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昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

日本人に感動!「その場で泣きたくなった・・」台湾人の観光客が経験した事

2016-02-24 05:19:42 | 日本の素晴らしさ
失くしたものが出てくる日本! という話はよく聞く。
しかし、日本に住まいする私達自身だって、遺失物が100%戻ってくる訳ではない。パチンコ屋で置き引きされたニュースもしばしば目にするくらいだ。
しかし、私もつい最近、東京旅行した時に八王子駅にタブレットを忘れたことがあった。乗り越し精算をしていて、そこに忘れたのだ。気が付いたのは、その日であったから連絡して無事に戻った。
いつぞやネットのニュースでみたのだが、ブラジルでは携帯電話を拾ったら”ラッキー”で、かけまくるらしい。
少なくとも、日本人には”ラッキー”の意識はない・・・・・


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【日本大好き】某国人親子が絶句した日本人にはわからない日本旅行の感動

2016-02-23 03:13:58 | 日本の素晴らしさ
後半に出てくる「日本政府の右翼的言動」には承服しかねるが、全体のトーンは日本を認めている。
例えば、ここで出てくるホテルのチェックアウト。どうも、中国人は室内備品の持ち出し(即ち窃盗)が平気らしい。しかも、それを異国で行う事は国の品位を貶めることにつながる・・・・・
私達が幼い時に比べ、今ははるかに外国人との接触が多い。
私たちが、そうである様に、そこで出会ったその国の人の言動が、その国のイメージとなりかねない。
心したい、ものである。


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有名運動家が肌の色で区別しない日本の帝国ホテルの対応に感動!!

2016-02-22 05:08:12 | 日本の素晴らしさ
白人の有色人種に対する優越感、蔑視感は我々の想像を超える。
今もなくなった訳ではないようだし、まして下記動画の時代はひどかった
ようだ。
帝国ホテルは日本を代表するホテルだが、それは施設が立派であるとか、歴史が旧いとかではない。
ここでは詳細は省くが、かっての東日本大震災の時も避難する人たちに”えっ、帝国ホテルが”と思える活動をしている。

有名運動家が肌の色で区別しない日本の帝国ホテルの対の対応に感動!!

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台湾が心から信頼できる国 日本【感動する話】

2016-02-21 04:02:50 | 日本の素晴らしさ
下記の動画で語られるのは1999年の台湾大地震の救助に向かった日本への賞賛である。
私たちは、かっての東日本大震災に寄せられた台湾の世界一の義援金を忘れていない。しかし、それは唐突に行われたのではなく、こうした両国間の長い間の信頼関係の元に行われたのが、よく分かる。

台湾が心から信頼できる国 日本【感動する話】

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【中国ネット】上海で見た日本の幼児の行動に衝撃!「何かで激しく削られた感じがした・・」

2016-02-20 03:23:59 | 日本の素晴らしさ
さて、逝きし世の面影で語られた旧き日本の素晴らしさを連載してきました。私自身は日本の素晴らしさを再認識すると同時に、日本人で良かったと心から思いました。
それでは今日からは”現代の日本”これが褒め称えられている事例をyoutubeから抽出してご紹介してみます。

最初の事例はいくつかのエピソードが語られているのですが、最後の逸話の舞台は上海です。物心つかない赤子とも言える中国人の子供がスーパーの陳列商品を崩してしまい、それを放置してしまった。
その後に来た日本人幼児が、それを直したというのです。


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「逝きし世の面影」渡辺京二・著:ブックレビュー/西村幸祐

2016-02-19 03:35:40 | 日本の素晴らしさ
昨日で終了した「逝きし世の面影」について、ブックレビューで西村幸祐氏が語っている動画があるので以下にご紹介いたします。
西村 幸祐(にしむら こうゆう、1952年(昭和27年) - )は、日本の作家、評論家。戦略情報研究所客員研究員。「報道ワイド日本」の金曜日「クリティーク」のキャスター。一般社団法人アジア自由民主連帯協議会副会長。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本13

2016-02-18 01:32:29 | 日本の素晴らしさ
「逝きし世の面影」を題材にした、このシリーズも今回で一度終了します。
紹介しきれない内容も多いので、是非ご一読をお薦めいたします。
さて、今回はこの本を離れてはおりますが、旧き日本の状況を知らしめる逸話をご紹介します。長い間のお付き合いありがとうございました。

ハインリッヒ・シュリーマンはトロイの発掘に取り掛かる少し前に、まだ江戸と呼ばれていた東京に来たそうだ。彼の訪日記はとても興味ある日本の分析をしていて、鋭い観察力、感性が感じられる。(シュリーマン旅行記 清国・日本 講談社学術文庫)

