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日本歴史紀行

思い出フォト 98 2018年3月 厄除け観音 法多山 尊永寺



静岡県内、例年3月には桜が彩ります。




二宮尊徳 翁像
JR愛野駅前(袋井市)

金次郎さんでお馴染みの二宮尊徳 翁。
独自に編み出した農法と倹約法により、小田原藩〜幕臣へと取り立てられました。



球技の世界で度々 名勝負が展開されるエコパスタジアム。
この翌年のラグビーワールドカップで、日本は優勝候補のアイルランドを破る大金星を挙げました。









法多山(はったさん)尊永寺 山門
厄除け観音として崇敬される尊永寺。



静岡県袋井市豊沢


~法多山 略縁起~
山号を法多山【はったさん】と称する尊永寺は、奈良時代の725年 神亀2年、聖武天皇が見た東方よりあらわれた観音の夢に従ったところ、厄災を免れたことから、行基上人に観音の居場所を探す勅命を出しました。

行基はこの地を大悲観音応臨の聖地と定め、自ら刻んだ聖観世音菩薩像を祀りました。
これが法多山の本尊とされ、以来 厄除け観音として信仰を集めることになりました。

平安時代後期以降の白河、後白河天皇といった平家、源氏といった二大武家政権を向こうに院政を敷いた歴代の院からも信仰あつく、勅願寺とされて繁栄しました。

室町時代には、法多山の田遊祭が行われはじめ、五穀豊穣を願う予祝儀礼として続いてます。

戦国時代になると、今川氏、豊臣氏、徳川氏と遠州にゆかりの深い武家の信仰を得て、1602年 慶長7年、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康に5万石の格式を与えられて栄えました。







くし団子開祖 八左衛門 碑



~名物 厄除け団子の発祥~
江戸時代も終わりへと向かいはじめた1854年 安政元年のこと、法多山から将軍家に毎年納める護符にそえる献上品に、いつもの浜松の浜納豆でなくて、地元の物は無いかと考えた寺侍の八左衛門は、豊沢のしん粉と小豆で小さな串団子の上に、餡子をのせた【観音名物団子】として献上しました。

これが将軍家、徳川家定はいたく気にいって【くし団子】と命名までされました。

以来、くし団子は、法多山の門前でも名物 厄除け団子として、売り出され、参詣客からも愛される逸品となりました。






~二葉神社~

法多山の太子堂から下り、鐘楼堂の近くに京都の伏見稲荷の千本鳥居を小さくしたような朱色の連結鳥居のお社があります。







二葉神社は、戦前、浜松市の鴨江二葉町にあった【二葉遊郭】と呼ばれる歓楽街に祀られていたもので、そこで働く芸妓や娼妓達がお金を出し合い建立されたのがはじまりで、
二葉遊郭の守護神社であると同時に、かつて浜松の夜の社交界を華やかに彩った【働く女性】の守り神でもあったのです。

戦前、戦後と賑わいをみせてきた【二葉遊郭】は昭和31年に街の再開発の波により解体を余儀なくされ、このままでは私発ちの神社も無くなってしまうと、信心深い彼女たちが【この神社は何処か安住できる場所へ…】と願い法多山へ移されました。

働く女性達を見守り続けてきた神社は、法多山 鐘楼堂の陰に隠れるように今もそっと佇んでいます。





 






一意一願 不動明王







尊永寺 本堂









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