願成就院 山門
静岡県伊豆の国市寺家
平家を滅ぼし、仲違いした源義経は放浪の末に奥州、藤原氏を頼って落ち延びました。
坂東の武士団をまとめ上げた源頼朝は、武家の頂点となるべく最後の総仕上げに動きます。
1189年 文治5年
覇者として君臨した藤原秀衡が病没した後、跡継ぎの藤原泰衡に、源義経を匿っていることで圧力をかけ、耐えかねた泰衡が義経を討ったことで、戦に天才的な力を発揮した義経の居ない藤原氏は敵ではなく、頼朝は約28万もの大軍勢を率いて出陣します。
願成就院は北条時政が頼朝の奥州討伐の成功を祈願して創建され、仏師運慶により製作された木造阿弥陀如来坐像、木造毘沙門天立像、木造不動明王、二童子立像が安置されました。
頼朝の死から5年あまり、幕府初代執権の地位に登り詰めた時政は、娘婿、平賀朝雅を将軍に擁立しようとして三代将軍、実朝の失脚を目論んで失敗、娘の北条政子、義時により鎌倉から追放とされ、故郷の伊豆へと戻りました。
共に陰謀に加担した後妻、牧の方は京へ去り、時政は余生を伊豆で過ごし、生涯を終えました。
北条時政の墓