ここでは彼が示した役人の事を紹介したい。
『横浜に上陸して彼は二人の税関官吏に会う。彼らは深々とお辞儀をしてから(地面に届くほど頭を下げ、30秒もその姿勢を続けた。と書かれている)、荷物を吟味するから開けろと言う。荷解きをして拡げたら後が面倒だ。
よその国でそうしたように賂(まいない。ワイロ)の金を渡すと、彼らは怒って拒んだ(彼らは自分の胸を叩いて「ニッポン・ムスコ(日本男子?)と言ったとある)。
「我らの尊厳に悖る」と・・・・・彼らのプライドをいたく傷つけた。

仕返しにひどい嫌がらせをされるかと思ったが「形だけの検査で、大変好意的で親切な対応だった」と言っている。
この時代の官吏は・・・・そう、武士だった。だから潔癖さと誇りをもって振舞っていたのだ。』

日本は江戸時代は鎖国していたが、オランダとは交易があり、黒人が奴隷として売買されている事を知っており、オランダ人を軽蔑していた。
18世紀にスウェーデンの植物学者ツンベリーが来日し、「さざんか」をヨーロッパに紹介してるが、彼は日本にきてオランダ人の格好をしていたため、日本人から受ける視線が冷たいのに気付き困惑したという。
日本に出入りしたオランダ人を「日本人は憎悪した」と本国に報告している。
何故なら「彼らは奴隷売買をし、同じ人間を不当に扱っているからだ」と。
*この時代、有色人種が白人を蔑視するなど考えもしなかった驚きがあったらしい。
ツユンペリは、また日本の家族に着目し、「朝鮮では夫人は家に閉じ込められ奴隷状態にあるが、日本の夫人は夫と同席したり、自由に外出したりしていた」とも書いている。

幕末の頃も「奴隷制度を廃止しない連中は犬畜生」というのが書にあるそうだ。
明治5年にペルー船籍の奴隷船マリア・ルス号が日本に寄港した時、支那人奴隷が脱走し、助けを求めて来たため日本政府は保護し、支那人らを救助し、国際仲裁裁判で争い勝訴している。
日本には有史以来、制度としての奴隷制度はありませんから、伝統的に人種差別を嫌っていたわけです。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本12

2016-02-17 04:34:08 | 日本の素晴らしさ
しかし”性の放縦”に関する観察も又事欠かない。
ヴェルナー「日本にはそもそも欧米的な意味における無邪気さなどない。絵画、彫刻で示される猥褻な品物が、玩具としてどこの店にも堂々と飾られている。
これらの品物は父は娘に、母は息子に、そして兄は妹に買ってゆく。十歳の子どもでもすでに、ヨーロッパでは老貴婦人がほとんど知らないような性愛のすべての秘密となじみになっている」

ヴィシェスラフツォフ「本屋の三文小説の挿絵には、品位というものにまったく無頓着なものがあり、しかもそういう絵本を子どもが手にしていた。子どもらはそれが何の絵であるか熟知しているらしかった」

トロイ遺跡のシュリーマン「あらゆる年齢の女たちが淫らな絵を見ておおいに楽しんでいる」

再びヴィシェスラフツォフ「菓子職人が客の見ている前で柔らかくて甘いこね粉を丸め、われわれのところでは解剖学教室以外では見ることのできない例の形を作ってみせる」

ヒューブナー「砂絵で様々なものを描いた絵師が最後にエロティックな主題を描くのであった。それを見て婦人や少女は欣喜雀躍した」

サトウ「千住の手前の遊郭のある町では”まらの形をした子どもの駄菓子”が沢山売られていた」

当時の日本には性に対する”禁忌意識”が乏しかったのは確かなようだ。性に対するのどかな開放感といってもよい。
しかし、一方で徳川期の日本人は性を笑いの対象ととらえていた、との見方も強い。好意的に解釈すれば、それは人間性についてのリアリズムに基ずくある種の寛容と解釈する人もいる。

一方、遊郭(公娼宿)については私は見識を改めた。
私の拙い知識は寒村から売られた娘が、性を商売に自由も束縛され一生惨めな境遇を送り、場合によって疲労からくる労咳で命を落とす薄幸の場所であった(映画の見過ぎか・・・・)。

まず遊郭は”法律・お上が認めている”場所であって”みだらな隠れ家とも卑猥な出会いの場所”ともみなされておらず、身分の高い人がそこで友人をもてなすほどだ。
年季を了えた遊女は”恥ずかしめの目で見られることなく、ごく普通の結婚をする”のはよくある事だ。
以上は長崎の遊郭についてオランダ商館の医師ツュンベリの報告である。

パンペリー「遊郭で働く女はいつも下層階級出身で、貧困のため売られるのだが・・・・・・彼女たちは自分たちの身の上に何の責任もないので、同じ西欧の女性がもつどん底に引きずり込まれた汚辱がない。
これとは逆に、彼女たちは幼少時に年季を限って売られ、宿の主人は彼女たちに家庭教育の万般を教えるよう義務付けられているため、彼女たちはしばしば自分たちの出身階級に嫁入りする」

