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解説-16.「紫式部日記」夫の死

解説-16.「紫式部日記」夫の死

山本淳子氏著作「紫式部日記」から抜粋再編集

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夫の死

  だが、幸福は長く続かなかった。長保三(1001)年四月二五日、宣孝が亡くなったのである。宣孝はその二カ月前まで記録に名前が見える(「権記」同年二月五日)ので、長く臥せっていた訳ではない。
  紫式部にとっては唐突な、夫との死別であったに違いない。加えて妾という立場でもある。死に目にあう、ということもできなかっただろう。
  「紫式部日記」によれば、彼女はその後幾つかの季節を、喪失感だけを抱えて呆然と過ごすことになる。

「紫式部集」の和歌は、夫との死別を境に一変し、人生の深淵を見つめ、逃れられぬ運命を嘆くものとなる。彼女は夫の人生を「露と争ふ世」と詠んでそのはかなさを悼み、自分のことは「この世を憂しと厭(いと)ふ」と言い捨てた。
  「世」とは命や人生、また世間や世界を意味する言葉だが、そこに共通するのは、<人を取り囲む、変えようのない現実>ということである。そして、そうした「世」に束縛されるのが、人の「身」である。人は「身」として「世」に拒まれ生きるしかない。ただ死ぬまでの時間を過ごすだけの「消えぬ間の身」なのだ。夫の死によって、紫式部はそのことに気づかされたのである。

  ところが、やがて紫式部は、「身」ではないもう一つの自分を発見する。それは「心」である。ある時気がつくと、思い通りにならない人生という「身」は変わらないのに、悲嘆の程度が以前ほどではなくなっていた。

  数ならぬ心に身をばまかせねど身に従ふは心なりけり
  (「紫式部集」五十五)

  「心」は「身」という現実に従い、順応してくれるものなのだ。だがやがて紫式部は、心というものの、現実を超えた働きにも目を向けるようになる。

  心だにいかなる身にか適(かな)ふらむ思ひしれども思ひしられず
  (「紫式部集」五十六)

  自分の心はどんな現実にも合わないものだと、何度も思い知るのである。

  現実に適応しない心なら、その居場所は虚構にしかない。こうして紫式部は、寡婦であり母である「身」とは別の所に自身の心のありかを見つけるようになる。友人を介して物語に触れ、少しづつ前向きに生き始める様は「紫式部日記」に記されている。

つづく
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