第に周りでも証券会社に口座を開く人が増え、「貯蓄から投資へ」という空気は浸透し、まもなく投資ブームがやってきた。
それでも私にとっては、株の話をするのは一部の賢い人だけ、その世界を知らない自分は全く話についていけないし、投資するだけのお金があってこそだから自分には無関係と通りすぎてきた
働き始めて数年が経過したある日、自分はいったいいくら持っているのだろうと給料振込み口座の残高を改めてみてみた。
すると、これまで旅行や買物に使いたいだけ使ってきたはずなのに、毎年ボーナス分くらいは丸々残金としてプールされていることが分かった。
そこで普通預金にただ置いておくこともないだろうと、初めて定期預金を持ったのだった。
おそらく、よほどの浪費家や借金返済に追われている人でなければ、サラリーマンなら年収の20パーセント程度を貯蓄に回すことはできるはずである。
逆に考えると、毎月の給料は全て綺麗に使っていることになり、いったいどこに消えるのか不思議でもあるが・・・
こうして定期預金を持ってみたものの利率はたったの0.6%、満期時に20%の源泉分離があるので、100万円預けたとしても利息はたったの4800円・・・。そんなお金、飲んだらすぐに飛んでいく
だったら利息を稼ぐより節約したほうがましか・・・。結局、労働ほど尊いものはない、ということか・・・
この時代、利息を稼ぐのは高が知れているので、自分もいよいよ投資を始めるしかない。
そこでファイナンシャルプランナーの勉強を始めたというわけである
それだけが理由ではないが、将来にわたってお金の運用知識は必要となる。だから今のうちに身に着けたかったのである。
散々調べて教材を決め、勉強への初期投資として当てるべき金額を試算した。
すると、収入から貯蓄に回る20パーセント以内に余裕で収まることがわかり、その約半分を自己投資に回したのである。
自己投資とはいい言葉だ。
運用のさまざまなリスクおよび定期預金の微々たる利息を考えても、勉強や読書をなどの自己投資に費やしたほうが、実は遥かにリターンが大きい
自分自身の成長という意味でも、キャリアアップ後の収入増という観点からも。
こうして、年収の10パーセント近くをファイナンシャルプランナーの試験勉強に費やすこと3年。受けられる試験は全て終えた。
途中で、国からの教育訓練制度も受け取った。
今年で40パーセント支給が終了するというぎりぎりの年にである。タイミングとしては偶然であったが、調べつくして利用したのである意味計画的だった。ちなみに今は20パーセントまでしか支給されない
次に、ファイナンシャルプランナーの勉強を始めてしばらして、実践のために証券会社に口座を開いてみた。
ほぼ同時に、手数料の安いネット証券と利便性を考えてネットバンキングも登録した。
これらは閉口するほど最初の手続きが面倒であったが、こうして残りの10パーセントを資産形成のための投資に回したわけである
本当にここ最近の話。
つまり、私のお金はこんな感じで分けている。
年収=生活費を含む自由なお金:80パーセント(給料振込口座とクレジットカードの引落し口座は一緒)+勉強などの自己投資の資金:10パーセント+資産形成のための投資資金:10パーセント(定期預金のある地銀・ネットバンキング・大手証券会社・ネット証券に分散)
ここまではいいとしよう。
しかし元の性格が慎重なので、決して投機に走るようなこともなく、証券会社で選ぶ商品はせいぜい外貨MMF。
もし私が401Kを持っていたとしても、間違いなくデフォルト商品の定期預金を選んでいるだろう
もちろん人生において何を一番大事にするかは人それぞれだから、定期預金が悪いわけでもないし、その人の性格も大いにあるし、金融商品自体も複雑であるし・・・。
結局、いくら金融の勉強してみても実際やってみなければ分かったとは言えず、やってみるまでのハードルは意外に高いのである。
そこでただいま重い腰をあげて、株と投資信託の本を読み漁っている。
現在、私の机にはお金に関する本が、1・2・3・・・・11冊も積んであるじゃないか
私に至ってはこんな状況のなか、政府のスローガンや優遇税制に触発されて、株や投資信託を購入した個人の多くは、ここ数年の株価上昇と急落を経て、含み損を抱えたリスク資産の塩漬けや、損切りを余儀なくされた
もう、「貯蓄から投資へ」の流れは完全に頓挫している。
日本銀行が6月17日に発表した2009年3月末の資金循環統計によると、家計の金融資産残高は1410兆円で、2年続けて減少。
このうち株式の構成比は5・6%、投資信託も含めたリスク資産全体でも8・9%にすぎず、直近のピークだった07年3月末の17・2%から半減したそうだ。
2003年に導入された証券優遇税制は、当初5年間の期間限定措置だったが、2度延長され11年度まで続く予定になっている。
この税率はファイナンシャルプランナーの試験には嫌と言うほど出てきたが、今更税率を10%から本来の20%に引き上げるとなると混乱しそうである
しかも株価低迷と重なれば容易に引き上げられないだろう。
ここはインデックスで毎月積み立て投資をするしかないか・・・。
最近、「サステナビリティ」という言葉をよく耳にする
オバマ大統領の掲げたグリーンニューディールなど、環境問題を考える上で最も重要なキーワードの1つである。
サステナビリティとは、sustainability、つまり「持続可能な」「ずっと保ち続けることができる」という意味だ。
何を保ち続ける
それはもちろん、社会と地球環境だ。
サステナビリティだけ聞くとよくわからないが、私の得意なあの言葉の一部でもあった。
「ロハス」
ロハスは、健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイルを意味する造語で、
ロ=Lifestyle of
ハ=Health and
ス=Sustainability
その「ス」なのである。ちょっと賢くなりました
これからはますます、よりよい社会、自然環境を保ち続けることを目指した取り組みが、企業にも求められてくる。
売れればいい、今がよければいい時代はとうに終わった。
一方消費者は、企業のエコへの取り組みや社会貢献、企業倫理を組んだ上で、その会社が作る商品なら・・・と購入を決めることができる。
これは立派な経済行動だ
投資の前に節約生活、おおいに結構だが、会社を育てるのも社会を作るのも我々の投票行動によって決まると言ってもいいすぎではない。
そういう観点で株や債券などの投資をするというのも、消費者の特権ではないだろうか
株価に一喜一憂することなく、長い目で企業を応援する
だっていい企業が生き残って、いい社会になって、将来を担う子供たちが安心して暮らせるなら、株がちょっと上がったなんて喜ぶよりもずっと有意義だと思う
何の商品を買うにしても、どの会社に投資するにしても、選ぶのは自分。
自分に一番あった選択肢をつかむことが、お金とうまくつきあっていく方法なのだと思う。
買い物をして、遊びにいって、お金を使って、そうしてリフレッシュしてまた明日の活力を見出す
これを「労働力の再生産」というが、ひいては、お金を豊かに賢く使うことが自分の魅力を増すことに繋がり、自分自身を磨くことにもなるという、私なりの経済の理解なのであった。
写真は先日行った里山の空です
では本日も天気がいいので山に行って、労働力の再生産を図ってきます。・・・まっ、山ではお金は一銭もいりませんが~