カッテンディーケ「彼女たちは祭礼中寺詣りを認められていることで分かるように”社会の除け者”扱いは受けていない。年季を勤め上げれば家庭にも入れる。彼女らはヨーロッパ概念での売春婦ではない」

ポンペ「彼女は25歳になると尊敬すべき婦人としてもとの社会に復帰する。彼女らが恵まれた結婚をすることが珍しくない」

「遊女屋は公認、公開されたものであるから、遊女は社会の軽蔑の対象にならない」
彼女らは貧しい親を救うために子どもの頃売られるので「子どもは両親の家を喜んで出てゆく。美味しい物が食べられるし美しい着物が着られ、楽しい生活ができる寮制の学校にでも入るような気持ちで遊女屋に行く」

「この親子は自分たちを運命の犠牲者として考えているのである。両親は遊女屋に自分の子を訪問し、逆に娘たちは外出日に両親のいる住まいに行くのを最上の楽しみにしている。娘が病気にかかると、母親はすぐに看護に来て彼女を慰める」
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本11

2016-02-16 01:00:34 | 日本の素晴らしさ
さてこれからは私自身がこれらの書物を通して得た考えだ。
混浴が彼らの問題になった時代、日本の習慣・常識はそれとは乖離していた。
この時代、日本には裸体が恥ずべき物との認識はない。現代の尺度で考えるとそれは異常だが当時はそうであった。

例えば逆な事がある。私がパリ旅行をした時、真昼間に恋人同士が衆人環視の路上やセーヌ河畔でKISSをしている、それもフレンチではない。
KISSは私の感覚では性行為の前戯に近い、それを衆人環視の前で恥ずかしげもなく行うこの人種は異常である。これこそ慎みを知らないということだ。最近は日本人もこの悪習をまね、電車内でKISSする輩もいるやに聞くが、見つけたら張り倒してやりたい。
実はこの事はアンベールも記録していて、パリ万博に参加した一日本人が「我々なら夜でも人前では許されないようなことが、白昼、公然とパリの真ん中で行われるのを見せていただいた」と語った言葉を載せている。

当時の日本人の尺度では単に健康や清潔の為とか、せねばならぬ仕事の為に便利というのでたまたま身体を露出するのは、まったく礼儀にそむかないし、許される事だった。
だが、どんなちょっぴりであろうと見せ付けるためだけに身体を露出するのは、全くもって不謹慎なのだ。

前者の例としては、開放された浴室や裸の労働者、ジメジメした季節に着物をまくり上げる事、夏に子どもがまったく衣服を着けないこと、本当に暑い季節は大人だってちょっぴりしか衣服を着けない事がそれに当たる。
私の子ども時代、ご婦人が電車内で授乳するのは普通の事であった、この授乳を扇情的な目で見る方が異常なんだと私は思う。

後者の例としては、衣服をまとっているものの身体の線をいかにも強調した扇情的服装、ブラジルの海岸を御覧なさい、股間を紐一本の水着、尻は丸出しだ。西欧だって考えてみなさい、おっぱいの半分以上を露出した扇情的衣服が堂々まかり通っている。
慎みをしらないとあんた方には言われたくない・・・・・・

さて、前回の混浴や裸を恥ずかしがらない事でほほえましい記述を紹介しよう。
クロウ「あちこち自分の家の前に、熱い湯につかったあとで清々しくさっぱりした父親が、小さい子どもをあやしながら立っていて、幸せと満足を絵にしたようである。多くの男や女や子どもたちが木の桶で風呂を浴びている。桶は家の後ろや前、そして村の通りにさえあり、大きな桶の中には、時には一家族が、自分たちが滑稽に見えることなど忘れて、幸せそうに入っている」

ティリー「礼節という言葉の正しい定義は何だろう、私が初めて日本の風呂に入った時そう自問した。風呂場にはあらゆる年令の男、そして婦人、少女、子どもが何十人となく、まるでお茶でも飲んでいるように平然と、立ったまま身体を洗っていた。
そして実を言うと、入ってきたヨーロッパ人も同様に一向に気にされないのだ。スタール夫人は、ヘラクレスやヴィーナスの彫像を見ていて、同行の若い士官から、慎みが大そう欠けていると思わないかと問われ”慎みがないというのは、見る方の眼の問題なのね”と答えたと言う。という次第で、日本の裸の礼節に何も怪しからぬ点はないと、私は考えることにきめた」

画家ラファージが日光の茶店で休んだ時、女の馬子たちは腰まで衣服を脱ぎ、男の眼もはばからずに胸や脇の下を拭ったり、こすったりした。しかし、彼がそれを写生しているのに気づくと、急いで上衣を肌にまとったという。
男もそうであった。平民の男は暑い時期、ほとんどマロ(フンドシ)一丁であった、フンドシとアテは向こうから外れる、外交官夫人等はそれこそ行く先々で”ショッキング”と眼を覆ったそうである。

