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2.紫式部の育った環境 女官になるのは嫌い (紫式部ひとり語り)

2.紫式部の育った環境 女官になるのは嫌い (紫式部ひとり語り)

山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集

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女官になるのは嫌い
  
  それにしても世の中には、そこそこの身分がありながら娘を女官に仕立てるなどという父親もかつていたようだが、なんとおぞましい話だろうか。

  女官など下々の身分の者がなるものだ。女官や女房は、人に顔をさらす。顔などいくら見せても減るものではないと人は言うかもしれないが、そうではない。女は減るのだ。恥じらいや気品というものが。

  確かに私も、後には女房勤めをした。だがそれは望んでそうしたものではない。やむにやまれずのことだった。しかも、最初は嫌で嫌でどうしようもなかったのだ。自分の娘、賢子を女房にしたこと? それは仕方がない。あの子には父親もおらず、もうその道しかなかったのだから。

  だがそうしないで済む方法があったのならば、どこの親が最初から進んで娘を女房などにしたてようか。それは少なくとも、名誉ある家系に生まれた私の感覚ではない。

  かつて娘を自ら女官にしたというのは、高階成忠(たかしなのなりただ)という人だ(図の系図1)。父と同じ漢学の徒だ。だが父とは全く考え方が違っていた。成忠は、学がありすぎて誰からも煙たがられ、変人と噂されていた人物だった。確かに変わり者だ、世の男が信用できぬあまり、娘には結婚を薦めず勉学を授けて女官にしたというのだから。

  成忠の娘の貴子様は、父親から鍛えられて漢文に熟達し、円融天皇の時代に狙い通り天皇付きの掌侍(ないしのじょう:律令制における女官のひとつ)となって活躍された。だがそれがきっかけで、藤原道隆様、道長殿の一番上のお兄様に見初められ、縁づいてしまわれたのだから、世の中とはおかしなものだ。

  高階氏は遠く長屋王に血の繋がる王族とはいうものの、貴族内での地位はせいぜい四位・五位程度に過ぎない。その高階氏から藤原摂関家の本妻へというとんでもない幸運のため、この話は世に知れ渡った(「栄花物語」巻三)。
  だが考えてみれば、成忠が結婚をすんなり認めたというのはおかしなことではないか。最初は男が信用できないと言っていたはずだ。相手が時の大納言藤原兼家様のご長男だからよかったというのか。所詮玉の輿に目がくらんだのではないか。笑止千万だ。

  貴子様は道兼様との間に数々の御子を産んだ。やがて内大臣の地位まで昇られた伊周(これちか)様、一条天皇の后となられた定子様も貴子様の腹だ。お二人とも母君の才能を受けて漢文の素養がおありだった。だがあの一族は、結局は零落してしまった。怖ろしいことよ。漢文ができることを鼻にかけたのが悪かったのではないか。

つづく
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