あれから75年の歳月が流れ、平成七年(1995)、わが国の阪神地域を大地震が襲った。
この時、いち早く救援活動をしてくれた国が、ポーランドだった。
「シベリア孤児と同じ様に、震災で両親を失い、悲惨な目にあった被災児たちを、ポーランドに招いて慰める事はできないか」
そして、震災で孤児になった日本の子供たち30人ずつ2回に分けて、今度はポーランドへ招待した。
被災孤児の一人の男の子が片時もリュックを背から離さないのを見て、世話をした一人のポーランド夫人が理由を聞くと、震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くし、家も丸焼けになってしまったので、焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめ、片時も手放さないのだという。この婦人は不憫で涙が止まらなかった、と伝えている。
第2回目の被災児がポーランドヘ招待されたのは1996年の夏であった。3週間招待されて色々なところを案内され歓待された。
震災孤児が帰国するお別れパーティには、4名のシベリア孤児が出席した。
歩行もままならない高齢者ばかりであるが、「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子供達がポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」と無理をおして、やって来たのだ。
付き添いの介助を受けて参加した人もいた「今日はどうしても行きたい。75年前の自分と同じ様な子どもたちがポーランドに来たからには、私たちがかってどのように助けられたか、どんなに親切にされたか、是非私の口からお話したい」
このように日本の被災孤児達に、自分たちが日本に親切にしてもらった事を切々と語り、涙を流してこれで恩返しが出来たと語った。この思いは、世代も言葉も越えて、震災孤児たちの傷んだ心に染み渡った。
終わりに4名のシベリア孤児が涙ながらに薔薇の花を、震災孤児一人一人に手渡した時には、会場は万雷の拍手に包まれた。
平成11(1999)年8月に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日した。
合唱団は孤児だったヘンリク・サドスキさん(88)からの次のようなメッセージを携えてきた。
「20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。シベリアにいたポーランドの子供は、様々な劣悪な条件にありました。
その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。親切にしてくれた事を忘れません。
(合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。日本のみなさん、ありがとう。」
サドスキさんはさらに「一番大事にしている物を皇室に渡して」と救出当時の写真を託した。
「孤児収容所を慰問した皇后陛下(貞明皇后)に抱き締めてもらった事が忘れられない」と話したという。
皇后陛下の誕生日・平成14年10月20日に放映「スーパー・テレビ」では、両陛下とその老齢になった孤児達が対面する感動的な場面が映し出されていた。
病院に大正天皇の后、貞明皇后がお見舞いに来られ、小さかった彼女を抱いて励ましてくれた記憶のある元孤児の一人、86歳のアントニナ・リーロさんは、美智子皇后の手をずっと握りしめていた。
80余年の時空を超えて、かすかに覚えている貞明皇后の手の感触、胸のぬくもりを確かめているかのようで、時間が止まったかのように感じられた。
年老いた元孤児は静かに「君が代」の一節をくちずさんだ。