リンダウはこの問題で正面きって日本人を弁護した。
「風俗の退廃と羞恥心の欠如との間には大きな違いがある。子どもは恥を知らない。だからといって恥知らずではない。羞恥心とはルソーが言っているように”社会制度”なのである。
・・・・・各々の人種はその道徳教育において、そしてその習慣において、自分たちの礼儀に適っている、あるいはそうでないと思われる事で、規準を作ってきているのである。率直に言って、自分の祖国において、自分がその中で育てられた社会的約束を何一つ侵していない個人を、恥知らず者呼ばわりするべきでなかろう。この上なく繊細で厳格な日本人でも、人の通る玄関先で娘さんが行水しているのを見ても、不快には思わない。風呂に入るために銭湯に集まるどんな年令の男女も、恥ずかしい行為をしているとはいまだに思った事がないのである」
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本10

2016-02-15 02:35:09 | 日本の素晴らしさ
さて、今日のテーマは「裸体と性」である。実はこのテーマの内容は私にとっても驚愕であった。

まず、ペリーに同行したウィリアムズは
「私が見聞した異教徒諸国の中では、この国は一番みだらかと思われた。体験したところから判断すると、慎みを知らないと言っても過言ではない。
婦人たちは胸を隠そうとしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なボロで隠しただけで出歩き、その着装具合を別に気にもとめていない。
裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体などお構いなしに、等しく混浴の銭湯に通っている。みだらな身ぶりとか、春画とか、猥談などは、庶民の下劣な行為や想念の表現としてここでは日常茶飯事であり、胸を悪くさせるほど度を越している」

「この民族の暗愚で退廃した心を啓示された真理の光が照らし得るよう、神に望み、かつ祈る」

なんとも過激な表現でないだろうか・・・・・・・しかし、ある面これが事実なのだ。

まず混浴だがこの時代当たり前だったようだ。
ドイツ人画家ハイネ「浴場それ自体が共同利用で、そこでは老若男女、子どもを問わず混じりあって、ごそごそうごめき合っているのである」
「日本のように男女両性が、これほど卑猥な方法で一緒に生活する国は、世界中どこにもない」この混浴風景は彼ら外国人の評判だったらしい。

スミス主教も「老いも若きも男も女も、慎みとか、道徳的に許されぬ事だというはっきりとした分別を備えている様子をまるで示さず、恥もなく一緒に混じりあって入浴している。日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだということだ」

ハリスはこうした批判的な言い方は避けて「私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪い事をするのか、判断に苦しんでいる」と言っている。

さて、混浴だけでなく女性が裸をさらすのに何の抵抗もない事実が沢山報告されている。
例えば”行水”だ。
たらいに水をはって汗を流すこの行水が「家の玄関先の路上」か、室内であっても道路から見える場所で「ご婦人が堂々と」しているのだ。
ホームズ船長「長崎の町を散策中、あだっぽい娘が全裸の状態で家から飛び出して、家の前の行水桶に飛び込んだ。彼女はあやうく船長と衝突するところだったが、顔も赤らめずビックリしている彼を桶の中から見てクスクス笑っていた」

ブラック「こんな行水風景は居留地のすぐ近所でしょっちゅう見たし、本山から山手に通じる道、周りの村でも何度も見た。四方八方へ遠出する人にとって、いわゆる『見境いのない行水』はごく普通に見られたので、じきに何とも思わなくなった」

実は行水だけでなかった・・・・銭湯の前を外国人が通ると(まだ外人が珍しい時代)これを見ようと風呂から全員が飛び出てきて、その際全員が、若い女性すらスッポンポンであったという記録がある。

ホジソン(長崎領事館勤務が江戸に来た時)「男女の入浴者が入り乱れて、二十軒ばかりの公衆の小屋から、我々が通り過ぎるのを見物するため飛び出してきた。皆がみな何一つ隠さず、生まれたままの姿であった。こんなに度肝を抜かれた事はなかった・・・・男女の入浴者が全員、裸であるのに平気で、意識も顧慮もせず、新奇な光景をゆっくりみて、好奇心を満足させようとした」

イザベラ・バードが秋田県の横手で「私が二本の足で歩いていると、人びとは私を見ようとして風呂から飛び出してきた。男も女もひとしく、一糸もからだにまとっていなかった」

モースが日光で温泉の温度を計る作業をしていたら「オハヨー」と声のする方向を見ると、前日出あった思慮深い二人連れの娘が入浴中でドギマギしてしまった。とか・・・・・・・
やはり日光で人力車に乗っている時、一件の家のほとんど往来というべき所で、一人の婦人が行水桶に入っていた。彼女は身体を洗う事をやめず、平気で我々一行を眺めやった。人力車夫は顔を向けもしなかった。

さて、これらの事実をどう考えたらよいのだろうか。モースはこう言っている。
「我々に比して優雅な丁重さは十倍も持ち、態度は静かで気質は愛らしいこの日本人でありながら、裸体が無作法であると全然考えない。全く考えないのだから、我々外国人でさえも、日本人が裸体を恥じぬと同じく、恥ずかしく思わず、そして我々にとっては乱暴だと思われる事でも、日本人にはそうでないとの結論に達する。たった一つ無作法なのは、外国人が彼らの裸体を見ようとする行為で、彼らはこれを憤り、そして面を向ける」

どうもここで紹介される事例は・・・・・特殊な事ではないようである。長崎でも、日光でも、横手でもと言った具合にそうした事が記述されているのであるから。慎みがない・みだらだ・卑猥と言った表現で攻められるこの事象は、それまでの日本賛辞とは一転している。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本9

2016-02-14 03:10:19 | 日本の素晴らしさ
さて、こうした日本賛美の声を挙げた対極に”日本に批判的”な声がない訳では勿論ない。それを紹介しないと公平を欠くであろう。
例えば、日本には泥棒や乞食がいない様な賛美の声があった、しかし、そんな事はないのである。仏頂面した庶民はいなかったのか、それもそうではないだろう。

カッテンドーケ「農民は重税を忍ばされている。だから彼らの生活は誠に惨めである。もしそうでないとすれば、日本の農民のごとく勤勉で節倹な百姓が、しかも豊穣な恵まれた国土で働きながら、なぜ貧乏しているのか、その理由が発見できないであろう」

オールコック「(兵庫近くの海岸に上陸して)我々の目にしたわずかばかりの漁村ほど貧しく哀れな様子をしているものはまずなかろう」

イザベラ・バード「(旅行中の新潟県境の山村で)休息できるほど清潔な家はなかった。白くも頭や疥癬やただれた目の子どもたちが溢れていた。女たちは木綿のズボンしか身につけていなかった。一人の女が酔ってフラフラ歩いていた」
*この時、随行した通訳(日本人)は、あなたにこんなものを見られて恥ずかしいと言った事も記録されている。

ミッドフォード(英国公使館の書記官)「私はどうしても日本人が好きになれません。中国人のほうが付き合うにはずっと気持ちのいい国民です」

ボンペ(長崎で病院を開業)「どこの国でも、日本のように天然痘の痕跡のある人の多い国はない」
「午後9時すぎになると、長崎の街頭で見かけるおよそ半分が酔っ払っている」

スミス主教「日本人の最大の悪徳は性的放縦と飲酒だ」

この他に、外国人が日本人から投石を受けたとの記述もいくつかある。中には怪我をした例もあるようだ。しかし、これも個別にはその以前に外国人が狼藉を働いたとかの理由があるらしい。
スミスは宣教師ウィリアムズの住む寺に寄宿したが、そこでウィリアムズが30ドルに相当する財布を盗まれたのを見た。日本人の協力のお陰で犯人は見つかり、金も戻ったが・・・・・・

等々が記録に残っている。
前回述べたように日本が「妖精が棲む・天国・極楽」と表現されようと、日本に犯罪が無いわけでも、悪人がいないわけでもない。もちろん、貧困も不潔さも皆無ではなかったであろう。
大切なのはその”はびこり具合”であって、それを勘案するとやはり日本はよい国に軍配が上がるのだと思う。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本8

2016-02-13 02:16:26 | 日本の素晴らしさ
もう少し”日本賛美”を別な面で網羅してみよう。まず、工芸品・職人の技も絶賛されている。
イザベラ・バード「桶屋と籠屋は職人仕事の完璧な手際を示し・・・・・用材の慎重な選択と細部の仕上げと趣味への配慮によって、一個の芸術品になっている」

アンベール「江戸の職人は真の芸術家である」

アリス・ベーコン「日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、彼らの手から作り出される物はみんな美しい」

モース「一件簡素な日本家屋の部分部分に”指物師の工夫と芸術心”が働いている。大工は仕事が優秀であるばかりでなく”創意工夫にたけた能力”を持っている。アメリカの大工より技術的に上だ」

ムラヴィヨフ艦隊の一員テイリー、宿舎の三田の寺で大工の働きぶりを実際に見て
「20人ほどの大工が半裸で庭で忙しく働いていた。板を引き割り、それをまるで手品のように椅子やテーブルなどヨーロッパの備品に変えてゆく。
彼らは疑いもなく世界で最も熟練した指物師であり大工だ。私はずっと彼らのすることを見つめ、彼らの手際を快く感じていた」

国民観察は色々な角度で・・・・・・・・
メアリー・フレーザー(英国公使の妻)
「この国の下層の人々は、天が創造し給うたさまざまな下層の人間の中で、もっとも生き生きとして愉快な人々」

イライザ・シッドモア(度々来日の米人)「日本は汲めど尽きぬ何かを持った、意外性の国です。その新奇なものたるや、日本人の生活では、ほんの日常的なことなのです」

ディアス・コバルビデス「日本の女性の着こなしは粋だ。普通下に着けているものの方が派手で鮮やかであり、上のものはやや地味な色合いである」

モース「日本の家屋は一件無造作に見えるが、細部は様々な工夫と装飾に富んでいる。
中でも素晴らしいのが”欄間”で、デザインも彫り上げる技術が素晴らしいが、それが名も無き地方の職人の手によってなるものである事は特筆すべきことだ」
「なぜそうした事実があるのか。日本の職人は”単に年季奉公をつとめあげた”のではなく、”仕事を覚えた”のだ。従って”自由な気持ちで働いている”のであり、”日本人は芸術的意匠とその見事な出来栄えを賞賛することができる人々”なのだ」

チェンバレン「この国の魅力は下層階級の市井の生活にある・・・・・日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術にある」

同じくモース「(ヨイトマケの作業を観察して)日本の労働者は働く時は唸ったり歌ったりする。これは、労働の辛さを、気持ちの良い音か拍子で軽める面白い国民性だ」
*私はこれに関して、例えば”酒屋唄”や”船頭唄”があるのも日本独特かなと思っている。

タライトナー中尉(オーストリア)有馬へ向かう途上、陶器・食料を運搬する山間地の住民に行き会って
「荷物を担いでいる人たちは裸に近い恰好だった。肩に竹の支柱をつけ、それに大変重い運搬籠を載せているので、その重みで支柱の竹筒が今にも割れそうだ。
彼らの身のこなしは走っているのか歩いているのか見分けのつかない態のものだ。汗が日焼けした首筋をしたたり落ちた。
しかし、かくも難儀な仕事をしているのにもかかわらず、この人たちは常に上機嫌で気持ちの良い挨拶をしてくれた。彼らは歩きながらも、締め付けられた胸の奥から仕事の唄を口ずさむ。喘ぎながらうたう唄は、左足が地面につく時、右足が大股に踏み出す力を奮い立たせる」

又々モース「モースは小樽で、おそるべき体力を持った老婆に出会った。彼女は天秤棒を担いで帆立貝の行商をしているのだったが、その荷はモースと彼の日本人の連れが持ち上げようとしても、どうしても上がらぬほど重かった。
彼らが断念すると老婆は静かに天秤棒を担ぎ上げ、丁寧にサヨナラを言うとともに”絶対的な速度”で立ち去っていった」
「この小さなしなびた老婆は、すでにこの荷物を数マイル運搬してきたにもかかわらず、続けざまに商品の名を呼ぶ程、息が続くのであった。*勿論この老婆は当時の小樽の行商の中で、特別の力持ちだったわけではなかったろう」

日本の子どもたちに対する記述も多い。
日本について「子どもの楽園」という表現を最初に用いたのはオールコックである。
彼は初めて長崎に上陸したとき、”いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわして”そう感じたのだが、この表現はこののち欧米人訪問者の愛用するところとなった。
事実、日本の市街は子どもであふれていた。スエンソンによれば、日本の子どもは「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。

エドウィン・アーノルドは1889(明治二十二)年来日して、娘とともに麻布に家を借り、一年二ヵ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。
「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。四頭立ての馬車はたまにしか見られないし、電車は銀座とか日本橋という大通りしか走っていない。馬にまたがり、鞍垂れをつかんで走る別当を連れて兵営を往き帰りする将校にときたま出会うくらいだ。こういったものは例外だ。

従って、俥屋はどんな街角も安心して曲ることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起す心配などこれっぽちもなく、あらゆる街路の真っただ中ではしゃぎまわるのだ。
この日本の子どもたちは、優しく控え目な振舞いといい、品のいい広い袖とひらひらする着物といい、見るものを魅了する。手足は美しいし、黒い眼はビーズ玉のよう。そしてその眼で物怖じも羞かみもせずにあなたをじっと見つめるのだ」。

モースは東京郊外でも、鹿児島や京都でも、学校帰りの子どもからしばしばお辞儀され、道を譲られたと言っている。
モースの家の料理番の女の子とその遊び仲間に、彼が土瓶と茶碗をあてがうと、彼らはお茶をつぎ合って、まるで貴婦人のようなお辞儀を交換した。「彼らはせいぜい九つか十で、衣服は貧しく、屋敷の召使いの子供なのである」。

彼はこの女の子らを二人連れて、本郷通りの夜市を散歩したことがあった。
十銭ずつ与えてどんな風に使うか見ていると、その子らは「地面に坐って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、すなわち乞食」の前におかれた笊に、モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落し入れたのである。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本7

2016-02-11 03:43:44 | 日本の素晴らしさ
清潔さ、貧困に伴う不潔さの記述をもう少し紹介しよう。
たびたび出てくるイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは
「日本は貧民階級の衣類や家屋がどんなに汚くても、料理の仕方とその料理を供するやりかたは極端に清潔なのだ」
英国第九連隊のジェフソン・エルマースト
「夜帰営するのが遅くなった時、横浜の屋台で食事をしたが材料にも容器にも不安を抱く必要はまったくなかった。極端に清潔だというのは彼らの家屋だけの特徴ではなく、彼らの食べ物、料理のしかた、料理の出し方の特徴でもある」
度々出てくるハリス
「世界のいかなる地方においても、労働者の世界で下田におけるより良い生活をおくっているところはあるまい」

エンゲルスは母国イギリスのスラム街を次の様に表現している。
「街路の上では市場が開かれ、もちろんすべて品質が悪く、ほとんど食えない野菜や果物を入れた籠が通路をいっそう狭めている。これらの籠や肉屋からは実に不快な臭気が発散している。・・・・・そこの不潔なことと荒廃した有様は、とうてい考えられないほどだ。完全な窓ガラスなどほとんど見当たらぬし、壁は砕け、入り口の戸柱や窓枠は壊れてがたがたになり・・・・汚物と塵芥の山があたり一面にあり、ドアの前にはぶちまけられた汚い液体は寄り集まって水溜りとなり、鼻持ちならない悪臭を発散している」

なるほど、こういうスラムのおそるべき汚さからすれば、貧民ですら衣服も住居も清潔な日本は、彼らにとって驚愕の事実であったらしい。
現代の私たちは例えば時代劇の田舎農家の室内を映像で見て、汚い・乱雑等のイメージを持つがそれと実態はだいぶ違うようだ。もっとも、この映画の室内だって製作側のイメージであって、時代考証をしたものではないが・・・・・・・

どうであろうか、ここまで数例紹介してきたが意外ではなかったですか? しかし、これが当時の日本を訪れた異邦人の評価です。
念のため申し上げると、短い滞在でほんの一面しか見れなかったのではと言う疑問も湧くかもしれません。ごく一部にそうした例がない訳ではないが、数年に亘る滞在が多いし例のイザベラ・バードの東北~北海道旅行は3ヶ月に亘っています。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本6

2016-02-10 03:25:59 | 日本の素晴らしさ
しかし、どう言われようと日本が地上の楽園である筈はない。にも関わらず人々に幸福・満足の感情が現れていて異邦人をビックリさせた。その根拠はどこにあるか・・・・それは民衆の豊かさ、それも衣食住の豊かさであるらしい。
幕藩体制下の民衆生活について、悲惨極まりないイメージを持つ私たちとのギャップは何であろうか。

着任したばかりのハリス(タウンゼント・ハリス 初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使)は、下田近郊の柿崎を訪れこう言っている。
*何故伊豆の下田なのかはご承知の方もおられるでしょうが、浦賀に来たアメリカ使節団は江戸幕府と長い協議の末に日本で二ヶ所の開港場所を得た。ここ下田と函館である。幕府は従来のオランダ同様に長崎(出島)を開港場所としたかったが、アメリカはそれに強く反対して応じず結局この二カ所になるのだが、それらの経緯は”ペリー提督日本遠征記”に詳しく書かれている。

「柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりとしていて、態度は丁寧である。
世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている」
「家も清潔で日当たりがよいし、気持ちもよい。世界のいかなる土地においても、労働者の社会の中で下田におけるものよりもよい生活を送っているところはほかにあるまい。」

ハリスはこの村は豊かだと言っているのではない、それは貧しいにもかかわらず不潔ではないと言っているのだ。
ハリスは世界中の各国を見てきている。彼が言うのは、下田周辺の住民は、社会階層としては富裕な層には属しておらず概して貧しい。しかし、この貧民は貧に付き物の悲惨な兆候をいささかも示しておらず、衣食住の点で世界の同階層と比較すれば、最も満足すべき状態にある・・・・・と言う事らしい。

オールコックは1859年日本に着任したが神奈川近郊の農村で
「破損している小屋や農家をほとんど見受けない。前任地のシナではあらゆる物が朽ちつつあったのと好対照であった。住民の間には贅沢にふけるとか富を誇示する余裕はないが、飢餓や窮乏の徴候は見受けられない」

オイレンブルク使節団のベルク
「平野は肥沃で耕され、山にはすばらしい手入れの行き届いた森林があり、杉が驚くほどの高さにまで伸びている。住民は健康で、裕福で、働き者で元気がよく、そして温和である。」
「日本の農業は完璧に近い(カッテンディーケ)」
「自分の農地を整然と保つ事にかけては、世界中で日本の農民にかなう者はいない(オールコック)」
「耕地に一本の雑草も見つけられなかった(スエーデンの医師ツュンベリ)」

ハリスは初めて江戸に入り、将軍と謁見する際も事をこう記録している。
「沿線の見物の民衆は皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」

「将軍の衣服は絹布であり、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。
だがそれは、想像されるような王者らしいものからはまったく遠い物だった。宝石も、精巧な金の装飾も、ダイヤモンドもなかった。殿中のどこにも鍍金の装飾はなく、木の柱は白木のままであった。どの部屋にも調度の品々は見当たらない」

この一連のハリスの記述は何だろう、彼は日本に悲惨な貧は存在せず、民衆は幸せで満足そうであると言っている。しかしそれとともに彼が言いたいのは、日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルだと言うことだ。

キリスト教圏の貧民区域には「不潔さと惨めさ」が色濃く出ているそうだが、彼らが日本を見た時に「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言っているのは、前にも述べた不潔さがない事も一因だろう。
そしてそれは、バードがあまりにもきれいに掃き清められた街路に、泥靴でその上を歩くのに気が引けたという習慣
即ち日本人の清潔の背後にあったのは、住民自身が鏡のように街路を掃き清めるという、前工業社会の生活習慣だったのだ。
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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本5

2016-02-09 02:10:11 | 日本の素晴らしさ
そもそも日本人には”外来文化”にまず興味を示す好奇心と、少々変わったものが入ってきても驚かない精神の強靭さ、それを噛みくだいていく対応能力があると言われている(梅干と日本刀ー樋口清之)。

以下に主に日本に来た宣教師が接した日本人に対する見方を掲載してみます。私はここに表現される日本人にワクワクしますが、この資質は脈々と受け継がれていると信じます。

イエズス会の宣教師は日本人が「元来新奇なものを見たがる強い好奇心をもっている」(フロイス)と感じていた。布教の際には直接間接、さまざまにその日本人の好奇心の強さを利用した。

フランシスコ・ザビエル(1506~1522)宣教師
私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。
彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。

大部分の人は読み書きができますので、祈りや教理を短時間に学ぶのにたいそう役立ちます。彼らは一人の妻しか持ちません。この地方では盗人は少なく、また盗人を見つけると非常に厳しく罰し、誰でも死刑にします。盗みの悪習をたいへん憎んでいます。
彼らはたいへん善良な人びとで、社交性があり、また知識欲はきわめて旺盛です
日本人は、論理的思考を好みます。故に私が地球が丸いことや、雨の原因について説明すると、彼らは夢中になるのでした。
しかし、私が「全能である神が、悪魔を含む全宇宙を創造した」と話しても彼らは納得しないのです。なぜ、善である神が、悪魔を創造したのか?全能である神が、人間をこれほど弱く、罪を犯しやすいように造ったのか?このように質問してくるのです。

アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノ (Alejandro Valignano, 1539~1606) はイタリアの宣教師
国民は有能で、秀でた理解力を有し、子供達は我等の学問や規律をすべてよく学びとり、ヨーロッパの子供達よりも、はるかに容易に、かつ短期間に我等の言葉で読み書きすることを覚える。また下層の人々の間にも、我等ヨーロッパ人の間に見受けられる粗暴や無能力ということがなく、一般にみな優れた理解力を有し、上品に育てられ、仕事に熟達している。
人々はいずれも色白く、きわめて礼儀正しい。
一般庶民や労働者でもその社会では驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、あたかも宮廷の使用人のように見受けられる。この点においては、東洋の他の諸民族のみならず、我等ヨーロッパ人よりも優れている。

ジョアン・ロドリゲス(1561~1633)宣教師
「彼らは誇り高く面目を重んじるので、名誉に関わることで簡単に生命を捨てことをいとわない。同様に、自分の保護と支援の下に身を置いているもののためには、無造作に我が命を賭ける」

1563年に来日したポルトガル人司祭のルイス・フロイス
彼らは分別があり、理性に基づいて己を処する。また、好奇心に富み、霊魂の救済について話すことを好む。彼らの間には良き礼法があり、まるで宮廷で育ったかのように慇懃な態度を示す。滅多に隣人の悪口を言わず、他人をねたまない

私は日本人の鉄砲との出会いに大変興味を持っている。
難破したポルトガル商船が種子島に漂着した1543年のことである。世界中で西洋人に鉄砲を突きつけられた人々がただホールドアップしてひれ伏した時代に,初めて鉄砲に出会った日本人の反応はやや違っていた。
彼らはその筒先をのぞき込み,そのメカニックに驚嘆し,その虜となった。世界に誇る日本刀の伝統もあって,1年で鉄砲を複製し,10年でこれを工業化,20年後には折りからの戦国の世の要請の下に,世界一の鉄砲生産国となって,スペインとポルトガルの宣教師達を驚嘆させた。

カール・ツンベルク(日本語表記ではツンベリーといわれています)スウェーデンの植物学者で医学者
この人の逸話にオランダ人と同じ格好をしていたらオランダ人と思われ、日本人から冷たい視線を受けたというのがあります。オランダは奴隷貿易をしており、日本人はそれを蔑んでいることに気づいたそうです。有色人種が白人を蔑視するなど想像もしていなかった彼は随分戸惑ったようです。

16世紀に日本に来たキリスト教の宣教師が、『この教えは、普遍的な教えだ。』と言ったら、それを聞いた庶民が、『それはおかしい、普遍的な教えなら、あなたが来る前から我々がその教えを知っているはずだ。』と反論し、日本人の教養の高さを知り、侮れない国だと思ったそうです。
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